第7話「友人付き合い」
「おっ、来たな。」
「…早いね、律人。」
由里ちゃんの許しを得て、今日は律人と帰ることになった。
一緒に帰る時、早く終わった方が昇降口で待つのがお決まりのパターンになっている。
大抵、律人はHRが終わってから友人と話しているのか、僕の方が待つことになるんだけど。
今日は珍しく、すぐに教室を出た僕よりも律人の方が早かった。
「そうか?まっ、さっさと行こうぜ。」
まだ靴を履き替えていない僕を置いて、さっさと歩き出す律人。
僕はそれに構わず、いつも通りの動きで靴を履いた。
「おい、遅いぞ。」
校門までの道の途中で、立ち止まっていた律人が不機嫌そうに言った。
けれど、僕も動じない。
「今のは律人が先に行ったのが悪い。ホント相変わらず、ナチュラルに僕には気配りしないよね。」
それを聞いて思い当たることがあるのか、律人が表情を崩した。
「…そうだな、すまん。なんか深月が相手だと、気が緩みすぎるわ。」
「いいよ、律人の謝罪なんて気持ち悪い。行こう。」
律人が『こんヤロぉ!』と大袈裟に僕を小突くフリをしながら、今度こそ並んで歩き出した。
「いつものとこでいいか?」
「いいよ。そこ以外知らないし。」
「全く、ちょっとは出歩けよな。」
「律人とは、行くところが違うだけだよ。」
よく知る者同士、軽口を叩きながら目的地に向かう。
それは通っていた中学の近くの喫茶店で、律人と話す時はいつもそこを使っていた。
しばらく歩いて、店まで到着する。
『喫茶 あやめ』
ちょっと古びた、アンティークな雰囲気が漂う外観で、お洒落だとも言えるが若い人の多くは初めて入るには躊躇うのではないだろうか。
とはいえ、僕たちは何度か利用しているので普通に店内に入った。
「あっ!律人、いらっしゃい!」
「智(とも)ねぇ、久しぶり。」
親しげに挨拶を交わす、律人と店員さん。
この店員さんは智子(ともこ)さんといって(苗字は知らない)、年の離れた律人のいとこである。
「やだ、深月くんも来てる!すっごい久しぶりー!」
「お久しぶりです。」
僕を見つけて、興奮した様子で手を振る智子さん。
(相変わらずだなぁ。)
中学の時は律人に勉強を教えるため、よく来ていて智子さんに会うことも多かったが、高校に入ってからは来る頻度がグッと減ったし、智子さんが店にいない日も多いので会えていなかった。
それもあってか、智子さんの推しのアイドルでも見つけた時のような大きなリアクションに、苦笑が浮かぶ。
智子さんは常時ハイテンションで、由里ちゃんとは正反対な人だ。
他にお客さんがいないことも、大きな声を出せる理由だろう。
「今日は仕事じゃないのか?」
窓際の席に座りながら、律人が智子さんに問い掛ける。
「もう、嫌な事思い出させないでよー。今日はお休みだから、お手伝い頼まれちゃったの。そこより、こっちに座ったら?」
智子さんとは10歳くらい離れているので、もう社会人のはずだ。
休みの日にまで実家のお手伝いとは、お疲れ様です。
一緒に話したそうな智子さんがカウンター席を勧めるが、律人が断った。
「ちょっと深月と話があるから、静かにしててくれ。」
「えっー!?私だけ仲間外れ?」
2人のやり取りを横目に、僕も律人の向かいに座る。
「深月くぅん、律人が意地悪するぅ。」
標的を僕に変えて、カウンターに寝そべり手を伸ばす智子さん。
「えーと、たぶん聞いても面白い話じゃないですよ?」
「いい、全然いいよ!思春期の可愛い男の子の密会に立ち会えるなら!」
参加する気満々な智子さんに、律人が面倒臭そうに顔を顰(しか)めた。
「そんなのことより仕事しろよ。俺はコーヒー、深月は…カフェオレでいいよな?」
「あ、うん。」
「…はいはーい、わかりましたよぉ。」
