第十五話 最初の一歩


「じゃあお兄ちゃん、お風呂入ってくるねー」


「ちゃんと婆さんも女子チームに入れてやれよ。お前らリボンで盛り上がって婆さんをハブにしてたろ。リビングの隅で婆さん泣いてたぞ。うちのリビングは姥捨て山じゃないんだからな」


「はーい!」


「よし、返事だけは最高だぞ」



 女子チームが風呂に行く。「院長先生のシャンプーは私たちのチームが使う桃色じゃなくて茶色の壺ですよ」とかいじめが発生してなければいいが。



「一号」


「なーに兄ちゃん」


「男子チームで何か欲しいものは無いか?」


「んー、今の所特にないかなー。急にどうしたの兄ちゃん?」


「いや、せっかく生活が安定してきたろ? 女子チームはなんか最近おしゃれに目覚めてきたからな、男子チームも何かそういうのを見つけた方が良いかなと」


「うーん、うーん......ご飯は美味しいし、特に無いなぁ」


「そうか、何かあればいつでも言えよ? 男子チームのキャプテンはお前なんだからみんなの意見をよく聞いておいてくれ」


「きゃぷてん? よくわかんないけどわかったよ兄ちゃん」


「一号よ、兄ちゃんも男なのにそういう事に気付かなくてすまんな。そういえば兄ちゃんも昔どんな物が欲しかったのか良くわからないんだよ。多分欲しくても言えなかったんだと思うが。今なら欲しいものは? って聞かれたら流出動画を消去する力って即答できるんだが」


「まあ気にするなって兄ちゃん。そのうち欲しい物も思いつくからさ」


「頼んだぞキャプテン一号」


「またなんか変な呼び方するのな。まあ良いけど。あっそうだ兄ちゃん」


「なんだ、欲しい物を思いついたのか?」


「欲しい物っていうか、お願いなんだけど」


「ポテサラを毎日出せとかか?」


「エリナ姉ちゃんを頼むな。兄ちゃん」


「......わかった。任せろアラン」


「なんだよ兄ちゃん俺の名前知ってるんじゃん」


「男と男の約束の時は流石に真剣にならないとな。だけど兄ちゃんヘタレだから時間がかかるかも知れんぞ一号」


「兄ちゃんがヘタレなのは俺もエリナ姉ちゃんも知ってるから大丈夫だと思うぞ」


「まあ頑張るよ。あとそれはそれとしてお前はキャプテンなんだから欲しい物とか興味あるものとかちゃんと考えてくれよ」


「わかった。ありがとうな兄ちゃん」


「じゃあカルルに今日買ってきた絵本でも読んであげるかな。おーいカルルー兄ちゃんが絵本読んでやろうかー?」


「あい! にーちゃん!」


「よしよし、じゃあ小人の靴屋を読むぞー」


「あい!」



 カルルはあぐらで座る俺の膝の上に座り、興味津々に絵本の挿絵を見て、俺の読む話を聞いている。



「にーちゃん、くつー」


「そうだぞー、靴だぞー」


「にーちゃん、こびとー」


「そうだぞー、小人だぞー。でも第三話に出てくる小人は、カルルみたいな可愛い子を攫う鬼畜だから、見かけたら即殺すけどな」



 終始楽しそうにはしているのだが、キャッキャと凄く喜ぶ反応がない。

 小人の靴屋は短いのですぐに読み終えた。


 カルルは赤ずきんちゃんが好きだとエリナが言ってたのを思い出し、一応赤ずきんちゃんをカルルに読む。

 するとお婆さん料理が出てきたところで大はしゃぎし、赤ずきんちゃんがオオカミにバクっといかれたところでもキャッキャと大はしゃぎだ。


 駄目だこの子、早く何とかしないと。


 いや待て、子供たちがごっこ遊びをする物語で、豚役の子が真っ赤に染まる場面を見たらどうなるんだろう?

 はしゃぐのかな? 

 カルルが喜ぶ為なら俺は悪魔に魂を......って駄目だ!

