忘れられた歴史
「すみませんナリッサさん、うちの鳥がここに――」
「お父さん!」
ライメが叫びました。ドアの向こうにいた二人の父レームは、子供たちを見て顔色を変えると、つかつかと小屋に入ってきました。
「――ロイト、ライメ、なんでここにいるんだ!」
「ごめんなさい!」
ナリッサの後ろで縮こまりながら、ライメが悲鳴を上げました。
「勝手に鳥籠に触ったな? 触っては駄目だと言っただろう!」
「開けたのはライメだよ!」
「最初にお兄ちゃんが見せてきたのが悪いんだよ!」
怒られたロイトとライメはすぐにお互いを指差しました。ナリッサは両手で二人の頭を優しくぽんと触りました。
「レームさん、その辺りにしておいてください」
「しかし……」
ナリッサは静かに、納得いかなさそうなレームを振り返りました。
「町の方が何を思って私を魔女ということにしたのかは想像がつきます。魔族の存在を隠し通すためには、事情を理解して秘密を守れる歳になるまで、子供たちを私と引き合わせてはならなかったのでしょう。それも、私が魔族であることを悟らせない形で」
ロイトは難しい顔をして、ライメはぽかんと口を開けて、大人の話を聞いていました。知らない言葉がたくさんありました。
「人族と魔族が戦争をした時でさえ、貴方がたは私を追い出そうとはせず隠しつづけてくれました。そのことは本当に感謝しています。しかし、こういうことは私に一言相談してくださっても良かったのですよ。今ならもっと良い手段もあるのですから」
「……その、あまりにも現実からかけ離れているので、ご不快かと」
レームは言いにくそうに言いました。
「私はその程度で機嫌を損なうと思われているのですね……」
「申し訳ありません……」
「いいえ、仕方のないことです。私たちはお互いに理解できないことが多いのですから、万全を期するべきでした」
ナリッサはロイトとライメを優しく見下ろしました。
「忘却は必要です。私が人族好きの子供嫌いにされても、あの人と恋をしたことにされても、カーリの存在が消されても、魔族という種族が忘れ去られても……そして今、現にこの子たちが忘れているとしても。悲劇を抱えたまま生きていけるほど、ひとは強くありません」
レームの眉がぴくりと跳ねました。
「……なんだって?」
「悲劇を抱えたまま生きていけるほど……」
「そこではありません。魔族の存在を忘れている、ですって? それは読み書きと一緒に習うことでは?」
そう言って、怖い顔でロイトとライメを睨みます。
「貴方も、私が話すまでカーリのことを知らなかったでしょう」
「忘れて良いことと悪いことがあります」
「私にとっては、私の種族よりカーリの方が大事ですよ」
ナリッサはぴしゃりと言い返しました。
「……申し訳ありません」
レームが頭を下げました。すっかり青い顔をしています。
「何が大事かは覚えている側が勝手に決めることです。現に忘れさせてしまった以上、お互いに口を出す資格はありません」
ロイトとライメはまったく話についていけませんでした。
「……ロイトさん、ライメさん」
ナリッサはそんな二人に目の高さを合わせました。
「私は魔女ではありません。魔族という、貴方がたとは違う『ひと』です。魔族は角をもち、人族より長生きです。中には魔術という不思議な力を使うひともいます。これは飾りではないのです」
そうして、二人が頭飾りだと思っていた、灰色の角を触ります。
「ナリッサさん!」
レームがさらに顔を青くして声を上げました。
「角を見られた以上、どのみちもう隠せはしません。彼らが『大人』であることを信じて、本当のことを話すしかないでしょう」
ナリッサは静かに言いました。ロイトは驚いてナリッサの顔を覗きこみます。からかっているような顔ではありませんでした。ロイトは笑いたいような、泣きたいような気がしました。