注文を聞いて、拗(す)ねた反応をしながらも智子さんが手を動かしはじめた。
「それで、久寿川と付き合えない事情ってなんだ?」
智子さんが静かになったのを見計らって、律人が話を振ってきた。
「本当に遠慮がないよね。」
どう話すか困っている事を隠すように、相変わらずな友人に苦笑を向ける。
「お前以外になら、ちゃんとするさ。」
「…そうだね。」
その言葉があながち嘘でもないことを、僕は知っている。
現に中学の頃と違い『ちゃんと』している律人には多くの友人ができた。
それは友人の前でキャラ作りをしているわけじゃなくて、昔の律人と友人になれた僕には、その時のストレートで取っ付きにくい雰囲気が自然と出てしまうのだろう。
(まぁ、悪いことではないし。)
なんだかんだで律人の気を使わない態度が嫌いではない僕は、一息ついて本題に話を戻した。
「その前に、律人はどれくらい知ってる?どんな噂が回ってるのかわからないから、それの補足と訂正からはじめたいんだけど。」
律人がそれを聞いて顎に手を当てる。
「って言っても、昼に確認したような『周りから見て付き合ってる感じだから、そうだ』って事くらいだぞ。久寿川の方には女友達が何か聞いてたようだったが、深月と付き合ってるってのが事実じゃないなら、その話も回ってないんだろ。」
『久寿川の周りは口固そうだしな。』と、律人が付け加える。
「噂になってるのは目撃証言からの推測だけ、つまり簡単に言うと、お前らが付き合ってるらしいって程度だ。」
「もうちょっと細かい噂はないの?」
自分達が周囲からどう見えているのかは、結構気になる。
「あー、まず告白は久寿川から。その後に昼休み深月が久寿川の手を引いて歩いてたってのと、放課後も一緒にいるのを見かけた。…今のところ、そんな感じだ。」
「案外、さっぱりしてるんだね。」
僕の感想に、律人が首を振る。
「一言で言うとそうだが、告白の時なんか凄かったぞ?俺のクラスまで『久寿川が公開告白してる!』って伝令が飛んできて、教室中が大騒ぎだった。」
「そんなことが……。」
僕の知らない所で、一時はけっこうな騒ぎになったらしい。
さらに律人曰く、密かに由里ちゃんを狙っていた男子は涙目になっていたとか。
「そんで、お前がどんな奴なのかって話が上がってきて、そろそろやっかみでも受けてるんじゃないかと思ってな。」
「そうだったんだ…。」
今のところ、直接僕に接触してきた人はいないけど、それも時間の問題なのかも知れない。
改めて、由里ちゃんの人気度を実感する。
「ともかく、俺が聞いてるのはそんな感じだ。…で?実際はどうなんだよ?」
興味を隠さない表情で律人が身を乗り出した瞬間、
「はーい、お待ちどお!」
タイミング悪く智子さんがカップを二つ持って来て、元気よく置いた。
「なになに?やっぱり恋バナしてるの?」
イキイキとした様子で僕たちを見回す智子さんに、律人があからさまに鬱陶しそうな表情に変わる。
「用が済んだんなら戻れよ。」
「あぁー!またそんな生意気な事言って、本当にどうしてウチの子は!」
「お前んちの子じゃねぇよ!」
「わかってるわよ!冗談でしょ!」
ヤバイ、本格的に律人がイライラし始めているし智子さんも意地になってる。
(勝気が強いのは、そういう家系なんだろうなぁ。)
喧嘩腰にやり合う2人を見るのは久しぶりだ。
デジャブのような懐かしさを覚えながら、僕もいつものように仲裁に入る。
「ストップ!律人、落ち着いて。慌てなくてもちゃんと話すから。」
「深月…。」
諭すような僕の声音に、少しは落ち着いたのか律人はバツが悪そうに顔を逸らす。
「智子さんも。こんなところ他のお客さんが来て見たら、ビックリして帰っちゃいますよ?」
