第16話「調子がおかしい」


「……ふぁっ。」



朝学校について自分の席に座り、僕は大きな欠伸(あくび)をした。



(昨日は、よく眠れたなぁ……。)



元から眠りは深い方だが、昨晩はさらにグッスリ眠れた気がする。

ただ、その眠気を引きずっていて、学校に着いてもまだ眠い。



(由里ちゃん、どうしてるかな……。)



昼休み、放課後と由里ちゃんと過ごす事の多い僕は、次は朝に一緒に登校したいと言われるのではと思っている。



——いや、『期待してる』の方が正しいのかも。



少しずつ、僕の日常に由里ちゃんが溶けこんできていて、僕にはそれが嫌じゃない。



そうやって由里ちゃんの事を考えていると、また昨日抱き合っていた時の事が浮かんできて、僕は顔が赤くなるのを隠すように机に突っ伏した。







いつものように由里ちゃんと会うため、僕は昼休みに入るとすぐに食事をはじめた。



(あれ、なんだろう?)



その時に、自分の気持ちに違和感を感じる。

なんていうか、少し慌てすぎじゃないだろうか。

ゆっくり食べようと頭では考えていても、なんだかソワソワと落ち着かない。


それは今だけじゃなくて、移動教室やトイレに立った時ですら、誰かを探してしまっていた。



その誰かは、由里ちゃんなのだが……。



(会って、どうする?何か用事があるわけでもないのに……。)



