第32話

 黒煙と炎は退却の妨害に絶大な効果があった。煙は視界を奪い、業火は退路に立ちふさがる。

 退却に成功しているのはそのほとんどが、それなりの排煙機能があり、尚且つ耐火性も鎧兜よりは高いアルコーンの搭乗騎士だけだ。


 煤に塗れた赤いヘレスは、周囲の僚機と共に一目散に拠点を目指す。


 無駄な戦闘を避けろと言っても、浮き足立つ味方は、敵奇襲部隊の格好の的だ。演習の相手の方が遥かに手強い。


 退却しつつ、 迫り来る奇襲部隊を退け、指揮官たるサーシャは友軍への指令を与えた。

「ヘズレン、 ニュカ、お前たちの部隊は敵を足止めしろ」

 ここで言う足止めとは、生還を諦めろという意味だ。つまり死を命じたに等しい。手練れの戦士を失うのは、無論サーシャにとってはかなりの痛手でしかない。


 大勢を生かすために、少数を犠牲にする。それが善悪かどうかは別にして、この後のことを考えるならば最善だと、彼女は判断した。


 傷と煤だらけの帰還者たちは、やっと逃げ惑っていない味方に会えた。わずかに生き延びた歩兵に至っては、全員が到着と同時に倒れこんだ。

「バヒニモ!医療班を急がせろ。負傷者多数だ」

「いやしかし、その血は…」

 鎧の隙間から漏れだす血に、いやでも目が向かう。

「数回、槍と矢が刺さっただけだ」

「重傷ではないですか!」


 医療室のベッドに横たわり、バヒニモの報告を静かに聞いていた。帰還者の数、負傷者の数、そして死者の数。

「やはり潮時か。ハルド・ハロットにイフィアに、そしてヘルムインとアラステア」

「役者が揃いすぎたな」


 薬入りの瓶が並ぶ棚を見つめ、サーシャはある決意を固めた。

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光のエリュフィシア 堂壱舎 @donoichisha

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