「むかしむかし、人族と魔族は大勢で大喧嘩をしました。魔族が負けて、人族のいないところに逃げました。でも私はこの町の人に隠してもらえたのです。レームさんのような大人が、私の薬と、町の人たちが作るいろいろな物を交換して、秘密を守れない子供は私と会えないようにしました。そのためにできたのが魔女の昔話です」
そう言って、ナリッサはライメの頭をそっと撫でました。
「私が子供嫌いということにして、子供が岬に近づかないように。私を魔女ということにして、子供が昔話を外の人に話しても、魔族の生き残りの話だとは思われないように」
ライメはきょとんとしていました。妹にはまだ難しいようです。ロイトは溜息をついて、ナリッサを見上げました。
「おばさんが魔女だったんだな」
「魔女ではありませんよ。魔女と呼ばれてはいましたが」
「難しいことはいいよ」
「では、私が早くライメさんとの話を終えていれば、レームさんに叱られなくて済んだのに、ということですか?」
ロイトは首を横に振ると、恥ずかしくなって頭を掻きました。
「それもあるけど……それより、お礼を言いたいんだ」
「お礼……?」
「ライメは覚えてないと思うけど、おれが小さい頃、母ちゃんが重い病気になってさ。おれ、母ちゃんが死んじゃうかと思って、一晩中泣いてたんだ。でも母ちゃん、魔女様の薬ですぐ元気になったよ。だから本当に、ずっとずっとお礼を言いたかった」
ぎゅっと握りしめた両手が、ぷるぷると震えます。
「でも、魔女様には子供じゃ会えないんだろ。だから早く大人になりたかったけど、父さんは『まだ早い』しか言わないんだ」
ロイトはレームを振り返りました。レームは怖い顔をしていましたが、何も言わずにロイトの話を聞いていました。
「本当のことだって分かってるよ。でも悔しかった。だから、魔女様がおれたちを『大人』だと信じるって言ってくれて、仕方なく言ったって分かってるけど、嬉しかった」
ナリッサは驚いたような顔をしていました。
「ねえ、わたしも! わたしもナリッサさんにお礼を言いたいな」
その足元で、ライメがぴょんぴょんと飛び跳ねます。
「今日はたくさんお話ししてくれて、ありがとう! 薬草の話が聞けなかったのは、残念だけど……」
急にしょんぼりするライメに、ナリッサは苦笑いしました。
「そうですね。やはり、まだライメさんには難しいと思います。薬を作るためには、薬草のこと以外にも、たくさんの勉強が必要なのです。そして丈夫な体を作るために、たくさん遊ぶことも。今はたくさん勉強して、たくさん遊んで、大人になったらまた来てください」
「はーい!」
ライメはきらきらと目を輝かせて頷きました。
「……良いのですか、うちの娘とそんな約束をしてしまって」
今度はレームも黙っていられません。
「魔族とて、無限に生きるわけではありません。私の命は長くてもあと数十年。この子たちの方が長く生きる可能性は高いでしょう。もとより、そろそろ知識を残すことを考えるべき時でした」
レームは軽く頭を下げました。ロイトは父をじっと見ていました。
「あ! ねえ、ナリッサさん、これ今日のお礼ね!」
ライメだけが嬉しそうに、ふと思いついたようにリボンを片方外してナリッサに渡しました。金色の飾りのついた、薄い青のリボンです。
「それは……
「うん。だってその角って、お祭りの衣装じゃないんでしょ? それにあんまり可愛くないし……だから可愛くしてほしいな」
ナリッサは角を触って、それからレームを振り返りました。
「言い出したら聞かない子ですから」
レームは苦笑いしていました。
「ありがとうございます。……少し、待っていてください」
そう言って、ナリッサは部屋の奥から何かを取ってきます。リボンと同じ薄青の花びらをした、可愛らしい花でした。
「一つだけ、薬草の名前を教えておきましょう。これは
ナリッサは花をライメの頭に飾りました。
「ふたりだけの、秘密の約束の印です。覚えておいてくれますか?」
「うん!」
ライメは頭に手をやって、大喜びで頷きました。
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