第5話(閑話)「きっかけ」


休日。


GWに入り、高校生になってからはじめての長期休暇。

今日も私は川西公園に足を運んだ。


休みの日にこうやって外に出るのは、家に居づらいから。

ただそれだけの理由でしていた散歩に意味ができたのは、高校に入学する前の春休みのことだった。






まだこの街に来たばかりだった私に、祖父母は明確に気を遣う。

それへの応え方を知らない私は、黙って頷く事しか出来なかったし、そんな私を見てさらに祖父母は励まそうと話しかけてきた。



ありがたい事ではあるのだろうけれど、正直、放っておいて欲しかった。



そんな私の存在のせいで、気まずい雰囲気になってしまった家には居づらくて、自然と日中は外で過ごすようになった。



高校までの通学路を意味もなく歩いてみたり、お店がある駅の方まで歩いたり……。

この近辺はほとんど歩き尽くしたのでは、と感じるほど私は毎日アテもなく彷徨った。


『学校が始まればとりあえずの居場所はできる。』

気のおけない友達が出来るとか、喜びや悲しみを分かち合う仲間が出来るとか、そんな事は一切期待していない。

ただ黙って椅子に座り、教師の言葉を聞くだけで1日が過ぎる事を誰にも咎められないという、都合の良い場所が欲しかっただけだ。





そんな春休みも残り少なくなり、週明けに入学式を控えたある日、私は彼と出会った。




その日はいつものように外に出て、前日に駅周辺で声を掛けられて厄介な経験をしたこともあり、あまり遠くには行きたくないしどうしようかと考えていた、


家の前で立ち尽くす訳にもいかないので、なんとなくいつもと違って歩かずに近くの公園で座ってボーッとしていると、春休みな事もあってか何組か子供連れの家族が遊んでいる姿が目に入った。



ブランコを押してもらったり、滑り台を一緒に滑ったり、転んで泣いてしまった子はお母さんに抱き締めてもらって慰められていた。




(いいなぁ……。)


不意にそんな感想が、私の頭に浮かんだ。



あの子供達は、きっと愛されているのだろう。

いっぱい甘えて、抱き締めてもらって、頭を撫でてもらえて。


それはどれも、私はしてもらったことのない事で……。

あまり周りに目を向けてこなかった反動か、周囲と比べてひとりぼっちの自分がいかに愛されていないかを実感させられているようで、急に寂しくなった。




(……あれ?)



気づけば一筋の涙が自分の頬を伝っている。

『泣いたのなんか、いつぶりだろう』と、表面上の動かない感情は冷静なまま、指先でそれを拭う。



感情が大きく動くようなことはない、だけどこの光景を見ているのは何だか苦しい。



理由は分からないが、あまりここに居たくない気持ちが湧いてきたので、私はさっさと立ち去ろうと腰を上げた。



その時、私の前にピンク色のカラーボールが転がってきた。



「……?」



なんとなくそれを拾い上げる。

すると、小さな幼稚園児くらいの女の子がボールを追いかけて私の傍まで駆けて来た。



「……あっ。」



私の前で立ち止まり、私とボールを交互に見る女の子。

きっとこの子はこれを返して欲しいのだろう。

そのことは分かるのに、私はこれをどういう風に渡したらいいのか分からず戸惑ってしまった。



「ふぇっ……。」



動かない私を見て、女の子の表情が歪みはじめる。

いけない、このままでは泣いてしまう…。

後から思えば、ただ『はい、どうぞ。』とボールを差し出せばいいだけなのに、この時の私は焦りのせいでそんなことすら思いつかない。




頭が真っ白になって、女の子に釣られて私まで泣きそうになっていた、その時……。




「すみません、拾ってくれたんですね。」


同い年くらいの男の人が、申し訳なさそうに声を掛けてきた。



「お兄ちゃん!」



お兄ちゃんと呼ばれた男性の存在に気付いた女の子は、すぐさまその人の足にしがみ付いて後ろに隠れる。


私も保護者として同じくらいの年齢の人が来ているのは珍しかったので、つい言葉も返さずその人を眺めてしまう。



そんな私を気にした様子もなく、お兄さんは屈んで、怯えた様子の女の子の背中を優しく押した。



「こらっ、芙実(ふみ)。お姉ちゃんが拾ってくれたんだから、お礼を言わないとダメだよ?」


「うぅっ…。」


お兄さんに言われて、女の子がおずおずと顔をこちらに向ける。



「お姉ちゃん、ありがとう…。」




(……可愛い。)



