第4話「おウチ時間」


「…ただいま。」



家に着いて、返事が返ってこない事を知りながらも呟く。

寂しい、という感覚は慣れによってすでに無くなっていたはずだが、今日はちょっとだけこの静かな家の中が物足りなく感じた。



(由里ちゃんとの時間が、楽しかったのかな…。)



一人暮らしというのは意外と忙しいもので、脱いだ制服を洗濯カゴに放りこみながら『今晩は洗濯機を回さないと』と、入浴後の予定を考える。

いつも通りのルーティーンの中に、混ざる由里ちゃんへの思い。

ただ、もしこの場に毎日僕を監視するストーカーみたいな存在がいたとしても、僕の行動に違和感を感じることはないだろう。



表面上を繕うわけでもなくいつも通り、自分でも気付かないくらいほんの少しだけ上機嫌に『ご飯はこれを作るから買い物には行かないでいいな』や、『後で、リビングに掃除機をかけよう』など頭の中で家事の予定を立てて、まだ時間があることを確認する。



着替えを終えて、コップにカフェオレを入れソファに腰を降ろす。

いつもなら、休憩がてらテレビでも流し見しながらボーッとするところだが、なんとなくそんな気分じゃなくて、スマホを開いた。



(久寿川由里、か……。)



ほとんど姉との連絡用になっていたメッセージアプリに、新しく登録された名前。

それがなんとなく嬉しくて、つい眺めていると唐突に『ピコンっ!』とメッセージが来た事を告げる通知音が鳴った。



「……っと!」



気を抜いていたせいか、驚きでスマホを落としそうになりながらもメッセージアプリを起動すると、新しく作成されたトークルームの通知と、あの猫のキャラのアイコンに①というバッジが付いていた。



「由里ちゃん…?」



自分が家に着くよりも少し早く帰宅しているはずだけど、まだ分かれてから30分程しか経っていない。

思ったよりもずっと早い彼女からの初めてのメッセージに驚いていると、立て続けに『ピコンっ!』と音がしてバッジの数字が②になった。



「どうしたんだろ?」



ちょっと訝しみながらも、『試しで送ってみた』とかかな、とメッセージを開く。


案の定というか、一つ目のメッセージはスタンプでアプリに最初から入っている犬がジト目でこっちを見ていた。

そのすぐ下には、『なにしてるの?』のメッセージ。



「…由里ちゃんらしい。」



自然と、頬が綻ぶ。

ほとんど雑談で使ったことのないアプリを通した、会話。

その相手が可愛らしい異性であり、さらに自分に好意を持ってくれているとなれば、多少舞い上がってしまっても思春期の男子としては仕方のないことだろう。


そんな顔がニヤける言い訳を誰にするでもないのに考えながら、メッセージを返す。



『おかえり、早かったね。僕も帰って来て、今落ち着いたところだよ。』



当たり触りのないメッセージに、『おかえり』という由里ちゃんと同じ犬のスタンプを添えた。


すると、相手がメッセージを開いた事を知らせる『既読』の文字がすぐに表示される。



ピコンっ!


『ただいま』



素っ気ない文字でも、由里ちゃんのちょっぴり嬉しそうな表情が目に浮かぶ。



『由里ちゃんの今日の予定は?』


『ご飯までに、宿題する。』


『えらいね。僕はいつも寝る前しかやる気が起こらないよ。』


『深月は、勉強キライ?』


『嫌いというか好きじゃない、かな。由里ちゃんほどじゃないけど、それなりにテスト勉強とかはする方だと思うよ。』


『教えてあげる。』


『うん、ありがとう。じゃあ今度のテストの時はお願いしようかな。』


『頑張る。』



まだ高校に入学してからテストは経験していないが、授業中の様子などから由里ちゃんは頭が良いらしい、という噂は聞いている。

なんでも、教科書の問題にいつも淡々と答えるだけでなく、先生が時間潰しに冗談半分で出した難問すらアッサリと解いて見せたのだとか。


そんな由里ちゃんがはりきる様子が手に取るようにわかり、苦笑した。



『頑張るのは僕の方だよ。邪魔にならないようにはするけど、自分を優先しないとダメだよ。』







『うん。』



ちょっと由里ちゃんからの返信が遅れた。

これはたぶん、わかってくれてないな。

だが由里ちゃんをメッセージで説得するのは無謀な気がして、今は見て見ぬふりをして話題を変えた。








それからなんというか、メッセージでの会話は意外と弾んだ。

勉強の話題から、お互いの好きな教科や苦手な教科の事を話していたら、1時間も経っていたのだ。


会って話す時より、しっかりとやり取り出来ている気さえして『由里ちゃんには、こっちの方が合っているのかも知れない。』と思う。




普段とは違うコミュニケーションは楽しいが、今日は揚げ春巻きを作ろうと思っていて、手間が掛かるしそろそろはじめないと遅くなってしまう。




『ごめん。夕御飯にするから、ちょっと返信遅れるかも。』



『早い。いつも?』



由里ちゃんからの簡潔なメッセージをたぶん、『夕御飯にはまだ早い時間だけど、いつもこの時間なのか?』と聞きたいのだと予測する。



『ううん、今日はちょっと時間がかかる料理にしようと思ってるんだ。あと、洗濯とかもしたいから早めに動こうかなって。』



名残り惜しさはあるものの、由里ちゃんも宿題をする予定とのことだし、お互い手が空いてからまた再開してもいい。

そう考えて時間を貰おうとしたが、由里ちゃんからの返信が途切れた。




(…あれ?)