「うっ…。ごめん、深月くん。」
次に智子さんを諫(いさ)めると、シュンっとして謝罪を口にした。
2人がこんな感じになるのは、ある意味お約束と思っているので、僕が焦る事はない。
「律人、別に智子さんになら僕は聞かれてもいいよ。けど、お客さんが来たらそっちを優先して下さいね?」
「…まぁ、深月がいいなら。」
「うん、もちろん!深月くんありがとう!」
律人は仕方なしという風に、智子さんはニコニコと嬉しそうに返事をした。
「やっぱり深月くんには敵わないよねぇ。律人も深月くんの言うことには、素直に従うし。」
「バカ、そんなんじゃねぇよ。」
悪態を吐く律人だったが、智子さんはもう落ち着いたようで笑みを深くするだけだった。
「それじゃ、カウンターで話しましょうか。ほらっ、律人も。」
「ちっ、わかったよ。」
「これは持って行くね。」
「ありがとうございます。」
また律人の機嫌を損ねてもいけない。
僕が仕切り直すために立ち上がると、律人が続き、智子さんもカップを持って来てくれた。
「えーと、じゃあ最初から話すね。」
「おう。」
「待ってました!」
智子さんの妙な相槌に苦笑しながらも、僕は話しはじめた。
由里ちゃんから告白されたこと、全く面識はなかったのに由里ちゃんは長い付き合いを望んでいること、昼休みや放課後を彼女と過ごす事は僕にとても楽しい時間であること……。
話してみると、たった1週間でかなり濃い時間を由里ちゃんと過ごしたように思う。
ハニートラップの事などは上手くボカしつつも、僕はこれまでの彼女との関係を2人に話した。
「…って、言う感じかな。」
「へぇ、聞いてると正式に付き合ってないだけで、もう秒読みだろ。ていうか、あとは深月がオッケーするだけじゃねぇか。」
「そうだねぇ、お姉さんキュンとしちゃったよ。それで、告白はいつにするのかって相談かな?」
ニヤつきながら感想を言う律人と、とても満足げに胸を押さえる智子さん。
僕の恋バナにそれぞれの反応を見せる2人だが、どちらも同じ、もう僕と由里ちゃんが相思相愛かのように捉えていた。
「そういう相談じゃないです。それよりも、もっと前の話っていうか……。」
「どういうことだ?」
歯切れの悪い僕に、律人が続きを促す。
「ほら、由里ちゃんって無愛想なところがあるでしょ?ただ、それを差し引いても告白する人が多くいるくらいにモテる。」
「うんうん、それで?」
今度は智子さんが、目を輝かせながらせっつく。
「そんな人が、どうして僕を選んだのかなぁって。もう由里ちゃんの好意を疑う気持ちはないけど、気になっちゃって…。」
僕の言葉に、律人が大きなため息を返した。
「そんなもん、なんだっていいだろ。どっかで深月のことを見かけたとか、一目惚れだとか…理由なんていくらでもある。」
「もう、律人は夢がないなぁ。」
智子さんがヤレヤレといった風に首を振る。
「きっと前世で2人は繋がってて、再会した瞬間ビビッと来たんだよ。その運命的な何かを、その子は感じとったんじゃないかな?」
智子さんの意見を、律人が鼻で笑う。
「そんなもん、一目惚れと変わらねぇじゃねぇか。」
「違うわよ!2人が惹かれ合うことは決まってたの!」
「ちょっと、話が逸れてるよ…。」
僕の言葉で、また2人は大人しくなる。
「…悪い。」
「ごめん、茶化したわけじゃないの。」
ふぅっと、一つため息を吐いた。
気を取り直して、僕の考えを伝える。
「いいよ。ただ話してみても、やっぱりこの1週間で由里ちゃんとの関係の変化は、急すぎる気がするんだ。由里ちゃんが将来まで考えてくれてるなら尚更、そんなに焦る問題じゃないと思ってる。」
「そっか…。」
それを聞いて、律人はどこか安心したように微笑んだ。
