第26話「固まったもの」


『……深月?』



僕が二階の寝室までスマホを持って上がる間、コール音が止むことはなかった。


一度深呼吸してから通話をはじめると、いつものように平坦で小さい、けれどキレイな由里ちゃんの声が聞こえてきた。



「…待たせてごめん。久しぶりだね、由里ちゃん。」


『……うん。』



電話越しに、微かに由里ちゃんが笑ったような気配がした。

けれどもそこから、会話はなかなかはじまらない。




「…えと。」


「…深月。」



僕と由里ちゃんの声が重なった。

僕が譲る前に、由里ちゃんが聞いてくる。



『……先に、いい?』


「…うん、もちろん。」



そもそも、由里ちゃんから掛けて来た電話だ。

彼女から用件を言うのは当たり前の事で、それが今は少し有り難かった。



由里ちゃんは静かに深呼吸をして、それが終わると意を決したように口を開いた。



『深月…、ごめんなさい。』


「……。」



真っ直ぐな、由里ちゃんの謝罪。

僕はそれをどう受け取ったらいいのか、分からなかった。

そのまま、由里ちゃんは続ける。



『お家のこと、みんなの勉強、陽葵のこと……。全部、深月に押し付けてた……。』


「それは、違うよ。」



僕は由里ちゃんが謝罪した内容を、否定する。



「全部、僕が引き受けた事だ。」


『……違わない。』



由里ちゃんの声音に、必死さが滲(にじ)む。



『私は、芙実ちゃんと仲良くなれた。勉強も深月ほど上手じゃないけど、教えられる。陽葵も、私の友達……。』


「それでも!」


僕は由里ちゃんに訴える。



「僕が勝手にして、由里ちゃんにも負担させただけだ。……由里ちゃんは、みんなに勉強を教えたかった?陽葵さんの喧嘩の仲裁を、したかったの?」


『……。』



由里ちゃんの言葉が止まる。




——そうじゃない。僕は、こんな事を由里ちゃんに言いたかったわけじゃないんだ。



そう思うのに、それを伝える言葉が出てこない。

僕は自分の未熟さを呪いながら、これだけは言わなければと口を開く。



「…由里ちゃん、ごめんね。僕は、やっぱり君が思ってるような人間じゃ、……なかったよ。」


『……。』




震える声で、なんとかそれだけ絞り出した。

僕が言えることは、もうない。



大きく息を吐き出して、『……終わった。』と思った。





『……うん、違うかった。』



「……。」



由里ちゃんが、僕の言葉を肯定した。

次に続くのはきっと、告白の取り消しか別れの言葉だろう。



そう覚悟して、僕は目を瞑った。





『深月は、私が思ってたより…、ずっと素敵だった。』



「……え?」



予想外の由里ちゃんの言葉に、フッと肩に入っていた力が抜けた。



『深月は、とっても優しい。自分の為じゃなくて、他のみんなの為にいっぱい悩んでる。』


「……。」




由里ちゃんの言葉は、どこまでも素直で、恥ずかしがる暇もなくスッと心に溶け込んだ。



『だけどね……、それで深月が苦しんでるのは、とっても悲しい。……私が、悲しいの。』



由里ちゃんの声も震えていて、泣いているのがわかった。



『だから……深月。私にも、分けて。私になら、いいんだよ。』


「……うっ。」



涙が、溢れて来た。

立って居られなくなって、僕はドアにもたれて座り込んだ。








「……ごめん、もう大丈夫だよ。」



あんなに泣いたのは、久しぶりだ。

記憶にある中では、初めてかもしれない。


女の子に電話越しで慰められて大泣きする男だなんて、格好悪い事この上ないけれど……、僕の気分はスッキリしていた。



『……。』


「由里ちゃん、聞こえる?」



反応のない由里ちゃんに、通話が切れてしまったのかと思って確認した。



『……うん。』



その声音だけで、由里ちゃんの不満そうな様子が伝わって来た。



「ど、どうしたの?」



ちょっと呆れられたかと、焦りながらそう聞く。

けれど……。




『……深月を撫でてあげたい。』



「ふっ…ふふっ。」



やっぱり由里ちゃんはこういう子で、僕は心底安心して笑った。



「あはははっ。」



ひとしきり、笑い終えると僕は由里ちゃんに言った。



「……うん、僕も由里ちゃんに撫でてもらいたいな。」


『……会いに行って、いい?』



由里ちゃんの提案を、僕は受け入れた。



「うん。でも、今はみんなが勉強しに来てるんだ。……それでも、いい?」



僕が何を言いたいのか、すぐに由里ちゃんは察してくれたみたいだった。



『……うん、いいよ。』



その僕を肯定してくれる言葉に、僕は救われる。



「……もうちょっとだけ頑張るから、力を貸してくれる?」



そう聞くと、由里ちゃんはとびきり元気な声で答えてくれた。



