第24話「お姉さんとの遭遇」


土曜日になっても、私の気持ちは沈んだままだった。

何度となく深月に謝罪のメッセージを送ろうとはしたけれど、ついに送信ボタンを押す事は出来なかったのだ。



そして、深月からメッセージが届くことも……。



「……ん。」



あの日から、ずっと同じことばかり考えてしまっている。




——私は、深月に嫌われてしまったのではないか。私は、深月にとってお荷物なだけで邪魔な存在ではないか、と。




いつもその思考に陥っては逃げるように考える事をやめ、結局何か行動を起こす事もなく、また同じ思考を繰り返す。



ただ頭はすっかり疲れてしまっているようでも、毎日の習慣というのは恐ろしく、朝いつもの時間とさほど変わらない時間に目を覚ました。



(散歩、行こう……。)



こんな気分で家の中にいても、たぶん外に出ても気分転換などできるはずもないが、ただ何となく春休みから続く休日の日課として、私は出掛けることにした。






「……。」



外に出た私が、公園に足を向けることはなかった。

ただ深月が送ってくれた道を歩くだけで泣きそうなのに、公園にまで行ってしまえば私はきっとは動けなくなるから。



別のアテもなく、ただ彷徨うように歩く。


深月と初めて会った時の事や、芙実ちゃんと一緒に遊んだ時の事を、昔を懐かしむような感情で思い出していた。



「……深月。」



ポツリと、彼の名前を呼ぶ。

たった2日と少しくらい顔を合わせてないだけなのに、なんだか彼が遠くに行ってしまったように感じる。



(……ダメだ。)



幸せで、大好きだった彼との思い出が、今は私を苦しめる。

それらを必死に振り払うように、私は早足で歩いた。





(……あれ、もう駅?)



気付いたら1人で来る事を敬遠していた、駅前まで来ていた。

そこまで大きな駅ではないが、駅の利用者とスーパーなどの周辺のお店で買い物する人がいるからか人通りはそこそこ多い。



(……帰ろう。)



