第6話「やきもち少女」


由里ちゃんと知り合ってから1週間が経った。

連絡先を交換してからやり取りは続いているし、昼休みや放課後を由里ちゃんと一緒に過ごすのも日常になりつつあった。


……1日に1回はハニートラップ的なものを用意してくるのは、勘弁してもらいたいが。

昨日、送られて来た写真で着けていた猫耳は一体どこで手に入れたのだろうか。




眠気を堪えて午前の授業を乗り切ると、昼休みがはじまってすぐに見知った顔が僕を訪ねて来た。



「おっす、深月ー。ちょっといいか?」


(来たか……。)



「久しぶり、律人。」



僕は中学からの友人である『伊丹 律人(いたみ りつと)』と目を合わせ、出来れば来て欲しくなかった、という内心を隠してにこやかに返事をした。



律人は厳(いか)つい、いわゆるヤンキーみたいな見た目の男だ。

強面で高身長なため威圧感を与えがちだが、整った顔立ちをしており、気配りの出来る高いコミュニケーション能力を持っている事も合わさってか顔は広い。

この人懐っこさを『チャラい』と感じる一部の人間はいるものの、それは律人をよく知らない人達の偏見である。



僕とは違うタイプの人間だけど、中学の頃にちょっとあってそれなりに仲は良い。

そして意外と義理堅い律人は、『友達』と呼ぶ僕の前に週に数回、姿を見せる。

律人のグループの人達と僕に接点はないので毎回1人で現れるのだが、その時にお互い他愛もない近況報告をするのがお馴染みになっていた。



しかし、今回は事情が違う。



おそらく律人は由里ちゃんが僕に接触した事をとっくに知っていて、その事を聞きに来たのだと予想がついた。

その通り、律人が空いていた僕の前の席に座って身体をこっちに向けると、早速本題に触れる。




「相変わらず…って訳でもなさそうだよな。なんか力になれるか?」



からかいを含まない、真剣な声音で尋ねる律人。

友人の多い律人が度々僕を訪ねて来てくれるのは、僕を気にかけてくれているからだと思っている。

噂を聞いてすぐには来なかったのは、僕が気持ちを整理する時間を取ってくれたのもあるのだろう。


その事を嬉しく思いながらも、事情が恋バナなだけに気恥ずかしさも感じる。

複雑な心境ではあったが、素直な気持ちで簡潔に答えた。



「ありがとう。でも大丈夫、手伝ってもらえるような事はないよ。」


「……そっか。」



それだけ聞いて、肩の力を抜いた律人がホッとしたような表情を浮かべた。

すると、今度は表情をニヤリと意地の悪い笑みに変えて問いかけてくる。



「ってことは、順調ってことだよな?」


「順調って…?」


「久寿川との恋人関係に決まってるだろ。」


「……ちょっと待って、付き合ってないから。」


「はぁっ!?」



律人が大きな声を出して、顔を寄せてくる。

僕の答えか、律人の大声に反応したのかは分からないが、周囲が少し騒ついて視線をこっちに向けた。



「えっ?付き合ってないのか?」


「近いよ、律人。」



律人の肩を押して距離を開ける。

それでも律人は驚いた表情のまま、続けた。



「いや…、え?だってお前、昼休みに手を繋いで歩いてたって……。」


「…うん、まぁ事実だね。」



やっぱり知ってたか……。

恐らくはじめて音楽準備室に行った時のことだろうが、『噂になっているかも』とは思っていても、直に聞かれると恥ずかしくて目を逸らした。