「まぁ、深月がそう思ってるならそれでいいんしゃないか?久寿川が焦ってると思うなら、余計にお前はどっしり構えてろよ。ただ、久寿川を横から掻っ攫われて後悔するような事はすんなよ?」
「うん、そうだね。気をつけるよ。」
続いて智子さんはちょっとだけ、納得いってなさそうに忠告する。
「うーん、私は燃え上がるような恋もアリ派だから、もっと気楽に考えてもいいとは思う。深月くんが真剣に考えてくれてることは彼女さんにも伝わってるとは思うけど、待つ側の気持ちもちゃんと考えてあげてね。」
「そうですね…、辛い思いはさせないようにしたいです。」
僕の返事に、律人と智子さんが満足そうに頷いた。
律人も智子さんも満足したみたいだし、僕も話を聞いて貰えて気持ちを整理することができた。
なのでそれからは話題を変え、律人の近況を聞いたり智子さんの仕事の愚痴を聞いたりしながら過ごした。
「いやぁ、今日はいい話を聞かせてくれてありがとう!それに、いっぱい話せて楽しかったわ。」
帰り際、智子さんがいい笑顔でお礼を言ってきた。
智子さんは途中から接客が何度か入ったが、基本的に僕たちの前から動かなかった。
「気分転換にでもなったなら、よかったです。」
「うん、バッチリ!また来てね、2人とも!」
「はい、ご馳走様でした。」
「今度はもう少し、静かにしてくれよ。」
お会計を済ませて、僕たちは店を出た。
智子さんは扉が閉まるまで、笑顔で見送ってくれた。
「智子さん、元気そうだったね。」
「智ねぇは、元気なんて有り余ってんだろ。」
喫茶店から律人の家は近いので、分かれ道までの短い距離を並んで歩く。
「今日、話せてよかった。」
「かしこまった言い方すんなよ。」
堅苦しいのは苦手な律人、がちょっと鬱陶しそうにする。
「深月には借りもあるからな。さっき話したみたいに、変に絡んでくる奴がいたらすぐ俺を呼べ。」
「なら、その時は絶対に手は出さないって約束できる?」
「……状況次第だろ。」
とてもじゃないが、信頼できない。
中学時代と比べて大人しくなったし、反省もしているのは変わった律人を見ればわかるが、カッとなれば手が出るところまで直せているのか怪しい。
「大丈夫だよ。頼りにしてない訳じゃないけど、頼るなら今日みたいな頼り方をさせて。それだけで、充分助けられてるから。」
「でもなぁ…、」
「律人。」
まだ続けようとする、律人の言葉を遮る。
「気にしすぎだって。それとも僕は信頼できない?」
「……わかったよ。」
僕の気持ちが伝わったのか、仕方なしに了承する律人。
そのタイミングで、分かれ道に着いた。
「それじゃ、また学校で。」
「深月!」
僕がそのまま分かれて歩き出そうとすると、律人が引き留める。
僕は不思議に思いながらも、足を止めて振り返った。
「久寿川が、深月を好きになった理由がわからないって言ってたよな?そんなきっかけなんて関係ねぇとは思ってるし、実際に久寿川がお前のどこを好きになったかなんてわからねぇけど……。」
律人は真っ直ぐに、僕を見て言った。
「俺に言わせりゃ、久寿川には見る目があった。ただ、それだけだと思うぜ。」
「…律人。」
それはまた、なんとも……
「買い被りすぎだよ。…でも、ありがとう。もう少し、自分に自信が持ってるように頑張るよ。」
「あぁ、頑張れ。じゃあな。」
「うん、また。」
僕は自分を、由里ちゃんより下に見てる。
言い換えれば、釣り合っていないと思ってる。
そんな僕の態度が、律人には透けていたのかも知れない。
1人の帰り道は考え事をするのに向いていて、僕はいつもより長い時間をかけて帰路に着いた。
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