お祭りの準備

 ロイトとライメの家は、町の端の方にありました。都へ向かう街道から遠く、旅人も来ないあたりに建っている、小さな家です。いつからか、ロイトはそんな家があまり好きではなくなっていました。

「お母さん、ただいま!」

 ライメはばんと勢いよくドアを開けました。魚の焼ける香ばしい匂いと、香草の爽やかな匂いが、ふんわりと漂ってきました。

「おかえりなさい。お兄ちゃんは連れて来た?」

「うん、ほら!」

 ロイトはしぶしぶ家に入り、料理をしている母エイナの前に連れて行かれました。エイナは困ったように笑いました。

「おかえりなさい。悪いんだけど、ちょっとだけお手伝いしてね」

「……分かってるよ」

 ぼそぼそとロイトは答えました。エイナはほんの少し寂しそうな顔をして、でも何も言わずにまた料理を始めます。

 ロイトはエイナを手伝って、たまにあちこちの物を取ったり戻したりしました。炒め物を混ぜるための木のへらや、魚によく合う香辛料などです。エイナはものすごい速さで料理を作っていきます。できた料理を机に並べる時にはライメも手伝いました。

「二人とも、ありがとうね」

 料理を終えたエイナは、汗を拭きながら言いました。家族四人には大きすぎるほどのテーブルを、たくさんの料理が埋め尽くしています。香りの良い葉で包んだ焼き魚や、少し辛めに味をつけた貝の炒め物、干し魚と野菜のスープ。町でも評判の料理上手であるエイナの料理はどれも美味しそうでしたが、ロイトはなんだか面白くありません。

「もう運ばなくていいの?」

 ライメがエイナを見上げて、エプロンの端を引っ張りました。

「後は町長さんたちが取りに来るから大丈夫よ。あとは夕方までにお祭りの服に着替えて、家の近くにいてね」

「分かった!」

 お祭りの服と言われたライメは、ぱっと顔を輝かせました。ロイトは妹が、薄い青に金色の飾りのついた服を買ってもらっていたことを思い出しました。

「ねえお兄ちゃん、見て見て!」

 ライメが嬉しそうにロイトを呼びました。お祭りの服を体の前に当ててくるくる回っています。二つ結びにした髪にはもう、服と同じ色と飾りのリボンを結んでいました。

「まだ着るのは早いだろ。お祭りまでに汚しちゃうぞ」

 ロイトは短い間だけライメを見て、そっぽを向いて言いました。また泣かれでもしたら堪りません。

「ええ……じゃあ、リボンだけにするよ。それならいいでしょ?」

 ライメは服をきちんと洋服掛けに戻して壁に掛けました。答えもしないで部屋を出ようとするロイトを、急いで追いかけます。

「ちょっとお兄ちゃん、どこ行くの」

「裏庭だよ。ひとりになりたいんだから、ついてこないでよ」

「だめ! 放っておいたら遠くに行くでしょ!」

 綺麗なリボンを頭につけて、でもライメはいつものように頬を膨らませました。やれやれと思いながら、ロイトはもう何も言いません。今のロイトにはライメが変なことをしないように見ていたり、物を運んだりすることしかできないのです。

「……分かってるんだよ、そんなこと」

 ロイトは低く呟いて、家の裏のドアから外に出ました。

「え? お兄ちゃん何か言った?」

「別に。ライメ、あんまり変なことするなよ」

「しないよ!」

 ライメを軽くあしらって裏庭に向かいます。いえ、裏庭とは名ばかりの小さな空き地です。洗濯物を干すためのロープの下を潜って、ある物の前で立ち止まりました。

「……ねえお兄ちゃん、それ何? ちょっと動いてない?」

「物干しのロープだよ。ライメは背が低いからやったことないと思うけど、おれはときどき洗濯物を干してる」

「そっちじゃないよ! その、かごみたいな方」

 ロイトは仕方なくその「ある物」を見せました。それは硬い草で編まれた籠で、中では一羽の鳥がおとなしく羽繕いをしています。茶色の斑の鳥は、賢そうな金色の目をしていました。

「その鳥さん、何? なんだか狭くてかわいそう……」

「おれが飼ってるんだ」

 いい加減なことを答えながら、ロイトは、確かにかわいそうだな、と思いました。自分とは違って飛ぶ力があるのに、狭い鳥籠に閉じこめられているのですから。

「お兄ちゃん……嘘ついたって駄目だよ」

 すぐ嘘に気づいたライメは、じろりとロイトを睨んできました。

「父さんが飼ってるんだ」

「ふーん。ねえ、もっとよく見せて!」

 ライメはそう言って、ぐいと鳥籠の方に身を寄せてきました。慌てて籠を高く持ち上げながらロイトは言います。

「駄目だよ、本当は籠に触るだけでも怒られるんだから――」

 しかしその言葉を言い終わるより前に、高く跳んだライメの手が籠の扉に引っかかり、偶然、留め具を外してしまいました。

「――あっ」

 籠の扉が開いて、鳥が外に飛び出しました。鳥はばたばたと何度か羽ばたくと、日が傾きだした空を真っ直ぐに見上げ、あっという間に高く飛び上がってしまいました。

「追いかけよう。父さんにばれたらこっぴどく怒られるぞ」

 ロイトは真っ青になって言いました。

「でも、家の近くにいてって、お母さんが」

 走りだそうとしたロイトの袖を、ライメが掴みました。ロイトはその手を勢いよく振り払って鳥を追いかけます。

「でもそれはお祭りに行くためだろ。もし父さんが帰って来て鳥が逃げたって知ったら、絶対にお説教が待ってるよ。終わる頃には寝る時間だ。お祭りになんか行けないよ」

 ロイトをさらに追いかけていたライメも、そう言われて顔を真っ青にしました。二人は喋りもせず必死に走ります。運の良いことに、家の前を通ってもエイナは気づきませんでした。

 波の音だけが、二人を見送るように鳴っていました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る