「それに、帰りも一緒に帰ってるとも聞いたぞ…?」


「…それも、間違ってないね。」



放課後、僕は姉さんの仕事の都合で、姪の芙美(ふみ)を幼稚園に迎えに行く日がある。

だから毎日ではないけど、『今日は大丈夫?』という由里ちゃんからのメッセージは毎日届くので、それ以外の日は一緒にいることが多い。


そこまでの頻度になると目撃者がいることはわかっていたので、誤魔化さずに律人の確認するような問い掛けを肯定する。

すると段々、声のトーンが下がっていく律人。



「……それで、付き合ってねぇの?」


「うん、まぁ…そうだね。」



そう答えた瞬間、律人が僕の頭をスパーンッと

勢いよく叩(はた)いた。



「痛っっ!?なにするんだ!」


「バカなのかお前!?そんなもんさっさと付き合っちまえよ!そんで爆発しろ!!」


「爆発って…。」



頭をさすりながら恨みを込めて律人を睨むが、逆に睨み返されてしまう。

…人当たりの良さを知ってはいても、律人に睨まれるのはちょっと怖い。



「僕にも事情があるんだよ…。」



さらに、『付き合っている』と思われてもおかしくない行動を取っているのは自覚しているので、僕の反論も弱々しくなる。



「よーし、じゃあその事情ってやつを詳しく話してみろ。…ったく、人がせっかく妙なやっかみでも受けてんじゃないかと思って心配してやってんのに、とんだヘタレだな。」



律人の言いようにムッとしながらも言い返せず、チラッと時計を見るともう10分程休み時間が経過していた。

……事情の説明をしてる時間はないな。



「説明したいのは山々だけど、早くご飯食べて行かないといけないんだ。だから、この話はまた今度ね。」



そう言ってお弁当を広げはじめた僕を見て、律人が目を細くした。



「行くってのは、久寿川のとこか?」


「…まぁ、そうだけど。」



それを聞いて、律人が大きな溜息を吐き出した。



「……なに?」


「なんでもねぇよ。」


呆れた感じで顔を逸らした律人が、席を立った。



「放課後は?約束あるのか。」



由里ちゃんはそのつもりかも知れないが、まだ約束はしていない。

少し考えたけれど、これから会うのだから今日は一緒に帰れないと伝えればいいか。



「ううん、いいよ。」


「よしっ、じゃあまた後でな。」


「あっ!」


少しだけ機嫌を直した様子で、僕のお弁当から唐揚げを一つ摘み食いすると、ヒラヒラと手を振って出て行く律人。



それを恨みがましく見送って、由里ちゃんは残念がるかも知れないけど、律人には相談しようと思っていたしちょうどいい機会だと考える。



(……余計な心配をさせることも、なくなるかも知れないしね。)



律人は、僕に友達が少ないのは自分のせいだと思っている節がある。

もう律人自身に友人は多くいるし、昔とは違うのだ。


少し気を使いすぎな友人を思いながら、僕はメインが一つ減ったお弁当に手をつけた。









「遅くなってごめん!待った?」



先週から、ほぼ毎日通っている音楽準備室に駆け込むと、案の定すでに由里ちゃんは席に座っていた。

僕の方をチラッと見た彼女は心なしか機嫌が悪いように見え、それを証明するようにふいっと視線を逸らした。



(…やっちゃったかなぁ。)



