第11話「訪問の前日」
それは由里ちゃんがはじめて家に来る前日、土曜日に芙実(ふみ)と姉さんが家に遊びに来ていた時のことだ。
「伸明(のぶあき)さんは、今日もお仕事?」
「違うんだけど、また来週から出張でね。準備もあるし、家でゆっくりしてるわ。」
姉さんの旦那さんで僕の義兄、『芦屋 伸明(あしや のぶあき)』さんは出張の多い仕事をしている。
そのせいで休みを移動や準備に取られる事も多く、僕も長期休暇の時くらいしか会わない。
「芙実、連れて来ちゃってよかったの?」
今は芙実がお昼寝しているので、姉さんとゆっくり話せている。
「いいのよ。芙実がいると、全然準備が進まないんだから。夕方までには終わってると思うから、それくらいに帰る方があの人にとってもいいの。」
それは、また……。
伸明さんは子煩悩なので、芙実をとことん可愛がっている。
それを知っているので、今は1人寂しく荷造りをしている姿が思い浮かんで、なんとも不憫な気持ちになった。
「……それにしても芙実、あんたにすっかり懐いちゃったわね。」
「うん、それはまぁ…。」
姉さんも看護系の仕事をしているので、休みは不定期だ。
姉さんが早番や休みの時以外は、芙実は僕と一緒にいる。
いくら芙実が人見知りとはいえ、まだ子供。
遊んでくれる相手だとわかると、懐いてくれるのは早かった。
「芙実はこの歳にしては大人しいし、そんなに手を焼かされる事もないから大丈夫だよ。」
「うーん、まぁそうなんだけどね。」
姉さんが悩みを打ち明けるように、話し出す。
「その大人しいのも、あの子なりに私達に気を使ってるのかなって…。」
「確かに、子供はそういうのに敏感だって聞くね。」
つい先日、ちょっとした僕の様子が違うことを察して心配してきた芙実。
賢い子だと言えばそうなのだが、我慢させてしまっているかも知れないことを思えば、親として不甲斐ない気持ちにもなるのだろう。
「……それに、あんたもね。」
「僕?」
この話の流れで、僕が出てくることに首を捻(ひね)る。
「そうよ。高校で部活やらなかったのも芙実の…、もっと言えば私達のためでしょ?変に気を使ってないでしょうね?」
「そんなことないよ。」
僕は首を振って否定する。
「部活は中学からそんなに良い成績だったわけじゃないし、走るのは好きだけどそれは部活じゃなくたって出来るから。」
「それにしたって、あんまり放課後遊びに行ったりも出来ないでしょ?」
「うーん、そうかも知れないけど、友達がいないわけでもないし…。」
僕に友人がいる事を聞いて、姉さんがちょっとだけ安心したように表情を柔(やわ)らげる。
「そうだったわね…。明日も、遊びに来てくれるんだっけ?」
「うん、朝から来るから1日一緒に居ると思う。」
明日に用事があることは、事前に姉さんに伝えていた。
「律人くん、だっけ?いい子そうよね。」
「あっ、う、うん。そうなんだけど……。」
僕が遊ぶ相手は律人が多くて、姉さんとも一度会った事がある。
その時の印象は悪くないようだが、今回は相手が違う。
「なにかあるの?」
遊ぶ相手までは伝えていなかったので、僕の態度を見て姉さんが不審がるように聞いて来た。
「…明日は、律人じゃないんだ。」
嘘を言っても仕方ないので、素直に話す。
すると姉さんが一瞬意外そうな表情をした後、何かを察したのかニヤけながら聞いてきた。
「もしかして、女の子?」
「…まぁ、そうだね。」
あんまり追求されたくない僕は、なるべく簡潔に答えるが、姉さんは一層笑みを深くした。
「へぇ、本当にそうなんだ。深月がねぇ…。」
「…言っとくけど、彼女じゃないよ。」
