第14話「由里ちゃんが来た・後」
「待たせてごめんね、由里ちゃん。」
「……大丈夫。」
リビングに戻ると、由里ちゃんはテレビも点けずにポツンと座っていた。
……なんというか、哀愁が漂っている気がする。
僕は芙実の手を引いて由里ちゃんの向かいに座り、芙実は僕の膝の上におさまった。
「芙実と話してて、由里ちゃんに聞きたい事が出来たんだ。」
「……なに?」
首を傾げる由里ちゃんに、緊張しているのが伝わってくる芙実の頭を撫でながら聞いた。
「僕と由里ちゃんって、春休みに公園で会ったことある?」
「……!」
僕の質問に、由里ちゃんがわかりやすく驚いて目を見開く。
僕はなんでこんな質問をしたのか、経緯を説明した。
「ごめん、僕は芙実に言われるまで気付かなかったんだけど、確かにそんな事があったなって……。」
「……。」
「それでね、それからも何度か由里ちゃんを見かけたから、芙実が気になってたみたいなんだ。」
「……そう。」
由里ちゃんは否定せず、どう答えるか考えるように視線を落とした。
そして、少し微笑みながら顔をあげた。
「…芙実ちゃんが覚えててくれて、嬉しい。」
「やっぱり、そうなんだね?」
「……うん。」
そう言うと由里ちゃんは自分のカバンから、あの時、僕が手渡したハンカチを取り出した。
「それは…。」
「……うん、深月がくれたの。私の…宝物。」
そう言って、由里ちゃんは大事そうにハンカチを胸に抱く。
「…芙実ちゃん、怖がらせて、ごめんなさい。」
由里ちゃんが芙実に向かって頭を下げる。
「…私、芙実ちゃんが羨ましかったの。素敵なお兄さんに、大事にしてもらっていて。…それに、同じくらいお兄さんも羨ましかった。」
芙実に優しく微笑む由里ちゃんの表情は、とても穏やかで、心が暖かくなった。
芙実ももう、怖がった様子を見せずに由里ちゃんの話を聞いている。
「…とっても可愛い芙実ちゃんに、懐いてもらってたから。……芙実ちゃん、私とも仲良くして欲しい。」
しばらく見つめ合う、芙実と由里ちゃん。
やがて芙実が確認するように僕を見上げたので頷いてあげると、膝から下りて由里ちゃんの隣に移動した。
「…いいよ?由里ちゃん、遊ぼう?」
「……うん!」
差し出した芙実の手を、とても大事そうに握る由里ちゃん。
すると、芙実がにへらっと笑ったのでつられて由里ちゃんも笑った。
笑う由里ちゃんの瞳は、涙で輝いていた。
「わぁっ!由里ちゃん、うまーい!」
「…ありがとう。」
由里ちゃんと芙実が一緒にお絵描きをはじめると、由里ちゃんが意外な才能を見せた。
朝にやっている女児向けアニメの絵を描く芙実を見て、由里ちゃんがそのマスコットキャラを描いたのだ。
塗り絵のそれを模写したのだろうが、本当に上手い。
「…芙実ちゃんも、上手(じょうず)。」
「え?そうかな?」
由里ちゃんに褒められて、満更でもなさそうな芙実。
「由里ちゃんの方が上手だよ?でもお兄ちゃんより、芙実の方が上手なんだー。」
「…ふふっ、そうだね。」
「勘弁して…。」
僕も一緒に、由里ちゃんとは別のマスコットを描いたのだが……。
うん、これはもう別の生物だ。…生物なのかも怪しいけど。
そんなそれぞれが描いた絵を、芙実があーだこーだと説明している。
それを由里ちゃんは、うんうんと相槌を打ちながら聞いてあげていた。
(本当に、一気に仲良くなったなぁ。)
仲の良い姉妹のよう、と言うと月並みすぎるが、少なくとも今日はじめて遊んだとは思えないくらい楽しそうに、2人は笑い合っていた。
それから3人でおやつを食べたり、芙実が由里ちゃんから絵のレクチャーを受けたりしていると、あっと言う間に時間は過ぎていった。
「芙実、そろそろ帰ろうか。」
「……や。」
芙実は今日、はしゃぎすぎてお昼寝していないので、今になってかなり眠そうだ。
それでも名残惜しいのか、首を横に振る。
「由里ちゃんには、また遊んでもらおう?今日はありがとうって、しておいで。」
「……うん。」
もう一度、声を掛けると今度は小さく頷いて、由里ちゃんの方へ向かっていった。
そのまま、由里ちゃんの前で両手を広げる。
「……!」
「由里ちゃん、抱き締めてあげて。」
「……うん。」
戸惑っている由里ちゃんにお願いすると、由里ちゃんはゆっくりと優しく、芙実を包みこむ。
芙実の方も、由里ちゃんにしっかりと抱きついていた。
「…由里ちゃん、また遊んでね。」
「……うん、私も芙実ちゃんとまた遊びたい。」
「絶対だよ?」
「…うん、約束する。」
そう言葉を交わして、2人は離れる。
僕の方へ戻って来た芙実の手を取り、玄関へと向かう。
「それじゃ、行ってくるね。」
由里ちゃんは僕が戻って来るまで、また家で待つらしい。
僕は芙実に靴を履かせて、玄関を出た。
「…お兄ちゃん、ちょっと待って!」
扉を閉めるのを、芙実が止める。
芙実は見送る由里ちゃんを振り返って、少し恥ずかしそうにしながら言った。
「…由里ちゃん、カレー美味しかったよ。また作ってくれる?」
「……うん!」
由里ちゃんが本当に嬉しそうに笑ったので、芙実は安心したように『バイバイ』と手を振った。
それに応える由里ちゃんの笑顔に、僕も笑みを浮かべつつ扉を閉めた。
「あらっ。芙実、寝ちゃったの?」
