セカイイチカワイイ

コタニウカ

第1話

 今日も私は大きな鏡の前に立つ。

 綺麗なシワ一つないカッターシャツに袖を通す。普通に履いたら膝下丈ほどになるスカートを二回折り、シャツを少し出してたわませたら髪を高く一つに結う。ビューラーをかけ、液状のコンシーラーで肌の色ムラを無くす。前髪と横に出した耳たぶあたりまである髪をコテでくるりと巻いて、ほんのりと色のついた淡いコーラルピンクのリップを徐ろに塗ると、満足気に微笑む。やさしいバニラの香りを手首とひざ裏にまとい、スカートを翻し階段を駆け下りた。

「やっぱ、私が今日も世界一可愛い!」

自分に魔法をかけるように大声を出しながらドタドタと階段を降りて母親に呆れた顔を向けられるが気にしない。

これは私が私である為の一つの儀式なのだから。


「お願いです付き合って下さい!」


「ゴメン無理」


 全く折れない心には感心する。嫌いじゃない。だけれども理不尽に、こうしてまた一人、私が一方的に友達と認識していた友達(仮)はいなくなる。

 無意識に柄でもないため息を吐き、無意識にトイレに向かう。なんだ、女子高生は暇があるとトイレに行くプログラムでも仕込まれているのか、というほどに休み時間のトイレの手洗い場は混む。手洗い場を陣取る女子を一瞥し個室で意味もなく息をつく。手洗い場で直すな、メイクを。崩れないように朝整えてこいよ、と心の中でじとりと思ったが、常に最高の自分で居たいという気持ちは分からんでもないから放っておいてやる。辛いことというものは、辛いことが起こったあと、何の因果か立て続けに起こる。耳に入る甲高い声、


『男意識しすぎだよね』

『媚び売ってて気持ち悪いし』

『人の男誘ってんじゃねえよ』


 吐き捨てられた言葉、生み出されたばかりのしっかりと血が巡って温かく悪意のこもった暴言、取り繕った私の皮を見た偽りの褒め言葉。片耳から片耳へ抜けていく。大丈夫、痛くない。だって、私はあなたたちから可愛いと思って欲しくて私をしている訳じゃない。嫌われても知るもんか、私は他でもない私のために今を生きている。他人に言われる悪口も褒め言葉も、何一つ私の心を動かすことは叶わない。少し考えたあと、時計を確認し個室を出る。


「あっ…あのすいません、手、洗いたいんですけど…」


 その時、トイレでメイクを直していたグループにおどおどと声をかける一人の女の子が見えた。よく行くなあ、と思った。まあ悪口をこの距離で言われてこのタイミングで出ていく私が言えたことではないけれど。その子と私に同時に気づき、彼女らは青ざめた顔でそそくさとその場を後にする。


「あっ…ありがとうございます!」

「何もしてないよ」


 一瞬躊躇い、濁った緑のシャボネットでサッと手を洗い、授業に向かおうとしたその時、意味もなくもう一度改めてゴシゴシと手を洗う彼女に目を向けると、驚かされた。綺麗すぎるのだ。長い前髪で隠れた横顔が。


 気づいた時には手が動いていて、眼前には戸惑いを隠せない少女の顔が迫っていた。何を口走ったかは覚えていない。でもやっとこさ休日に会う約束を取り付け、互いに反対方向の教室に走っていった。


 新色のくすんだピンクのリップ、可愛い。

首元にさり気ないビジューが仕込まれた柔らかいトップス、可愛い。

そして何より、デニムの短いスカート、最高に可愛い。

私はたくさんのカワイイを身につけてカワイイ私を生きている。

 友達の彼氏に告白され、振っても振っても私の目の前からいなくなってくれない男や、私を「そのままでいい」と不完全なまま引き留めようとする友人。幾つものしがらみ、茨の棘にがんじがらめにされた、生きるのが下手くそな傷だらけで真っ裸の私。笑えてくる。