素直に、そう思った。

今まで、子供は苦手だった。

いや、そもそも触れ合う機会もなく、ただ無愛想な自分に懐いてくれる子供など到底いるとは思えなかった。

でも、涙目で私を見上げお礼を言うこの子を、今すぐ抱き締めたいほどに可愛いかった。



「…はい、どうぞ。」



自分でも驚くほど自然に、私はその子に目線を合わせるためにしゃがんで、ボールを手渡していた。

おそらくこれまで生きてきた中で1番の微笑みを浮かべていたことは、自覚していなかったが…。



「…ありがと。」



もう一度小さくお礼を言って私からボールを受け取ると、またすぐに隠れてしまう女の子。



「よくできたね、えらいえらい。」


「…うん。」



ボールを持ったまましがみつく女の子に苦笑を浮かべて、お兄さんはしゃがんで頭を撫でてあげていた。

女の子の方もボールをしっかり持ったまま、お兄さんの胸に顔を埋める。




(いいなぁ……。)



再び、私の中に湧き上がった羨望は、お兄さんと女の子のどちらに向けられていたのかわからなかった。

だが思い返すと、たぶんどちらにもそう思ったのだろう。


そんなことを考えながら2人を見ていると、お兄さんの視線がこっちを向く。




「ご迷惑をお掛けしました。…あの、よかったら使って下さい。」



お互いしゃがんだまま、私と目線を合わせたお兄さんは、こちらにハンカチを差し出してくれた。


私は受け取ったもののそれの意味がわからず、首を傾げる。



「悲しいことがあった時、無邪気な小さい子を見てるとなんて言うか…、癒されますよね。」


「……っ!」



そう言って、女の子に向けていたような優しい微笑みを私に向けてくるお兄さん。

それは私が向けられたことがないもので、ついさっきまで羨んで仕方がなかったもの。



呆然とその表情に見惚れて、胸が苦しくなる。

けれど、この苦しさにはどこか心地よさも感じた。



「それじゃ。…芙実、行こっか。」



動かない私にお兄さんが会釈して、女の子の手を引き離れていく。

自分がまた涙を流していた事に気付いたのは、公園を出て行くその背中が見えなくなってからだった。





あれから、学校が始まっても休みの日にはこの公園に座っている。

お兄さんが言っていたようにコロコロと変わる子供の表情を見ていると、癒されるから…。

あの日、ここで親子の触れ合いを見て居た堪(たま)れなくなったのが嘘のように、同じ光景を眺める私の心は穏やかだった。


そして、たまにあの兄妹が来ている時はずっと2人を見ている。

目が釘付けになるとは、このことだろう。



あの日、私に向けてくれた微笑みと同じ表情で女の子に接するお兄さん。



子供達の愛らしさ以上に、彼の優しい笑みを見るたび、心がじんわりと暖かくなる。



(また、見たい……。)



願わくば、もう一度あの微笑みを私に向けて欲しい。

欲を言えば、あの女の子のように抱き締めて優しく撫でてもらいたい。



けれども、入学前に髪をバッサリ切ってしまったので、公園で見かけてもお兄さんは私だと気付いていないようだ。

…髪を切ったのも、女の子が羨ましくて髪型を真似してのことだったのに。


気付いてもらえないだけでちょっぴり失敗したかも知れないと思うほど、私はお兄さんへの思いを募(つの)らせていた。






今日は来ていない、あの兄妹を思い出して自分の表情が自然と緩む。

私が思い出し笑いをするなんて、この街に来る前のあの人達と暮らしていた頃では考えられない。




子供は、可愛い。

けれど、今の私では上手な接し方もわからないし、機会もない。

将来、自分の子供を持つことを考えても不安だらけだ。


でも、あのお兄さんと一緒なら……。

女の子に向けられる困った顔や驚いた顔、苦笑いや怒った顔ですら、どれも愛情に溢れていて、お兄さんを見かけるたびに私にも向けて欲しい表情が増えていく。





——私はこの休み中に、二つわかった事がある。

自覚した事、の方が正しいのかも知れないけど。


一つは、意外にも自分が子供好きであったこと。

そして、もう一つは……。




これは休みが明けるまでにお兄さんとの子供が出来る妄想までしていた私が、彼と同じ学校で同じ学年である事を知る、少し前の話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る