宝生探偵事務所/探すのは因縁の人物

亀野 あゆみ

2、尋ね人は因縁の人物

 世津奈は麦茶で喉を潤してから佐伯に

「それで、誰を探せとのご依頼ですか?」

 と尋ねた。

 佐伯がもったいぶった動作で、スーツの胸ポケットから1枚の写真を取り出す。

世津奈は「失礼」と断り写真を手に取る。制服姿の女子が映っていた。高校生くらいだろうか。なかなかの美形だが、目の周りに神経質そうな影があり、表情はどこか虚ろでもある。世津奈は写真をコータローに渡してから

「どなたですか?」

 と佐伯に尋ねた。


「貴様も良く知っている人間の娘だ」

「私の知っている方?」

「貴様が警察時代に情報屋として使っていた西村祥三だ」

「えっ、西村さんのお嬢さん? お嬢さんが彼に似なくてラッキーでした」


 自分の口をついて出た言葉を、世津奈は恥じた。世津奈の亡くなった両親は、世津奈の前で人の美醜に触れた事がなかった。母は、男優や男性タレントの贔屓は口にしたが、嫌いな男優やタレント―母にもいたと思うのだが―は語らなかった。

 父は、一度だけ、人の容姿に関して世津奈に語ったことがある。世津奈が中学に上がった時だ。

「本人の努力で変えられないことで他人を悪く言うのは、フェアでない。特に、容姿を絶対に取り沙汰するな。お前より綺麗な女性を見たら、『偶然の産物』と思え。もし、お前より美しくないと感じる女性に会ったら、『神様が振るサイコロの出方が違っていたら、私がこの人だった』と思え」

父は、そう言った。


 私は父母に比べて人間がなってないと思いつつも、てらてらと脂ぎった顔でスーツの下のワイシャツをいつも汗で濡らしている肥満体の西村祥三が目に浮かぶのを止めることができない。

「貴様の言う通りだ。娘は一般的に父親に似ることが多いと言うが、西村麗奈は、幸運なことに美人の母親似だ。もしかしたら、父親は西村でないかもしれない」

 佐伯は人間について容赦がない。その厳しい視線をもう少し、自分自身に向けて欲しいものだと世津奈は思う。


「どうして、私が西村さんから情報を得ていたとご存じなのですか?」

世津奈は、警察時代、フリーの科学ジャーナリストである西村を情報屋として使っていた。

 しかし、警察官は自分の情報屋を同僚はおろか上司にすら明かさない。世津奈は、上司だった佐伯に西村の話をしたことは、一度もない。

「安心しろ。貴様は、西村の事をよく守った。奴が、貴様の情報屋だったと吐いたのだ」

「まさか?」

警察官と情報屋は一対一の信頼関係で結ばれている。警察官が上司・同僚に情報屋を明かさないのと同じく、情報屋も自分が誰に情報を流しているかを他の警察官に漏らすことはない。


「西村を悪く思うな。奴は、今、娘を人質にとられ追い詰められている。この事務所がわかっていれば、直接、ここに来ていたはずだ」

「では、この人探しは西村さんの依頼なのですか? なぜ、それを警視正が仲介していらっしゃるのです」

「宝生警部補、私の話を最後まで聴け。貴様は思慮深そうに見えて、実はせっかちだ。私の下にいた間に、改めろと何度も言ったはずだ」

耳に痛いことを言われた。


「我々が西村に用があって、身柄を抑えたのだ。ところが、奴は、娘を人質にとられているから何も言えないといって黙秘を貫いている」

「警察は無理やり吐かせようと思えば、いくらでも吐かせることができるっしょ」

あれほど佐伯に怯えていたコータローが思いがけず大胆な事を言い出した。

「それはできる」

佐伯がケロリと答える。こういうところが、佐伯は正直だ。それが原因で警察官僚の出世の本流である警備公安畑を追われ、生活安全畑に移ってきた。


「だが、私にも娘がいる。西村は妻とは離婚しているが、娘を思う気持ちに私と変わりはない。それを思うと無理強いする気になれなかった」

自己中で強引な佐伯だが、意外に人情に篤い一面を持っている。高級官僚風を吹かせて下に威張り散らす佐伯の事が世津奈は大嫌いだったが、もう一つ憎み切れなかった。それは、佐伯のこういう一面を知っていたからだ。


「そうすか。だったら、ボクらみたいな民間人に振ってこないで、警察がこのお嬢さんを連れ戻せばいいじゃないすか」

どうもコータローは変なスイッチが入ってしまったらしく、佐伯にからみ続ける。

「それが出来れば、とっくにそうしている」

佐伯が吠えた。

「出来ないから、こうして恥を忍んで貴様らに頼みに来ている!」

「警視正、ありがとうございます。こんな光栄なことはありません」

「だけど、先輩」

「コー君、廊下に出てなさい。後は、警視正と私で話をつけます」

世津奈はソファーから立ち上がり、コータローに強く命じた。コータローがふてくされた顔でソファーから立ち上がり、部屋を出ていく。


 世津奈は安堵の胸をなでおろす。コータローは佐伯と同じ国立大学の出身で博士課程中退だ。四年制卒で国家公務員試験に合格して警察官僚になった佐伯の事を心のどこかで舐めていて、地雷原に足を踏み込むことがある。

「宝生警部補、警察仕込みの恫喝は、まだサビついていないと見えるな」

佐伯が笑った。


「警視正がご自分で動かないところを見ると、この件は公安がらみですか?」

世津奈が水を向けると佐伯の顔から笑みが消え、たちまち表情がこわばった。

 あは、結局、私が地雷原に、それも、コー君が入りかけていたのより、もっと大きいのに飛び込んでしまった。

 世津奈は胸の中で苦笑いするしかなかった。


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