第12話「由里ちゃんが来た・前」


「おはよう由里ちゃん。いらっしゃい。」


「……深月、おはよう。」



日曜日の朝の9時、由里ちゃんが家に着いた。

今日の由里ちゃんは紺の膝下スカートに、ゆったり目の白のブラウスの隙間からキャミソールが覗く、ちょっと大人っぽく清楚だけど動きやすそうな服装だ。

色合いも明るく、5月末の気温が上がってきた今に合った、おしゃれな服装だと思う。




「あがって。なにか飲み物でも入れるよ。」


「……。」



僕がそう勧めると、由里ちゃんは無言で両手を広げた。

……えっと、いきなりハグでも要求されてるのかな?


僕が戸惑っていると、由里ちゃんは少しだけムッとしたように言った。



「……どう?」


「あっ、あぁ。服装のことだね。昨日よりちょっと大人っぽいけど、由里ちゃんの雰囲気によく合ってると思うよ。」



勘違いを誤魔化しながら僕がそう褒めると、由里ちゃんは微かに嬉しそうに表情を緩めた。



「……ありがと。お邪魔します。」



あとで褒めようとは思っていたけれど、すぐに感想が欲しかったようだ。

たぶん、昨日買い物に行った時にはじめての私服姿を褒めたのがよほど嬉しかったのだろう。


昨日の由里ちゃんは今日よりもラフな格好だったが、流石は美少女。

素材が良ければ何を着ても似合う、と聞いた事があるが、まさにその通りだった。


そんな事を考えながら玄関を閉めていると、由里ちゃんが思い出したように言う。



「……深月も、格好いい。」


「え?…そうかな、ありがとう。」



僕の私服は黒のズボンに七分袖の水色のシャツだが、あまり私服を持っていないせいで若干色褪(いろあ)せている。

本人しか気付かない程度の痛みだとは思うけど……。


そんな風に服装を褒められるのははじめてで、少し照れる。

また久しぶりに買いに行こうかな、などと考えてしまう。



「……深月に服、選んでもらいたい。」


それを見透かしたように、由里ちゃんが提案した。



「そうだね、テストが終わったら本格的に暑くなる前に行こっか。」


「……楽しみ。」



僕の答えに、由里ちゃんは満足げに頷いた。










今日の予定は、昨日考えていたものより変更している。

それは伸明さんが家を出るのが11時前らしく、それまでに芙実を迎えに行けばいいから、思っていたより早く動く必要がなかったのだ。


そうなると芙実を先に迎えに行くとすると、由里ちゃんが来るのが遅くなってしまう。

それを嫌がった由里ちゃんは、昨日の買い物の後、僕の家の場所を教えていたのもあって、先に来て芙実を迎えに行っている間、ここで待っていることになった。



つまりは昨日に買い物を済ませる必要もなかったということなのだが、その事を謝ると由里ちゃんはむしろ2人で居れる時間が少しできたことを喜んでいるようだった。




「はい、どうぞ。」


「……ありがと。」



飲み物を入れて、由里ちゃんに出す。

自分の分を隣に並べて、僕もソファに座った。



「まだ1時間ちょっとは大丈夫そうだね。」


「……うん。」



芙実を迎えに行くまで、それくらいの時間がある。

料理以外で僕の家で何かする予定はなかったので、いきなり手持ち無沙汰になってしまった。



「あっ、テレビでもつけようか?」


「……。」


フルフルと無言で首を振る由里ちゃん。



「そ、そっか……。」


「……。」



カチっコチっと、普段は全く気にならない時計の秒針の音がやけに響いて聞こえる。

昼休みはなんだかんだで話せているのに、環境が変わると妙に緊張してしまって2人で黙り込んでしまった。



それに耐えられなくなったのは、やはり僕の方だった。



「由里ちゃんは、よく服を見に行くの?」


「……ううん。」


軽く首を振って、否定する。



「それにしてはおしゃれだよね。誰かに選んでもらったとか?」


「陽葵(ひまり)……。」



さっきよりも早い返答で、陽葵さんの名前を出す由里ちゃん。



「そうなんだ。陽葵さんとはよく出掛けるの?」


「……たまに誘われる。」


ちょっとずつ、いつものような会話に戻りつつ、芙実を迎えに行く時間を待った。







「へぇ、陽葵さんって本当に由里ちゃんの事、好きだよね。」


「……そう、かな。」


「うん、すごく大事にしてるように見えるよ。」



由里ちゃんから陽葵さんとの出会いや遊んだ時の事を聞いて、そんな感想を抱く。

普段の様子からもそれは現れていると思うし、何より僕との出会いが、由里ちゃんを心配した陽葵さんが怒鳴り込んで来たからだからなぁ…。


ちょっと暴走してしまったけど、由里ちゃんを大事に思っていることが全面に出ている陽葵さんを思い出して苦笑する。

そんな僕に、由里ちゃんから質問が飛んで来た。





「……深月は、私のこと大事?」


「えっ…?」



期待するような瞳で、横目で僕を見上げる由里ちゃん。


(あれ?この角度から由里ちゃんを見るのってあんまりないな…。)


