女は、痛みに気付く。血肉を貫かれる感覚。思わず、力が緩む。今度は胴への衝撃。そして壁に激突する衝撃。


 蹴った男は刀を取り戻し、また斬りかかる。女も応戦するが、脇腹を斬られ、床に転がる。

息はあるが、とても足りているとは言えない。

「免れなかったな」

「いえ、まだ」


 女は有り余る冷や汗の手で、小瓶を口に運ぼうとする。


 しかしそれは、開いた戸の音で、未遂となる。

 応援の役人たちが、女を捕らえる。小瓶の液は床に染みていく。

「毒か。どこでこんなもの」

「親分だろうよ」

 疲れ切り、壁にもたれて座っている男に、蝋燭の灯りが当てられる。

「あんたがこの女を」

「謝礼金なら、小判一枚でいい」

「何を馬鹿な。一登など出すわけがないだろう。それとも東雲気取りか」

「いつの時代も、お上はけち臭いねぇ。政も金回りも」

 まるで渋柿でも噛んだような顔をした役人は、そのまま何も言わずに男に背を向けた。


 木に当たる金属の音。しかも複数。火の灯りが銀色のそれに反射している。

 見開いた目で、男はそれらを見つめる。そしてゆっくりと腕を伸ばす。紛れもない。

「銀五枚」

「最近、物を落とす癖がひどくてな」

「そいつは直さないほうがいい」


 体勢を崩し、その五枚を拾う男を、役人は己の肩越しにちらりと望む。

「ちょっと、龍右りょうゆうさん」

「言いたいことははっきり言えよ、佐平次」

「いいんですか。あんなことして」

「人を大罪人みたいに言うなよ」

「大月様にまた怒られますよ」

「大月國応くにまさが怖くて、斬り合いが出来るか」

 龍右は部下に口止めを命じて、自らも現場の整理に参加した。


 案内人の背中に、薄っすらと光が当たり、その着物の模様が浮かぶ。

「ほう。頭巾を被った」

「ええ。三日ほどお泊りに」

「ぼろぼろの着物だっただろう」

「え、どうして」

「知っている風貌ゆえ」

「噂では落ち遊女と」

「遊女だろうと武家の女だろうと、剣を振るえば同じこと」

「それより、ここだったか」

「それではごゆっくり」

 日向は気配を飲み込んだ。部屋の中からの何かだ。

「とも、いかぬようだ。下がれ、香枝かえ


 ゆっくりと、戸が開く。その隙間からの灯りが照らすのは、一通の文だった。動じず騒がず、ゆっくりと瞼を開き、日向はそれ見つめる。

「文ですか、それ」

「いやに気を放つものだ。どれ」

「拙者、白山可了と申す。真剣試合しんけんじあいを果たされたし。釣り池にて待つ」

 日向のぼそぼそとした語りが、部屋中に響く。

「ちょっと、真剣試合って。うちでやるおつもりで」

「だが香枝よ、こうなってしまってはな。武士たるもの、引くわけにもいかんだろう」

「今日の今日でそれは」

「案ずるな。騒ぎにはせん」

「いや、そういうことでは」

「見届け人は綾川殿に」

 日向は部屋を出て、宿の玄関へ向かおうとした。しかしそれを、香枝に止められる。

「あっちですよ」

「そうだったか。複雑な間取りだな」

「日向さんにはね」

 香枝の後ろ姿を頼りに、池での決闘への道を、日向は歩む。

 

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