「でも、2人で遊ぶんでしょ?」
「うっ…。」
痛いところを突かれて、僕は困窮した。
そんな窮地を救ってくれたのは、芙実だった。
「……お兄ちゃん。」
「あら、起こしちゃったかしら。」
まだ眠そうに目を擦りながら、僕に向かって両手を広げる芙実。
抱っこを御所望なようなので、僕は芙実の脇に手を入れて持ち上げ、膝の上に乗せた。
「芙実、まだ眠いならソファーに行こう?」
「…やだ、お兄ちゃんとお話しする。」
しがみついて僕の胸で顔を擦る芙実。
子供は体温が高いので、ポカポカする。
「ママよりお兄ちゃんかぁ。」
そんな芙実の様子を、姉さんは微笑ましくもちょっぴり残念そうに眺めていた。
僕を救った芙実だったが、帰る時間になって駄々をこねた。
「やだ!お兄ちゃんともっと遊びたい!」
「芙実、帰ったらパパが遊んでくれるから。それに、お兄ちゃんは明日忙しいんだからあんまり遅くまでいたらダメよ。」
その原因は明日、僕と遊べない事を知った芙実が帰りたがらなかったのだ。
この歳にして、第6感が働いているんじゃないかと思うくらい珍しいことで、姉さんもなだめながら戸惑っている。
「ふみ、今日はお兄ちゃん家(ち)に泊まる!」
「こらっ!お兄ちゃんを困らせないの!」
「やぁだ〜!!」
とうとう怒り出した姉さんに、芙実がぐずる。
しがみつかれた僕のシャツが、芙実が顔を埋めたので涙で濡れる感触がした。
「芙実、パパのことは嫌い?パパとは今日遊ばないと、またしばらく会えなくなっちゃうよ。だから、お兄ちゃんとはまた遊ぼう?」
「うぅ〜。」
芙実が唸り声をあげて、いやいやする。
その様子に姉さんがどうしたものかと、肩を落とした。
「ごめんね、深月。明日の用意とかしたいでしょ?」
「ううん、掃除とかは普段からしてるし、それは大丈夫なんだけど……。」
僕は離れない芙実に視線を落とした。
しょうがない、僕が思いつく妥協案はひとつだけだ。
「明日、姉さんは伸明さんの見送りに行ってあげて。芙実は僕が預かるよ。」
「えっ!?でも、彼女が来るんじゃ……。」
「まだ違うから。」
姉さんの間違いを、直ちに訂正する僕。
心なしか、芙実のしがみつく力が強くなった気がする。
「芙実、明日も僕と遊べるなら、ちゃんとパパに行ってらっしゃいできる?」
「……いいの?」
芙実は顔ほぼ真上に向けて、僕を見上げる。
「僕だけじゃなくて、芙実が知らないお姉ちゃんも居るけど仲良くできる?それに僕とお姉ちゃんはお料理のお勉強するから、その時は危ないから絶対に邪魔しちゃいけない。それが守れるなら、明日も来ていいよ。」
「うん!ふみ、邪魔しない!」
本当にわかっているのか怪しいところだが、芙実も乗り気だし僕がちゃんと見ておけば大丈夫だろう。
「それじゃ、ちょっと明日来る子に連絡してみるよ。姉さん、芙実をお願い。」
「…無理しなくて、いいのよ?」
少し辛そうに、姉さんが僕に聞いた。
「僕は大丈夫。でも由里ちゃん…、明日来る子なんだけど、その由里ちゃんがダメって言ったら別の方法を考えなきゃね。ほらっ、芙美。ちょっとママと待ってて。」
「…わかった。」
「……ごめんね、深月。」
姉さんにはなるべく明るく提案したが、芙実を手渡す時に謝られてしまった。
僕は気にしなくていいという意味で、笑みを返しスマホを手にリビングを出た。
メッセージアプリの通話機能を使って、由里ちゃんに電話を掛ける。
通話するのはこれがはじめてだったが、口で説明する方が手っ取り早いのと、今日も由里ちゃんの予定は空いていると聞いていたのですぐに繋がるかも、という期待があった。