「うん、今日はお昼寝してなくて。しばらく寝かせてあげてくれる?」
帰り道の途中、限界が来た芙実を抱っこして姉さんの家まで運んできた。
出迎えてくれた姉さんが、芙実を見て愛おしそうに笑った。
「よっぽど楽しかったのね、ありがとう。」
「今日、僕は何もしてないよ。ずっと由里ちゃんが遊んでくれたんだ。」
「そうなの?」
芙実を下ろしてから、今日の芙実の様子を簡単に説明すると、姉さんはそれを楽しそうに聞いた。
「……私も、その由里ちゃんに会ってみたいわ。」
僕が話終わると、姉さんがそう言った。
「由里ちゃんもまた芙実と遊んでくれそうだったし、タイミングが合えば会えるんじゃないかな?」
「それは楽しみね。…深月も気に入ってるようだし。」
「まぁ、仲良くはしてるよ。」
姉さんのからかいを、僕は軽く受け流す。
でも姉さんは、さらに笑みを深めて言った。
「…深月、気付いてる?なんだか、これからはよく由里ちゃんが深月の家に遊びに来るような口ぶりだったけど。」
「そっ…、そんなことないだろ。」
慌てて否定したが、姉さんは全てわかっているかのような顔をして、僕を笑った。
僕は居た堪れなくなり、玄関へ向かう。
「もう行くよ。伸明さんにもよろしく。」
「あら、夜ご飯食べて行ったら?」
僕を引き止める姉さんに、言いたくなかったけど…。
「…由里ちゃんが、まだ待ってるんだ。」
「そう…、なら早く行ってあげないとね。」
予想通り、ニヤける姉さんを無視して靴を履く。
「…じゃあ、またね。」
「はい、気をつけてね。」
軽い挨拶を交わし、僕は由里ちゃんの待つ家に帰った。
家に着いて玄関を開けると、鍵の音で気付いたのか、由里ちゃんが出迎えてくれた。
「お待たせ、由里ちゃん。」
「……ううん、おかえり。」
「た、ただいま。」
なんだか夫婦のようなやり取りに、照れ臭くなってしまう。
2人でリビングに移動して、今朝のようにソファで並んで座った。
「色々とありがとう。疲れたでしょ?」
「……うん、でも楽しかった。」
普段はピシッとしたイメージの由里ちゃんが、今は気の抜けた表情でソファに深く座っている。
なんだか、僕だけがそんな由里ちゃんを知っているんだと思うと、ちょっとだけ優越感を感じた。
「まだ帰らなくて、大丈夫?」
「……あと、1時間くらい。」
時刻は17時前、日は傾いて来ているが1時間くらいなら大丈夫かな。
暗くなっていたら、僕が送って行こう。
「由里ちゃん、聞いても良い?」
「……なに?」
僕は芙実がいたから聞かなかった事を、聞いてみる。
「はじめて公園で会った日、なんで泣いてたの?」
「……。」
少し沈黙した後、由里ちゃんが口を開いた。
「……自分でも、よくわからない。」
「そっか…。」
気にはなったけど、そこまで深く掘り下げることもないかと話題を変えようとしたが、『でも…』と由里ちゃんは続けた。
「……芙実ちゃんに言ったみたいに、羨ましかったんだと思う。なんで私にはないんだろうって、すごく寂しかった……。」
「…うん。」
由里ちゃんの言葉に、僕は静かに相槌を打つ。
「だけど、深月がそれをくれた。…すごく、嬉しかった。だから深月が見たのは、私の嬉し涙。」
「…そうだったんだね。」
由里ちゃんが、僕に思いを寄せてくれている理由。
由里ちゃんが、僕を欲しがった訳。
——それを知って、僕はただ素直に嬉しかった。
「……深月。」
「うん?」
ふいに、由里ちゃんが僕を呼んだ。
「……私、頑張った。」
「うん、わかるよ。」
由里ちゃんが今日、芙実と仲良くなるためにとても頑張っていたのは、隣で見ていた僕にはよくわかっている。
「……褒めて。」
「…どうすればいい?」
由里ちゃんが僕に、芙実がそうしたように両手を広げて見せた。
「……。」
期待するような潤んだ瞳で、由里ちゃんが僕を見つめている。
「あっ……。」
僕は躊躇わずに、由里ちゃんを抱き締めた。
なんとなく、僕もこうしてあげたいと思っていたから……。
芙実と同じようで違う、暖かくて柔らかい感触が僕の腕の中に収まった。
「……よく、頑張ったね。偉いよ。」
「……うん。」
僕は頭を撫でながら、由里ちゃんを褒める。
「カレーも、よく出来てたよ。また、一緒に練習しようね。」
「……うん。」
由里ちゃんが僕に抱きつく力が強め、声を震わせ泣いている。
「芙実もすっごく楽しかったって、言ってた。ありがとう。」
「……うん。私も、楽しかった。」
芙実と遊んでいた時を思い出したのか、由里ちゃんが小さく笑った。
僕は由里ちゃんを撫でている方とは反対の手で、ぽんぽんとあやすように優しく由里ちゃんの背中を叩いた。
「……深月。」
「なに?由里ちゃん。」
由里ちゃんは震える唇を落ち着かせるように、大きく息を吐いてから言った。
「…私、もう羨ましくない。深月が、全部くれたから。」
「……由里ちゃん。」
由里ちゃんの言葉に、感動で心が震える。
「……深月、ありがとう。」
「…ううん。僕の方こそ、由里ちゃんと居ると楽しいよ。ありがとう。」
由里ちゃんが帰る予定だった時間を少し過ぎるまで、僕たちはずっと抱き合っていた。
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