自分の居場所がない確認をするために散歩していたわけではないのだけれど、結果的にそうなってしまった。


虚しさを通り越して、自嘲して笑う。

その時……。



「あー、やっぱり由里ちゃんだ!」


「……え?」



私を覗き込む、小さな影。

その小さな身体は、容易に俯いた私と目を合わせた。



「由里ちゃん、こんにちは!」


「……こんにちは。」




そこにいた芙実ちゃんが挨拶をしたので、反射的に挨拶を返す。

けれどいつもと違う私の様子を察したのか、芙実ちゃんは心配そうに首を傾げる。



「どうしたの?由里ちゃんも元気ないの?」


「こらっ、芙実。急に走らないの!」



芙実ちゃんの問い掛けに答える前に、すぐ後ろから女性が追いかけて来て芙実ちゃんを注意した。



「だって由里ちゃんが居たんだもん……。」



手を繋がれた芙実ちゃんが不満を漏らすと、その女性も私を見た。



「由里ちゃんって…。すみません、もしかしてあなたが久寿川由里さん?」


「……はい。」



芙実ちゃんと出会った驚きを処理し切れていないまま、私はその女性に返事をした。

無愛想な私の回答を気にした様子もなく、その女性は笑う。



「あら、こんな所で会うなんて奇遇ね。はじめまして、私は芙実の母の芦屋 琴音(あしや ことね)です。弟の深月と芙実がお世話になってるみたいで、ありがとう。」



丁寧に頭を下げた後、私と顔を合わせた琴音さんの微笑みは、深月ととてもよく似ていた。









「ごめんなさいね、時間取らせちゃって。」


「……いえ。」



自己紹介を済ませると、琴音さんにやや強引に昼食に誘われた。

……その押しの強さは深月にはないもので、口下手な私でなくても断わる事は困難だろう。



流されるように買い物を手伝って、ファミレスへと誘導される。



「好きなの頼んでいいから、遠慮しないでね。」


「……ありがとう、ございます。」



琴音さんと芙実ちゃんが隣に座り、向かいに私が座った。

芙実ちゃんは琴音さんにメニューを見せてもらって、あれがいいこれがいいと言う度に琴音さんに食べ切れないでしょ、とやんわり却下されている。



「芙実、これにしときなさい。」


「えぇー!それなら芙美、由里ちゃんと一緒のがいい。」



お子様ランチメニューを勧める琴音さんだったが、芙実ちゃんは不満のようだ。



「……芙実ちゃん、私の少しあげるから。」


「うぅん、…わかった。じゃあこれにする。」



なんとか芙実ちゃんを納得させる事が出来て、琴音さんは私に『ごめんね』と小さく謝った。







「……芙実ちゃん、なんだかいつもより我儘ですね。」


注文を終えてもメニューを眺めている芙実ちゃんを見て、何気なく思っていた事が口に出た。



「ん?そうかしら?」


「……すみません。」



首を傾げる琴音さんに、失礼だったと気付いて謝る。

しかし、琴音さんはむしろ嬉しそうに言った。



「いいのよ。私も、一応この子の母親だからね。深月や由里ちゃんよりも甘えてくれてるなら、ちょっと安心かな。」


「……安心、ですか?」



私の質問を、琴音さんは肯定する。



「そうね。由里ちゃんは知ってると思うけど、ウチは芙実のことを深月に任せる事が多くて、芙実も深月にはよく懐いてる。けど私の前にいる時よりも甘えてるなら、それは私にとっては寂しいの。」



『勝手でしょ。』と、自嘲するように琴音さんは笑った。



「寂しい……。」



なんだろう、何かが私の胸に引っかかる。



「由里ちゃんは、甘えられる人はいる?」


「……え?」



琴音さんが組んだ腕を机に乗せて、前屈みになって聞いてきた。

しかし琴音さんの質問の意味がわからず、聞き返してしまう。



「……深月はね。小さい頃からあんまり人に甘えない子だったの。」


「……。」



さっきの質問とは、少し外れた事を話し出す琴音さん。

昔を思い出しているのか、琴音さんは懐かしむように目を細めた。




「そういう環境だった、って言えばそれまでなんだけど。……だから、ずっと一緒にいた私にさえ、あの子はほとんど弱音を吐いた事はないわ。」


「……。」



琴音さんにそんなつもりはないのだろうが、深月に頼られながら気付かなかった私には、それを責められているように聞こえた。



「私は……。」



『深月の隣に立つ資格がない。』そう言おうとしたけれど、ツラくて上手く言葉にできない。

途中で言葉を止めた私に続きを促す事なく、琴音さんは話す。



「深月にはね、歳上でしっかりあの子の手を引いてあげられるような人が合ってると思ってた。」


「……!」



自分に当てはまらない、琴音さんが姉として深月のパートナーに望む条件を言われて、胸が痛む。


しかし、続いた琴音さんの言葉はとても意外なものだった。



「けどあの子、……深月が、あなたといると凄く楽しそうなのよねぇ。」



そう言って、優しく微笑む琴音さん。



(深月が、私といると……?)


それが今の私には想像し難くて、目を瞬(しばたた)かせる。




「……ほらっ、由里ちゃんが芙実と遊んでくれた日があったじゃない?あの日なんて、すっごくわかりやすく機嫌がよかったわ。」


「……。」


「だからね、その時思ったの。一歩先を歩いてくれる人じゃなくたって、一緒に歩いて…お互い成長し合えるような人でも、いいんじゃないかなって。」



「……一緒に、成長。」



少しずつ、琴音さんの言葉が私の心に染み込んでいく。



「…私に、できますか?」



つい弱音を吐いてしまった私に、琴音さんは困ったように笑った。



「それはまだわからないわね。あの子も甘え下手だから、すぐにはきっと難しいわ。……だから、今はいっぱい由里ちゃんが甘えておけばいいと思うわよ。そしたら、深月も自然と甘えたくなる時があるかも知れないから、その時に力になってあげて。」