いきなりな質問のせいか、的外れな方向に思考が飛んでしまう。

そのせいで返事が遅れ、由里ちゃんは無言で視線を逸らしてしまった。



「だ、大事だよ。その、すっごく大事な友達だから……。」



慌てて答える僕に、由里ちゃんがクスリと笑った。



「…深月、慌てすぎ。」


その横顔はとてもキレイで、思わず見惚れてしまった。



「……でも、まだ友達なんだ。」



今度はしっかり僕を見つめて、由里ちゃんが距離を詰める。

僕はそれでも、由里ちゃんの瞳から目を逸らす事ができなかった。





「……こうすれば、友達じゃなくなる?」




そのまま、由里ちゃんの顔が近づいてくる。

由里ちゃんが何をしようとしているのか、理解した瞬間、僕の顔は沸騰したように熱くなった。




「あっ!そろそろ迎えに出なきゃ!!」



由里ちゃんの吐息が感じられるくらいの距離まで来て、僕はワザとらしく立ち上がった。



「ちょっと急がないとだから、もう出るね!由里ちゃんはゆっくりしてて。」



バタバタと、リビングを出て行く僕。




「……意気地なし。」


リビングを出る直前、唇を尖らせた由里ちゃんが言った言葉を、僕は聞き取れなかった。








「お兄ちゃん、いらっしゃい!」


「深月くん、おはよう。」


「おはようございます。…忙しいところ、すみません。」


姉さんの家に着くと、芙実と伸明さんが出迎えてくれた。

芙実はすぐに僕に飛びついて来たので、受け止める。



「いや、話は琴音(ことね)から聞いてるよ。芙実がかなり無理を言ったみたいで申し訳ないね。」



琴音とは姉さんの名前だ。

伸明さんが僕にひっついたままの芙実を見て、寂しそうに笑いながら言った。



(なんだか僕が悪いことしてるみたいだなぁ…。)


伸明さんはもっと芙実に構ってもらいたいのだろうから、ギリギリに来たつもりでも罪悪感が湧いてくる。



そこで、姉さんが遅れてやって来た。



「深月、ごめんね。お友達、待たせてるんでしょ?早く行ってあげて。」


「せ、せっかく来てくれたんだし、もう少しゆっくりしてもらえばいいじゃないか。」


「そうもいかないでしょ。あなただってもうすぐ行かないとダメなんだし。ほらっ、芙実も鞄取ってきて。」


「はーい!」



恐らく伸明さんは僕にゆっくりしていってもらいたいんじゃなくて、芙実ともう少し一緒に居たかったのだろう。

だが、その願いは姉さんにあっさりと却下され、芙実もさっさと準備しに行ってしまった。



「……すみません。」


肩を落として、大きめの体格をしているのにシュンと縮こまってしまった伸明さんに声を掛ける。



「…いいんだ。」


そう言うと、伸明さんは顔をあげて真っ直ぐに僕を見て笑った。



「芙実を見ていると、深月くんに本当によくしてもらっているのがわかる。僕が不甲斐ないばかりに迷惑を掛けるが、もうしばらくよろしく頼むよ。」


その顔は娘を思う父親の顔で、こうやって真摯にお願いされるのが、なんだかこそばゆかった。



「…はい、僕なんかでよければ力になります。」



なるべく安心してもらえるよう、僕もそう言って笑いかけると、力強く頷く伸明さん。


その伸明さんとの男のやり取りを、姉さんは後ろで嬉しそうに見ていた。







「それじゃ、夕方には帰すから。」


「えぇ。芙実、お兄ちゃん達の邪魔しちゃダメよ。」


「気をつけてな、芙実。いってらっしゃい。」


「パパ、ママ。いってきまーす!」



芙実と手を繋いで、家を出る。

今から向かうことは由里ちゃんにメッセージで伝えたので、待っていることだろう。







「芙実。今日ははじめて会うお姉ちゃんがいるから、ちゃんと挨拶するんだよ。」


「…うん、頑張る。」


「僕もいるから大丈夫。一緒にお姉ちゃんに遊んでもらおうね。」


「…うん。」



家を出る時には元気だった芙実が、知らない人、由里ちゃんの話題を出した途端、緊張の色を見せる。

気後れしているのか、その内いつもより芙実は大人しくなってしまった。



(まぁ、芙実は人見知りだけど、1日一緒に遊べば慣れるだろう。)



この時、僕はまだ気楽にそんな風に考えていた。

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