『うん!深月には、私がついてるから。』












「あっ!やっと降りて来たね。」



僕がリビングに戻ると、もうみんな昼食を取り終えていた。




「ごめんね、遅くなって。」


「ラーメンもう伸びてるぞ。食えるか?」



あぁ、そういえばカップ麺にお湯を入れてから、由里ちゃんと話してたんだった。

完全に忘れてた。



「ううん。後で片付けておくから、今はいいかな。」



御影くんにそう答えて、僕は彼の前に座った。



「…どうした?」



僕が御影くんを見ていると、不思議そうに彼が首を傾げた。



「うん、ちょっとね。御影くんに陽葵さんの事で話しがあるんだけど、いい?」




「お、おいっ!深月っ!」



その僕の問い掛けに、焦った声を出したのは律人だった。

それもそのはずで、律人とはこの件はテストが終わるまでは置いておこうという話になっていたから。

僕は律人に悪いと思い、『ごめん』と手を縦に上げて軽く頭を下げた。




「……なんだよ?」



明らかに警戒した様子の御影くんの言葉で、一気にあの日の放課後のように空気が張り詰めるリビング。



「陽葵さんと、仲直りするつもりはない?」


「はっ!」



僕の質問を、鼻で笑い飛ばす御影くん。



「そんなもん、この間ので不可能だってわかっただろ?あいつが居ても、邪魔なだけなんだよ。」



『何を言い出すかと思えば』と、御影くんはここで話しを終わらそうとした。

でも僕も引かないし、引けない。



「それは、質問の答えになってない。」


「あ?」



僕を睨む御影くんの目を真っ向から受け止めて、僕は聞いた。



「僕は、御影くんの気持ちを聞いたんだ。陽葵さんと、仲直りしたくはないの?」


「だっ、誰があんなやつと。…つぅか、ウゼェんだよ!武庫じゃなかったら、もうぶん殴ってるぜ。だからもう、引っ込んでろ!」



少しだけ御影くんの返答が鈍ったのを、僕は見逃さなかった。

それに、早くこの話題から逃げようとしているようにも感じる。


だから……。




「逃げるなよ。」


「…ッ!?んだとコラッ!」


ガシャッ!



「きゃあっ!」


「ちょっ、ちょっと落ち着けって!深月も煽るんじゃねぇよ!」



リビングにあるテーブルの上に乗って、御影くんが僕の胸倉を掴むと、慌てて律人が御影くんにしがみついて抑えた。


今にも殴りかかって来そうな目で、御影くんが僕に迫る。

けど、律人との付き合いでこういう事に慣れている僕は怯まなかった。



「仲直りしたいなら、そう言えばいいだろ。」


「だ、誰がそんな事、頼んだんだよ!関係ねぇんだから放っとけ!」



全く引かない僕に、御影くんの方が気圧される。

こういう相手に引いちゃダメだと、僕は知っていた。



「関係なくない。友達が悩んでるなら、力になりたい。……きっと、みんなそう思ってる。」


「ばっ…!」



僕の言葉に、ついに僕から視線を外した御影くんは、心配そうに僕達を見ていたみんなに気付いたようだった。




「お前らも、そう思ってんのか…?」




御影くんの問い掛けに、律人が答える。



「…当たり前だ。お前、入学してすぐの時に仲直りしようとしてただろ。」


「違っ…、あれは……!」


「失敗して揉めてたみたいだけどな。……ったく、そん時に素直に謝っときゃ良かったんだ。」


「違うって言ってんだろ!」



御影くんの叫びに、もう恫喝するような雰囲気はなく、ただ恥ずかしがっているだけに感じた。




「本当だよー。でも、今からでも遅くないって、私は思うよ?」



園田さんがそう言って、完全に場の空気が緩んだ。

それに続いて、みんなが思っていたことを御影くんに伝える。



「駿は不器用だからな。意地になると、引かねえし。」



「ふふっ、確かにそうかも。でも、今回は大丈夫だよね。」



住吉くんと洲崎さんにも一言もらって、御影くんは完全に毒気を抜かれたようでドカッと座り直した。



「チッ、お前ら好き勝手言いやがって……。謝ればいいんだろ!?」


「うん、ちゃんと陽葵さんと仲直りしてくれる?」


「……そう言ってんだよ。」



拗ねた反応だがちゃんとそう約束してくれた御影くんを、みんながホッとした様子で見守る。



その時……。



ピンポーンッ





「ん?深月、誰か来たぞ?」


「うん、いいタイミングだったね。」



僕は笑いながら、来客を迎える為に立ち上がった。



「おい。いいタイミングって、まさか……。」



御影くんが察して、愕然とした顔で僕を見上げた。

それに僕は笑顔で答える。



「早い方がいいでしょ?御影くんには早速、約束を守ってもらおうと思って。」



僕はそう言い残して、玄関に向かった。

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