もちろん律人が去った後に、少し遅れると連絡は入れた。

『わかった』と短い返信があったものの、今の由里ちゃんの態度に冷や汗が出る。



「ごめんね、遅くなって。」



用意されていた由里ちゃんの向かいに置かれた椅子に座り、改めて謝罪を口にした。

恐る恐る彼女の顔色を伺うと、無表情の由里ちゃんがジッと僕を見つめる。



いや、無表情はいつものことなのだが、なんというか今は感情が一切読めない。

少しずつだけど、由里ちゃんを知ることが出来ていると思っていた僕にとって、その表情はとても怖かった。




「……なにしてたの?」



気まずい沈黙の後、抑揚のない声で由里ちゃんが尋ねる。

その平坦なはずなのに、深い怒りを感じる声音に僕はビクッと身体を跳ねさせる。



「たまに会いに来る、友達が来てたんだ。」



何とか事実を伝えた僕を見る由里ちゃんの目が、ちょっとだけ細められた。



「……女の子?」



いわれの無い疑惑を、僕は慌てて否定する。



「違うよ!律人…、伊丹律人っていうちょっと強面でデカいヤツが、由里ちゃんのクラスにいるよね?そいつとは中学からの友達で、だからたまに話すんだよ。」



「伊丹律人……。」



律人の名前を反芻し、視線を下に向けて由里ちゃんが思い出しているような仕草をする。



「そう!だから由里ちゃん以外の女の子を優先した訳じゃなくって、えっと……。」



なんだか、話せば話すだけ言い訳がましくなってしまって、さらにまるで付き合っている彼女にするような言い訳を並べてしまう。


そのことに気付いて、なんだか恥ずかしくなってしまった。



そんな僕を見て、由里ちゃんが小さな溜息を吐いて肩を落とした。



「…怒ってない。」


「そっか。あっ、あと今日なんだけど……。」


「?」



許しを得てすぐにこの話をするのは気が引けたが、先に言っておいた方がいいだろう。

言い淀む僕に、由里ちゃんが首を傾げた。



「ごめん、今日は用事ができたから一緒に帰れないんだ。」



途端にまたさっきの無表情に戻り、目を細める由里ちゃん。

…なんだか、部屋の温度が2,3度下がったような気がした。



「……浮気。」


「違うから!さっき言った律人が、久しぶりに話そうって。」


「……。」



わかりやすく、むくれた表情になる由里ちゃん。

僕の前だからか、彼女の表情はかなり豊かになってきた気がする。

それはそれで嬉しいんだけど、今は怖い……。



「昨日も、ダメだった。」


「えっと、昨日は日曜日だったよね?」


「……デート。」


「いや、ごめん。それは悪かったけど、姪とも約束しちゃってて……。」



姉さんの仕事の休みは不定期なので、週末に姪と過ごす事は多い。

それを理由に、会うことを断ったのがまだ引っかかっているみたいだ。

当日のお誘いだったし、その時は気にしてる感じではなかったんだけど……。



「今度埋め合わせするから、許してくれない?」


「…埋め合わせ?」



できれば、その低い声をやめてもらいたい。



「昨日と今日、断っちゃったお詫びだよ。そうだな…今週末は空けておくから、由里ちゃんの行きたいところに行こうよ。」


「行きたいところ……。」



あ、由里ちゃんの目に光が戻った。

そのままズイッと身を乗り出してきたので、僕の目の前に由里ちゃんの顔が近づく。



「深月のお家、行きたい。」


「ち、近いから!落ち着いて!」



律人よりも距離を詰めることに躊躇がないのか、唇が当たりそうでヒヤヒヤする。

慌てて律人にしたように、けれどさっきよりも優しく由里ちゃんの肩を押して距離を開けた。



「ふぅ…。それで、僕の家でいいの?こう言っちゃなんだけど、何もないよ?」



謙遜でもなんでもなく、由里ちゃんが興味を持つようなものも2人で遊べるものもない。

そう伝えても、由里ちゃんの返事は変わらなかった。



「いい。行きたい。」



期待に添えるものは何もないと思うけど、そこまで言うのであれば断る理由もない。

何よりそれで由里ちゃんの機嫌が直るのであれば、尚更だった。



「うん、わかったよ。それじゃ、日曜日でいいかな?」


「……。」



ちょっとだけ、由里ちゃんがムッとした顔になる。

何かおかしな事、言ったかな?



「…土曜日も、空いてる。」


「えっと、2日続けてってこと?本当に何もないし、流石に飽きるんじゃないかな。」



首を振って、否定を示す由里ちゃん。



「……泊まる。」


「それは…、ちょっとマズイんじゃないかな?」


「…なんで?」



連日行われる、ハニートラップを思い出す。

あれを2人っきりの空間で、しかも一晩中やられたら、僕だって耐え切る自信がなかった。



「ほ、ほらっ、由里ちゃんが家に来るのは初めてだしさ。泊まるってなると僕も色々、準備したいし……。」



ジトっとした目で、由里ちゃんが僕を見る。



「まだ月曜日。」


「いや、そうなんだけど……。」



僕は言い訳を考えて…、思いつかなかった。

仕方なく、正直な気持ちを話す。



「えとね、僕と由里ちゃんはまだ一応、友達だよね?同性ならまだしも、やっぱり異性の友達ってなると、そういう線引きっていうか…越えちゃいけないラインってあると思うんだ。」


「……。」



由里ちゃんが真剣な表情で、僕の言葉を聞く。



「だからお泊まりみたいな、場の雰囲気とかでなぁなぁにそのラインを超えちゃいそうなことは、したくない。」


「…うん、わかった。」



諭されている側のはずの由里ちゃんだが、どこか嬉しそうに頷いた。

正直、まだゴネられるかと思っていたので、あっさり納得してくれたことに安堵する。



「ありがとう。その、由里ちゃんが魅力的なのがあってのことだから……。」



僕のフォローの途中で、由里ちゃんが僕の手を取って遮った。



「…わかってる。ちゃんと待てる。」


「由里ちゃん…。」



まだ由里ちゃんの気持ちに応えられていない負い目が、少なからず僕にはある。

それを見透かしたような思わぬ由里ちゃんからの励ましに、ちょっぴり感動してしまった。




「待てるけど……、」



すると、由里ちゃんは僕に笑みを向けて言った。




「逃がさないから。」



「…っ!」



珍しくハッキリと悪戯っぽく笑う、由里ちゃん。

その可愛くも蠱惑的な美しさに、一気に顔が熱くなる。



僕はただその表情に見惚れて、息を呑むことしかできなかった。

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