「深月が、甘えたくなる時……。」



それがまさに、この間だったのではないか。

再び、私は後悔の念に駆られる。



「……もしかして、もう心当たりがあるのかしら?」


「……はい。」



琴音さんが、とても意外そうに目を見開いた。



「本当に?……いえ、疑ってるんじゃないんだけど。」



私はそれに、正直に答えた。



「…はい。……でも、私は自分のことばかりで……、深月の力になれませんでした。それで、深月を、怒らせてしまって……。」



また私は泣きそうになり、それを隠すために顔を伏せる。

すると、琴音さんが優しい声で言った。



「そうなのね……。けど、私は深月が怒ったってことは、充分由里ちゃんに甘えてるのだと思うけど。」



「……そう、なんですか?」



私は琴音さんが言っている意味がわからず、半信半疑で顔を伏せたまま聞いた。

すると、琴音さんが私の手を握ったので、私は反射的に顔をあげる。




顔を合わせた琴音さんは、瞳いっぱいに涙を溜めた私に『そうよ』と確信を持っているように頷いて見せた。



「由里ちゃん。深月だって完璧じゃないわ。特に自分の事には鈍くて、背負い込みすぎてても気付かない。」



琴音さんが真剣な目で、私に訴えるように語りかける。



「だからあの子とちゃんと話して、由里ちゃんには深月が甘えられる人になって欲しいの。それで、少しずつでいいから、あの子に甘え方を教えてあげて。」



私にも、深月に教えられる……?




「……私で、いいんですか?」



自信なさげに聞き返した私にも、琴音さんは胸を張って答える。



「えぇ。だって私が知る限り、今その位置に1番近いのは由里ちゃんだもの。それに私、由里ちゃんならできると思うから。……私の勘ってよく当たるのよ?」


「……勘、ですか?」


「えぇ!」



少しの間、ポカンと琴音さんを見ていると、彼女は悪戯っぽくウィンクをした。



(可愛い、人だな……。)



素直に、そう思った。

けれど、やっぱりどこか大人っぽくて。


琴音さんの勘は何の根拠もないようで、色んな裏打ちがあるんだろうなと、安心感を私に与えてくれた。


自分に自信があるわけじゃない。

けど自信満々な琴音さんが可笑しくて、つい笑ってしまう。


不思議と琴音さんができるって言ってくれたから、私にできるんじゃないかと、そう思えてきたのだ。




そうだ、どうやったって失敗は戻らないのだから、深月とちゃんと話そう。

そして謝ったら、今度は私に甘えていいよって伝えよう。

きっと深月は受け入れてくれるし、もしダメって言っても、抱き締めて時間を掛けてそうなってもらおう。



琴音さんと顔を見合わせて一通り笑って、一気にモヤモヤが晴れた私は言った。



「……私も、深月に甘えます。」


「えぇ、いいと思うわ。」


「それで……、いっぱい甘えてもらいます。」


「うん。あなたたちなら、お互いを支え合えるいい恋人同士になれるわ。」



もう私達が恋人同士のような話し方をする琴音さんに、クスッと笑ってから訂正する。



「……私達、まだ友達です。」


「あら、そうだった?」



私は、笑みを濃くして言った。




「結婚を前提に、…お友達になりました。」




今度は琴音さんが目を瞬かせたあと、吹き出した。



「ふふっ、なぁに?それ、詳しく聞かせて欲しいわ。」


「ねー、何のお話してるの?」



楽しそうに話す私達の声に反応したのか、芙実ちゃんがメニューから顔を上げる。


その後は深月に告白した時の話をして、琴音さんにさらに気に入ってもらえたみたいだった。



食事をしながら、芙実ちゃんも交えて深月の事を色々教えてもらった。

また琴音さんの家にお邪魔させてもらう約束と、連絡先の交換をして2人と分かれた。




その帰り道、気分が晴れると彼の声が聞きたくなり、スマホを開いて躊躇う事なく発信ボタンを押した。

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