第8話「闖入者」



「由里ちゃんは何か、嫌いな食べ物ある?」


「…ない。」


「そっか、それじゃあどれでも大丈夫そうだね。」



いつもの音楽準備室で、僕が持ってきた初心者用の料理本を広げる。

週末が近づきお泊まりはなくなったものの、日曜日は朝から1日遊びたいという由里ちゃんの要望を聞き入れ、それならと以前約束していた料理を教えることにした。



「定番なのは肉じゃがやカレー、チャーハンなんかもいいんじゃない?」


「……。」



パラパラとそれらの料理が載ったページを指すと、由里ちゃんがジッとそれを真剣な眼差しで見ていく。



(たぶん、張り切ってるんだろうな。)



表情に変化はないが、気合いの入った目をしている。

本を手渡すと一つ一つのレシピを順番に眺める由里ちゃんを、微笑ましく見守った。







由里ちゃんが他の料理もざっと見た後に、顔を上げた。



「……深月は、どれが食べたい?」


「僕?うーん…、やっぱりカレーがいいんじゃないかな。色んな野菜を切る練習も出来るし、味付けは市販のルーを使ったら失敗することもないし。」


「カレー……。」



由里ちゃんがそのページに戻って、レシピを確認する。



「カレー…好き?」


「1人でもよく作るし、好きだよ。」


「じゃあ、そうする。」



こうして日曜日は僕の家でカレー作りをすることが決まった。







「待ち合わせは、川西公園でいいかな?」


「…大丈夫。」


「朝ご飯は食べてくるよね?11時くらいに集まって、買い物してから僕の家に行こうか。」


「……もっと早くていい。」


「そう?じゃあ10時は?」


「……5時。」


「早すぎない!?」



作るモノも決まったので、由里ちゃんと予定を詰めていく。

いつものように、時々由里ちゃんのボケなのか素なのかわからない発言にツッコミながらも、楽しい時間を過ごしていた。





すると、



ガラッ


唐突に教室のドアが開かれる。




「…え?」

「……。」



突然の来訪者に驚いて、僕と由里ちゃんがそっちに視線を向けると、1人の女子生徒が立っていた。




「……あんたが、武庫深月?」



ツリ目で気の強そうな彼女は、なんだか怒気を発しながら、僕を呼ぶ。



「…そうですけど、あなたは?」



ただならぬ雰囲気に僕は席を立ち、彼女と向き合った。



「私は塚口 陽葵(つかぐち ひまり)。由里の友達よ。」



「由里ちゃんの……?」



律人が言っていた、『そろそろ直接、僕はやっかみを受けるかも知れない。』と。

その最初の人物は、由里ちゃんの友達だった。




「えっと、それじゃあ塚口さんは由里ちゃんに用事があってきたの?」


「それは違うわ。私が話があるのはあんたよ。」


「僕に、ですか?」


首を捻る僕の横を通りすぎ、塚口さんは由里ちゃんへと歩み寄る。

そこで塚口さんが来てから由里ちゃんの方へはじめて視線を向けたが、由里ちゃんは無表情…いや、かすかに機嫌が悪いか?

そんな観察をしている内に、塚口さんら由里ちゃんと正面で向かい合う。



「由里ったら、毎日こんなところに来ちゃって。ダメでしょ?」



僕に掛けた刺々しい口調とは打って変わり猫撫で声でそう言って、塚口さんは由里ちゃんを抱き締めた。

頬擦りをしているのか、塚口さんのポニーテールがかすかに揺れる。



「……陽葵、やめて。」


「もう、照れなくていいのに。」



由里ちゃんは身動きこそしないものの、拒否の言葉を口にする。

しかし、塚口さんがやめる様子はない。

それどころか、由里ちゃんを抱き締める力を強めた。



いつものことなのか、由里ちゃんが諦めたような溜息を吐いてから聞いた。



「……なにしに来たの?」


「あっ、そうだったわね。…安心して?私がキッチリ話をつけてあげるから。」



ようやく由里ちゃんから離れた塚口さんは、再び僕と向き合う。



「あなた、毎日毎日、由里をこんなところに呼び出してどういうつもり?」


「どういうつもりって言われても……。」



問い掛けが漠然としすぎていて、返答に困る。

そんな僕をさらに追求するように、塚口さんは続けた。



「由里は昼休みは私と過ごしてたのに、最近はずっとご飯を食べたら出て行っちゃうし、妙な噂は立ってるしで迷惑してるの。」



「妙な噂って、どんな?」



まぁ、僕が呼び出してるってところから色々と間違ってそうなんだけど、とりあえず塚口さんの主張を聞くために詳細を尋ねる。

すると、塚口さんはワナワナと震えるくらい強く拳を握って勢いよく吐き捨てた。




「そんなの、決まってるじゃない!あなたなんかと由里が付き合ってるなんて、私は絶対に認めないわ!」




ガタッ!




「…え?」



その言葉を聞いた瞬間、由里ちゃんが勢いよく席から立ち上がった。

椅子が大きな音を立てたせいで驚いたのか、塚口さんも呆然と由里ちゃんの方を振り返った。



「……。」



怒ってる…。

誰が見ても明白な怒気を纏って、由里ちゃんは塚口さんを睨みつけた。



「…陽葵、謝って。」


「えっ…、え?ちょっと由里、どうしたの?」


「深月に謝って!」



これまでで1番大きな声を出して、塚口さんに要求する由里ちゃん。

僕もそうだが、塚口さんもこんな由里ちゃんを見るのははじめてみたいで、どうしたらいいのか慌てふためいている。



「由里、落ち着いて?私はあなたが心配で…。」


「……。」



塚口さんが由里ちゃんを抑えようとしても、よりキツく睨みつけられるだけだった。



「……邪魔。」


「ゆ、由里?」



やがて由里ちゃんは、塚口さんに言った。



「邪魔するなら、陽葵でも許さない。」


「由里……。」



塚口さんは大きなショックを受けた様子で、後ずさった。

僕はこれ以上はいけないと察して、口を挟む。




「由里ちゃん、ダメだよ。」


「……深月。」



僕を見上げた由里ちゃんは、目に涙を溜めていた。



「色々と誤解もあるようだし、塚口さんも由里ちゃんと過ごす時間が減って寂しかったんじゃないかな?」


「でも……。」



由里ちゃんが言葉を続けようとしたのを、僕は落ち着かせるように頭を撫でて止めた。



「由里ちゃんが僕のことで怒ってくれたのは、嬉しかったよ。ありがとう。…でも、塚口さんはお友達なんでしょ?ちゃんと仲直りしよう。」




叱られた子供のように、シュンとする由里ちゃん。

その様子を、塚口さんは唖然とした表情で見ていた。



「塚口さんも、また改めてちゃんと話をしない?まず断っておくけど、僕と由里ちゃんは付き合ってないよ。」


「なっ…!?」



僕が噂を否定すると、塚口さんは意外そうな反応を見せる。

この子自身も、噂を信じ切ってしまっていたようだ。



「ほらっ、2人とも。もう昼休みが終わっちゃうし、行こう。申し訳ないけど、今日の放課後は僕は残れないから、まずは2人が仲直りしてね。」



わだかまりが長引かないよう、強引に2人が話し合えるように予定を告げる。

お昼からの授業の間に、2人ともちょっとは落ち着くだろう。




「……わかった。」

「……。」



由里ちゃんはちゃんと返事をしてくれたし、大丈夫だろうと頷いて返す。

まだ2人の間に気まずい空気はあるが、由里ちゃんを信じることにして、僕は椅子を片付けて教室を出た。

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