本当の彼女は

 岬の向こう側に静かな砂浜がありました。波の音も静かで、遠くを飛ぶ海鳥の声が聞こえてきます。その砂浜の隅に、岬に隠れるように小屋が建っていました。ナリッサは立ち止まって小屋を指しました。

「そこです」

「あれは誰の家なの?」

 ロイトは尋ねました。もし魔女の家だったら大変です。

「私の家です。レームさんの鳥は籠から放たれれば私の家に飛んで来るようにしつけられているのですよ。聞いていなかったのですか?」

「き、聞いたけど忘れてました!」

 慌てたロイトは大声を出してしまいました。父の手伝いなら、鳥の行き先を知らないのはおかしいからです。

 ナリッサは首を傾げて、でも何も言わずにドアを開けました。

「……どうぞ」

 小屋の中には小さな机と椅子と、大きな鍋がありました。壁や天井にロープが張られ、そこにたくさんの薬草がぶら下がっています。まるで魔女の家のようだとロイトは思いました。

「わあ! ナリッサさん、薬草をたくさん持ってるんですね」

「これでも作りたい薬全部には足りないくらいです」

「えっ、薬を作れるんですか? 魔女様みたいに? すごい!」

 昔話の魔女が大好きなライメはもう大はしゃぎでナリッサにまとわりついています。ロイトはやれやれと溜息をつきました。

「そんなことより鳥はどこ?」

「こっちにいますよ。少し危ないので、籠を貸してください」

 部屋の奥で開いていた窓の枠に、茶色の斑の羽をした鳥が止まっていました。ナリッサはロイトから籠を受け取って、鳥を手に乗せ、籠に戻してロイトに渡しました。

「じゃ、ありがとうございました!」

 籠を受け取ったロイトはすぐに帰ろうとしました。

「ええっ、わたしもっとナリッサさんとお話ししたいよ。魔女様じゃないのに薬を作れる人がいるなんて、知らなかったもん」

 けれどライメは不満そうです。

「お祭りにいけなくなるぞ。薬草の本も買ってもらえないぞ」

「それでもいいよっ! だって、今帰ったらもうナリッサさんとは会えないでしょ。ここは魔女の岬なんだから」

「ライメは馬鹿だな。岬に来たってばれたらもう来れないよ」

「そしたら大人になるまで待つだけだもん。岬に近づいちゃいけないのは子供だけでしょ。ねえナリッサさん、わたしが大人になったら、薬の作り方を教えてもらえませんか?」

 ライメはナリッサの服の裾をぎゅっと掴みました。きらきらした目で見上げられたナリッサは、困ったように首を傾げます。

「……その『魔女様』というのは、いったい何なのですか?」

 ライメがぱっと裾を離して跳び上がりました。

「ナリッサさん、魔女様を知らないの? 魔女様はね、とっても心優しくて、皆のために薬を作ってくれて、むかしむかしに海から流れてきた遠い国の王子様と恋に落ちて結婚して、海にいたこわーい怪物を一緒に反省させて守り神様にしてくれたんだよ!」

「なあ、ライメ……」

 ロイトが口を挟んでも、ライメは止まってくれません。

「でも魔女様は子供が嫌いだから、わたしたち本当は岬に近づいちゃいけないの。あと、外の人が知ったら怖がっちゃうから、外の人に魔女様のことを話すのも駄目なんだって」

「……なるほど」

 ナリッサが頷きました。ロイトは驚いて、鳥籠を持っていない方の手で勢いよくナリッサを指差すと声を張り上げました。

「ライメ、もう帰ろうよ! このおばさん嘘ついてたんだ。さっき知らないって言ったのに、今知ってそうだった!」

 ライメも負けじと大声を出します。

「お兄ちゃんうるさい! ナリッサさんは魔女様みたいに、子供が嫌いじゃないでしょ。そうですよね、ナリッサさん?」

 甲高い大声に思わず耳を押さえて、ナリッサはまた頷きます。

「ええ、まあ。その……ロイトさん」

「な、なんだよ!」

 ナリッサが近づいてきたので、ロイトは後退りをしました。

「私はお二人が魔女と呼ぶひとのことを知っていたのです。ですがそのひとが魔女と呼ばれていることを知りませんでした。ライメさんに教えてもらって、ようやく分かったのですよ」

「えっ! ナリッサさん、魔女様とお友達なの?」

 ライメが嬉しそうに聞きました。ナリッサは曖昧に微笑みました。

「……まあ、そのようなものです」

「素敵! わたしが大人になったら、紹介してくださいね」

 ライメはうっとりと遠くを見つめました。

「構いませんが……ライメさんの話とはずいぶん違うひとですよ」

「えっ?」

 きょとんとしたライメに、ナリッサが腰を折って顔を覗きこみ、言い聞かせるように話しはじめます。

「魔女は人が嫌いでした。外の人にずっと怖がられて生きてきたからです。怖がられて、酷いことを言われて、時には暴力を振るわれて、それで人を好きにはなれないでしょう?」

「……でも、この町の人は平気だったんでしょ?」

 ナリッサは悲しそうに首を横に振りました。

「この町の人も昔は、外の人とだいたい同じでしたよ。でも……魔女はカーリのことだけは大事に思っていました。きっと、そうです」

「カーリ、って?」

「魔女と一緒にこの町へ来た女の人です。その人も住んでいたところで酷いことをされて、だから魔女はカーリを旅に連れ出したのです。いつの間にか、カーリは魔女のことを姉さんと呼んでいました。魔女は初め少し戸惑っていたらしいですね」

 ナリッサの表情が少し柔らかくなりました。

「素直ではありませんでしたが、優しい子だったそうです。魔女がこの町の人に薬を作ったのも、海の怪物を倒そうとしたのも、全部カーリに言われてしたことです」

「……じゃあ、王子様のことは?」

「拾って助けたのは本当です。でも、ずっと変な人だと思っていたそうですよ。人と仲良くなるのが本当に上手な人で、町の人ともすぐ友達になり、人が嫌いな魔女とも、時間はかかりましたがなんとか仲良くなりました。魔女が町の人のことを嫌いではなくなったのも、彼の友達の友達としてでした」

「恋は? 恋はしてたの?」

「さあ、それはどうでしょうね。私は、魔女は恋などしていなかったと思います。確かに、海の怪物は一緒に倒しました。その後もずっとふたり一緒でした。でもそれが『恋』かというと……」

 ナリッサもライメも悩んでしまいました。ロイトはライメの方に歩いて行くと、その腕を掴んで言いました。

「なあ、ライメ……もういいだろ。おばさん、おれたちそろそろ父さんのところに鳥を連れて帰らなきゃいけないんだよ。じゃないと父さんが困っちゃう。話はその辺にしてくれないか?」

 ライメは手を振り払いました。

「えっ、やだよ! まだ薬草の話してないもん!」

「それはライメがずっと魔女様の話ばっかり聞いてたからだろ!」

「ライメさん、薬草の話はまだ難しいですから……」

 ナリッサが困ったように言いました。ロイトは手を振り上げます。

「そうだそうだ! ライメはまだ子供なんだから、聞いたって分かんないだろ!」

「そう言うお兄ちゃんだって子供じゃない!」

「なんだよ、ライメのくせに!」

 子供と言われては我慢できません。ロイトは振り上げていた手を握りしめてライメを殴りました。ライメも思い切りロイトを引っ掻いて、ナリッサが慌てた、その時でした。

 ナリッサの家のドアがノックされて、がちゃりと開きました。

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