プルルルップルルルッ……。
プツッ
『もしもし…。』
「あっ、由里ちゃん?急にごめんね。」
数回のコール音の後、電話に出た由里ちゃんの抑揚のない声が届く。
『どうしたの……?』
「ちょっと明日のことで相談があってさ。今、大丈夫?」
『……うん。』
もしかしたら、驚かせてしまったかも知れない。
その事を悪く思いながらも、手短に状況を説明する。
「姪の芙実が明日も遊びたがってて、帰らないんだ。あんまりこういう我儘をいう子じゃないんだけど、今回はしつこくって、それで……。」
『……明日、行っちゃいけない?』
由里ちゃんの悲しそうな声に、今回は完全にこっちが悪いこともあって胸が締め付けられる。
ただ、来てはダメだと言っているつもりはなかったので訂正する。
「ううん、そうじゃなくて、由里ちゃんも一緒に芙実と遊んで貰えたらなって思ってるんだけど……。ごめんね、勝手な事言って。」
『…私も、居ていいの?』
うん?なんだか由里ちゃんの声に元気が出てきたような……。
「うん、もちろん。ただ、芙実も仲間にいれてあげて欲しいっていうか…。あっ、料理の時は絶対に邪魔させないから、それは安心して。」
『わかった、大丈夫。』
やけにあっさりオッケーしてくれる、由里ちゃん。
嫌がるか落ち込むかすると思っていただけに、かなり拍子抜けしてしまった。
ただ、そう言ってもらえて助かるのはこっちなので、お礼を言う。
「本当に助かるよ。ありがとう、由里ちゃん。」
『……いい。それだけ?』
由里ちゃんに聞かれて、ザッと頭の中で明日の予定を整理する。
「そうだね…、朝に芙実を迎えに行くことになるから、ちょっと時間は遅くなるかも。それは姉さんとも話して、また連絡するよ。」
『…うん、なるべく早く。』
「わかった。」
早く会いたいと思ってくれているのは、相変わらずなようで嬉しく思う。
「あとは、材料を一緒に買いに行こうと思ってたのを、どうしようかな…。今日の内に僕が買って来てもいい?」
『……ダメ。』
「えっ、えぇーと…。」
買い物も楽しみにしてるっぽかったもんなぁ。
でも明日、由里ちゃんと行くなら芙実を迎えに行ってからになるだろうし、2人が打ち解ける前にいきなり買い物なんて大丈夫だろうか…。
僕が考えを巡らせていると、由里ちゃんの方から提案があった。
『…今から、行こ?』
「あっ……。」
そうか、確かに今日買い物するなら由里ちゃんとしても問題はない。
それに家の場所も教えておけば、明日は直接来られるはず…。
急な予定変更に合わせてもらう申し訳なさはあるけど、由里ちゃんの提案はとても理にかなっているように思えた。
「……そうだね。ちょっとすぐには出られないけど、目処がついたら連絡していい?」
『……わかった、私も準備する。』
それじゃ、と一旦通話を終わらせて、急いで姉さんと芙実に報告しに戻った。
「それじゃ、芙実。今日はちゃんとパパに遊んでもらうんだよ。」
「うん、また明日ね。お兄ちゃん。」
「姉さんも、気をつけて。伸明さんにもよろしく。」
「えぇ。由里ちゃんって子にも、よくお礼しといてね。」
「わかった、伝えておくよ。」
明日も遊ぶ約束が取れると、けろっとしていつも通りの笑顔で手を振る芙実。
姉さんも娘の意外な図太さに、ヤレヤレといった表情で芙実の手を引いて帰って行った。
「さて…。」
2人が見えなくなったので僕は時計を確認し、出れそうな時間を伝えるため、由里ちゃんに再び電話を掛けた。
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