でもその傷だらけの私も、間違いなく私だ。傷だらけでそのままじゃ戦えない。だから私は可愛いという鎧を身につけて生きる。可愛いは戦闘力だ。キラキラ眩しい色のないアイシャドウ、爪の先には揃いのラメをあしらう。


 明日は今日よりも可愛くなれますように。そう願いながら、柔らかい枕に顔をうずめる。


 そして今日も鏡の前に立つ。

 レースのトップスに袖を通しプリーツスカートを軽やかに着こなす。ゆるくおだんごにしてオレンジを基調にしたヘルシーなメイクを終え、コテが温まる間に今日は鼻先と耳たぶにサーモンピンクのチークを薄くサッと入れる。

「うん、血色感出て可愛い」

温まったコテで前髪を巻いて、ブラウンのリップを塗る。そして、ふふん、と自慢げに微笑む。今日もバニラの香りをさりげなくまとい、ドタドタ階段を駆け下りた。

「よし、私が今日も世界一可愛い!記録更新!」

「朝からうるさいわ!」

しびれを切らした母親に怒鳴られ、そっちのがうるさいわ!と意気揚々と返す。

 なんてったって今日は、人の可愛いを作るのだ。私が可愛くなくてどうする。あれ、初対面で1対1で遊ぶってかなりハードル高くないか…しかも家で…などと考えたりもしたがその考えはほっぽりだしてわくわくと想像を膨らませる。忙しく家を出た母親を見送り、彼女を待つ。

 鳴り響いたチャイムの音からもまだ戸惑いが伝わってくる様で、驚かさないようにそっとドアを開ける。


「こんにちは…」


「いらっしゃい!」


 不安げだがどこか期待した彼女を部屋に通し、そうして、彼女は生まれ変わる。


「わあ…!!」


 猫っ毛をハーフアップにし、長い前髪は揃えてシースルーに、整った鼻筋を生かすために全体的に色味を抑えたピンクメイク、デニムのミニスカート、細いボディラインを浮き彫りにする水色のノースリーブに、パステルイエローのカーディガンを合わせた。


「こ…こんな短いスカート初めて履いた…」


 綺麗な二重でアーモンド型の目をぱちぱちさせ、でも確かに嬉しそうに微笑む彼女に、今までにないほどの幸せを覚えた。


「今、あんた世界で二番目に可愛いよ」


 私の口からぽろりと零れたその声は、彼女をさらに輝かせた。

 彼女を帰してから、メイクが進む度に表情がコロコロ変わっていくその光景ばかり思い出しドキドキして眠れなかった。


「私、こういうの向いてるかも…」


 新たな可能性に胸を膨らませながら、へへ、と柄にもなくニヤニヤし、そんなこんなで気づいたら夜は明けていた。


 そして鏡の前に立つ。

たくさんの「可愛い」を身につけた私は今や最強。そして、「可愛い」の魔法をかけることの楽しさも知ってしまった。

「総合的に見てやっぱ私、世界一可愛いよ!」

大声を張り上げ、いつも以上に勢いづけて階段をドドンと飛び降りる。

「ええい黙れ!」

母親の怒鳴りに、お母さんの方こそ黙れ!と元気よく返し、家を出る。


 徐ろに席に着き、窓の外を眺めてぼーっとしていると、聞き覚えのある声が鼓膜を揺らした。


「おはよう…!」


一日越しに見る彼女は、トイレで見た時とは見違えていて、言われなくては分からないほどだった。短い前髪の下に端正な顔立ちが目立つ。教室がざわつくのが見て取れ、誇らしさに思わず口角が上がった。細い彼女の影からおずおずと遠慮がちに出てきた小柄な眼鏡の女の子と目が合う。私は任されたと言わんばかりにふふ、と自慢げに笑いかけた。


「任せといて」


「世界で二番目に可愛くしてあげる!」

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セカイイチカワイイ コタニウカ @cochani

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