さっきまでテンポよく返ってきていたので、『既読』になっているのに返信がないことを不思議に思う。

けれど、ちょうど切り上げようと思っていたタイミングだし、由里ちゃんにも用事はあるだろうと僕は腰を上げた。







しばらくして春巻きの具の準備をしている時に、通知音が鳴った。


冷ます段階までやってしまってから、メッセージを確認すると由里ちゃんからだったのですぐに開く。




『料理、できる人が好き?』



メッセージを開いてすぐに、たぶん由里ちゃんは料理が出来ないんだろうなぁと察した。

そしてそれが原因で、僕の好みから外れることを危惧したのではないか。


ちょっと都合のいいように考えすぎな気もするけれど、そういう心持ちなら返信が遅れたことにも納得がいく。



僕は特に料理ができるかどうかで好みがある訳ではないが、これを機に由里ちゃんが料理を始められるならいい機会だと考えた。



『そうだね。それに一緒に出来たら、楽しいと思う。』



ちょっとだけ、発破を掛けるように答える。

さっきまでと違い返信するまで間が空いてしまったので、すぐに『既読』は付かないようだ。



(さてと…。)



すでに由里ちゃんも宿題に取り掛かっていると予想して、再びスマホを置き今度はリビングとキッチンの掃除を始める。

といってもほとんど掃除機をかけるだけなのだが、それが意外と時間が掛かるのだ。


由里ちゃんからの返信を気にしながら、ちょっとずつ家事をこなした。







「ふぅ、一通りやれる事は出来たかな。」



掃除の後、料理を完成させた僕は、揚げたての春巻きとご飯でゆっくり食事を楽しみ、お風呂も済ませて洗濯機も回した。

あとは、洗濯物を干す作業と宿題を終わらせれば今日のミッションは終了だ。



(あれから、由里ちゃんからの返信はないな…。)



意味もなくスマホを手にすると、いつの間にか『既読』は付いているものの由里ちゃんからの返信はない。



(まぁ、都合がいい時に返せるのがメッセージだしね。)



もどかしさを、都合が悪いだけだと無理矢理納得して、集中できないままテレビを眺める。

やがて、洗濯が終わったので二階のベランダに干す。




それから戻ってくると、由里ちゃんからの返信がきていた。



そのことにホッとしながらアプリを開くと、どうやら画像を送ってくれたらしい。



(なんの画像だろう…ん?)



映し出された写真には、エプロンを着た由里ちゃんが何か白いものを持っている。


画像をタップして大きくすると、それがなんなのかわかった。



(米?…おにぎりか!?)



その手にはうまく形になっていない、おにぎりらしきものが握られていた。

それをこっちに差し出すように持ち、失敗したのが恥ずかしいのか頬を赤くしている。



「…かわいい。」



思わず言葉に出してから、ハッとして自分がなにを言ったのか自覚する。

1人で赤面していると、『ピコンっ!』と新しい通知が届いた。



『今はこれしか出来ない。練習する。』



狙い通りとはいえ、僕が思っているよりも彼女はずっと頑張ってくれた。

ちょっと動き出しが早すぎるが、その気持ちはとてもうれしい。



『ありがとう、今度料理も一緒にしよっか。』


『する。』


『また簡単に出来る料理、探しておくよ。その中から由里ちゃんが好きなのを作ろう。』


『楽しみ。』



再び動き出したやり取りは、途切れながらも寝る前まで続いた。











夜のやり取りでの一幕。




『料理教えてもらう、お礼。』



そのメッセージのすぐ後に、またエプロン姿の由里ちゃんの画像が貼られた。

しかし、何も持っていない以外にさっきと何か違うような…。



『エプロン、気に入ったの?似合ってるよ。』



シンプルな紺のエプロンだが、リボンの刺繍が可愛らしい。

僕が素直な感想を返すと、なぜか下の方、太もも辺りを中心に映した写真が送られてきた。



その写真を見て、嫌な予感がする。




『履いてない。』




その文字を見て、頭を抱えた。

けれど、さっき送られて来た写真は目に焼き付いている。



ピコンっ!



再び鳴る通知音に、恐る恐る画面を見る。



『興奮、した?』



僕は大きく息を吐いて、落ち着こうと努めた。



『あんまり、誘惑しないで。』


『興奮、しない?』


『いや、ちょっとはするけど…。』


『なら、もっと頑張る。』


『ウソ、すごくするからもう勘弁して。』


『私で興奮してもらわないと、困る。』


『なんで?今現在、僕がすごく困ってるよ。』


『子供、欲しいから。』


『……まだ僕達には早すぎる話題だから、別の事話そう?』



必死に話題を変えて、話を終わらせたものの、会話の後いつもより寝付きが悪かった。

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