用事はないし、昼休み以外で見かけても、いつもお互い会釈するくらいで話し込んだりはしない。

けれども無性に由里ちゃんに会いたくて、僕は意識してゆっくり食べたつもりだたのに、いつもより早く席を立った。








「……深月、早い。」


「うん、今日は早く食べ終わっちゃって。」



音楽準備室で会う時は、ほとんど由里ちゃんが先に待っている。

しかし、今日は由里ちゃんが遅れたわけでもないのに僕が先にいたので、驚かせてしまったようだ。



「座って?」


「……うん。」



いつものように、対面に置いた椅子に由里ちゃんが座る。



「今日は、陽葵さんは?」


「……。」


「そっか…。」



来ないのだろう、由里ちゃんが首を振った。

それから、何故だが緊張してしまって言葉が出てこない。


少しの沈黙の後、口を開いたのは由里ちゃんだった。



「…深月、昨日はありがとう。すごく、楽しかった。」


「あっ…、うん。僕も楽しかったよ。また芙実とも遊んであげてね。」


「……。」



僕の言葉に、由里ちゃんが何か考えている風に黙った。



「どうしたの?」


「……芙実ちゃんと遊ぶのは、楽しい。」


「そうだね。」



僕が頷いて、肯定する。

でも由里ちゃんは、少しだけ不満そうに言った。



「……でも、深月と2人きりでも遊びたい。」


「っ!」



相変わらず向けられる、由里ちゃんのストレートな好意に息が詰まる。

僕は、次の言葉が出てこなかった。



「……深月は、いや?」


「そんな事ないっ!」


「……!」



不安そうに聞いてきた由里ちゃんに、思わず強く否定してしまう。

いきなり大きな声を出してしまったので、由里ちゃんがビクッと体を震わせて驚いた。



「ごっ、ごめん!驚かせちゃったよね?」


「……大丈夫。」



そう言って、由里ちゃんは心配そうに僕を見つめた。



「…深月こそ、大丈夫?今日、なにか変。」


「いやっ…、あの……。」



じーっと見てくる由里ちゃんの視線から、逃れるように顔を逸らした。

けれども、由里ちゃんは引かない。

僕は観念したように、小さく息を吐いた。



「…ごめん。上手く説明出来ないんだけど、なんだか緊張しちゃって。」


「緊張…?」



僕は、首を傾げて聞き返してきた由里ちゃんに頷く。



「そうなんだ。なんだか落ち着かなかったり、緊張したり、今日は変なんだ。」


「……。」



そう言って『なんでかなぁ』と頭を掻く僕に、ズイッと由里ちゃんが身を乗り出して距離を詰めてきた。

何故か、目を輝かせているようにも見える。



「…緊張するのは、ずっと?」


「うっ、ううん。今以外は、緊張って言うより、そわそわするって感じかな。」



僕は由里ちゃんが近づいた分、上半身を反らして距離を開けた。

けれど由里ちゃんは席を立って、さらに寄って来る。



「……今は、緊張以外に感じる?」


「えっ?うーん、気恥ずかしさみたいなのが、ちょっとあるかも。」



続けて、由里ちゃんが聞く。



「……誰かが、思い浮かぶ?」


「……そ、そうだね。」




そう答えると、由里ちゃんの目が開かれ、口元は緩み感動しているように半開きになった。

珍しい由里ちゃんの表情に戸惑っていると、ガシッと由里ちゃんが僕の両肩を掴む。



「なっ、なに?」


「……深月。私、それ知ってる。」


「え、知ってるって…?それに、なんでそんなに嬉しそうなの……?」



いつになく押しの強い由里ちゃんに、焦る僕。



「……教えて、欲しい?」


「それは…、気になるけど……。」



正直、僕の事より由里ちゃんの様子の方が気になったが、とりあえず頷いておく。



すると、由里ちゃんは顔を近づけてきた。



「ちょっ…!ちょっと、由里ちゃん!?」



驚く僕に、由里ちゃんは平然と言った。



「…きっと、こうすればわかる。」


「なっ…!?」



もう話す必要はないといった感じで、由里ちゃんは目を瞑(つぶ)った。

これは多分、昨日の続きをしようとしているのだろう。



『逃げなきゃ…。』



そう思うのに、僕の体は石になってしまったかのように動かなかった。


そうしている間にも、ゆっくりと由里ちゃんの顔は迫っている。

僕は痛みの衝撃に備える時のように、キツく目を閉じた。



そして……。



ガラッ


「由里、お待たせー!先生の用事が早く、終わっ…て……。」



勢いよく開かれたドアに、僕と由里ちゃんはギョッとし揃ってそっちを見た。



「……なにしてるの?」



場が凍りつくような低い声で、陽葵さんが言った。



「えっ…えっと……。あはは…こんにちは、陽葵さん。今日は来れないって聞いたけど、間に合ったんだね。」



僕は誤魔化し笑いを浮かべて、肩に乗った由里ちゃんの手をサッと下ろした。

由里ちゃんも不満そうにしながらも、体を引いて僕と距離を開けた。



「……なに、してるの?」


再び、同じ質問を重ねる陽葵さん。

今の彼女の表情は般若に見えた。



「こ、これは…。そう、由里ちゃんの冗談だよ!冗談…。」



「そう、冗談ネェ…。」


「そ、そうだよ。由里ちゃんって意外とお茶目なところあるよね。あはは…。」


「そうね、ふふふ…。」


「ははは…。」

「ふふ……。」





「そんなわけないでしょう!」


「ごめんなさい!」



物凄い形相で僕に詰め寄る陽葵さんに、反射的に謝ってしまう。



それから、『付き合ってもないのにそんな事…!』やら『こんな所で…!』やら陽葵さんに散々怒鳴られた。



そんな僕達から、由里ちゃんは我関せずと言った風に視線を外したが、すぐに『由里ももっと自分を大事に…!』と矛先が変わり、しばらく教室内に陽葵さんの怒号が響き渡った。









「うーん、疲れた…。」


ホームルームが終わり、僕は大きく伸びをする。


来週末からテスト期間に入るとあって、この時期の授業が大切なのはわかっているが、どうにも身が入らなかった。


午前中、感じていた違和感はお昼以降だいぶ弱まったが、代わりに午後からは陽葵さんに怒られた疲労が溜まっていたようだ。



(明日からは、頑張ろう。)



今日は姉さんが早番なので、芙実の迎えは必要ない。

いつものように由里ちゃんに『こっちは終わったよ。今から…』と、メッセージを打っていた所で律人がやって来た。



「おっ、よかった。まだ居たか。」


「律人?」



約束もなく、律人が放課後にやってくるのは珍しい。

前の席に座って話す体勢の律人に、僕は意外に思いながらも話を聞いた。



「珍しいね、どうしたの?」


「いやぁ、ちょっと深月にお願いがあってな…。」



これまた珍しく、律人が申し訳なさそうに言った。



「勉強、教えてくれ!」



そう言って、手を合わせ頭を下げる律人。


「えっ、勉強…?」


「そう、来週末から中間だろ?それでそろそろ勉強しないとと思ってさ。」


「…ちょっと待って、由里ちゃんに連絡するから。」



僕は詳しい事情を聞くために、由里ちゃんへのメッセージを『少し遅れる』と打ち直して送った。




「……それで?律人にしては早くない?いつもは3日前からやればいい方だったのに。」



律人が1週間以上も前からテスト勉強をするとは考え辛く、僕は疑いの眼差しを向けた。

それに、今回は高校に入って最初のテストだ。

内容は難しくなったかも知れないが、範囲はそんなに広くない。



そう思っていると、律人が愛想笑いを浮かべながら言った。



「いやー、それがよ。俺の友達で引き受けてくれそうなのが、お前しか思いつかなくてさ。俺よりヤベー奴もいるし。」


「……そんなことないでしょ。」



顔が広い律人が、勉強を教わる相手に困るとは思えなかった。

僕は、さらに胡散臭さが増した律人を睨むと、律人は真剣な表情で言った。




「いや、これはお前にしか頼めないんだ!……おいっ、お前らも頼め!」


「へっ?お前らって…。」



教室のドアの方を振り返って律人が呼ぶと、男子2人、女子1人が教室に入ってくる。

さらに、教室にいた女子1人が加わり、席を立った律人を合わせて男子3,女子2の計5人が僕の前に並ぶ。



「頼むっ、深月!俺達を助けてくれ!」


「「「「お願いします!」」」



その5人が、一斉に僕に頭を下げた。

なんだかまた妙な事になりそうな予感を感じながら、僕は呆然と彼らを見回した。

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