 いくら悪魔に魂を売ったって俺が怖くて読めない、絶対無理だ。

 多分ハゲる。


 そんなアホな事を考えてるとエリナたち女子チームが戻ってくる。



「お兄ちゃん見て見てー! 今日もシャンプーを使ったら、昨日よりももっと艶々になったみたい!」


「エリナーー!!」


「なぁにお兄ちゃん。またいつもの発作?」



 俺に呼ばれたエリナがぽてぽてと俺の側に寄ってくる。



「カルルが残酷なシーンでめっちゃ喜ぶんだが、お前の教育が悪いんじゃないのか!?」


「カルルは最初からそうだったけど?」


「環境か、環境なのか? 慢心はないはず。早く何とかしないと。このままじゃカルルが人の血を見て喜ぶ駄目人間になってしまう」


「お兄ちゃん、それよりお風呂がちょっとぬるくなってたから、追い焚きしたほうが良いと思うよ?」


「おっそうか? じゃあ俺の火魔法で追い焚きするかな!」



 だが待て、釜は孤児院の外にある。当たり前だが。

 そしてもう既に外は暗い。

 もしだ、もし外に出た時に、四つん這いになってる子供がブーブー鳴いているのを見たら俺は発狂する。

 間違いなく。

 俺の精神は肉屋と豚のごっこ遊びをする兄弟の母親よりも繊細なのだ。

 ヤバい、色々考えたら怖くなってきた。どうしよう。



「なぁエリナ」


「なあにお兄ちゃん? また変なこと考えてるでしょ」


「今日一緒に寝てくれない?」


「別にいいけど?」


「良いのか!? 助かる!」


「でもなんで急にそんな事言い出したの?」


「怖いの。ブーブー鳴く子供が特に」


「? 何言ってるのかわからないよお兄ちゃん。何かの病気? 緊急事態だから魔法を使うね! <治癒>!」


「いやいや、病気じゃないって。ヤバいんだって」


「お兄ちゃん......」



 あぐらで座ってる俺の頭をエリナは優しく抱きしめる。



「はいはい、お兄ちゃん落ち着いて。お兄ちゃんは良い子ですねー」



 うーむ、なんとなく恐怖心は薄れてきた気がする。

 相変わらずそれほど柔らかくはないけど、風呂上がりで良い匂いがする。

 あの試供品の石鹸は本格導入するか。

 とはいえ、今日は追い焚きの為に外に出るのは絶対に嫌だけど。


 しばらくエリナに頭をなでられていると、やっと気分が落ち着いて来た。



「ありがとうエリナ、やっと落ち着いたよ。最高の妹だなお前は。あと緊急事態の判断も適切だったぞ。お兄ちゃんちょっと錯乱してた」


「でしょ!? お兄ちゃんの扱いなら誰にも負けないから!」


「物扱いされてる気分だけど、実際そうだから仕方がないな。よし一号、男子チームで風呂に行くぞ!」


「お兄ちゃん、アラン達はとっくにお風呂に行っちゃったよ」


「マジで!? そういやカルルもいつの間にかいないし、早く行かないと! 一人で風呂とか絶対に無理だ。特に頭を洗う時とか!」


「よくわかんないけど頑張ってねお兄ちゃん! お兄ちゃんの着替えはもう脱衣所に置いてあるから!」


「良く出来た妹でお兄ちゃん嬉しいぞ! 今日エリナにプレゼントされた下着もあるしな! 風呂入ってくる!」


「いってらっしゃいお兄ちゃん!」



 無論追い焚きなんかしない。

 外に出るとか自殺行為だ。

 自殺出来ない事で有名なヘタレだからこその選択だ。

 初夏だしぬるくても問題ないだろ。

 ガキんちょどもが居る内に頭を洗わないと!


 ダッシュで風呂場に行き、高速で服を脱ぐ。

 左手首が指定席の相棒もしっかり外しておく。



「待たせたなガキんちょども!」


「兄ちゃん遅いよ。こいつら全員洗っちゃったよ」


「すまんすまん。兄ちゃんちょっと頭と体を洗うから、終わるまで待っててくれな」


「そろそろ上がろうと思うんだけど。お湯ぬるいし」


「待って待って、お願いだから兄ちゃんが全身を洗うまで待って!」


「わかったわかった、そんなに必死にならなくてもちゃんと待ってるよ」


「おう、ちゃちゃっと洗うから待っててな」



 ガシガシと頭を洗う。

 だが妙に怖い。

 誰も喋ってないからな。



「なあ一号」


「なあに兄ちゃん」


「ちょっと怖いから何かお話して」


「兄ちゃんが何言ってるかわからないんだけど」


「怖いんだよ。何かお話してくれよ」


「うーんと、じゃあ院長先生から聞いた話をするよ」


「おう頼む」


「ある町で四人の子供が遊んでいました。子供たちは、それぞれ肉屋と料理人と料理番の下働きと豚の真似をすることにしました......」


「ストーーーーーーップ!! 犯人はババアかーーーーーー!!」



 俺は頭を洗うのを途中でやめ、さっさと流す。

 体もざっと洗っただけですぐ浴槽につかる。

 ざぶっとつかったら、栓を抜き、排水する。

 怒りのままにさくっと入浴を終わらせた。



「よし出るぞガキんちょども」


「あれ? 掃除しないの?」


「あとで罰掃除をさせる奴がいる」


「よくわかんないけどわかった」



 ささっと体を拭き、新品の下着を履く。

 うむ、履き心地は良いな。


 脱衣籠に入れられた三日目パンツに敬礼する。

 すまんな、みんなの洗濯物と一緒にしちゃって。

 お前だけ酷く目立ってるぞ。


 十二人分の衣服が入れられた脱衣籠で絶対に一番ヤバいであろう俺のパンツを洗う人間に同情する。

 誰が洗うのかはわからんが、先に謝っておく。

 ごめんね。



「さあみんなでリビングに行くぞ。仲良く全員一緒でな」


「なんか今日おかしいぞおっちゃん」


「大人にはそういう日もあるんだぞ」


「ふーん」


「お前ちゃんと聞けよ。おっちゃんこれでもナイーブなんだぞ」


「はいはい」


「くっそ、エリナ筆頭にどんどん態度がデカくなって行くのなこいつら」



 仲良く全員でリビングに到着する。



「おい! ババアは居るか!」


「どうしたんですかトーマさん」


「ちょっと院長室まで来い! 聞きたい事がある!」


「わかりました。すぐに行きます」



 ババアを院長室に呼び出して小一時間程説教した。

 なんでもグロ系はババアの趣味だそうだ。


 今後グロ話をガキんちょに聞かせない事、グロ絵本の寄付があっても断る事を約束させた。

 今ある絵本を処分するとカルルが泣きそうなのでそれは勘弁してやった。

 あと罰として、先程俺がお湯を抜いたまま放置した風呂掃除を課した。


 リビングに戻ると、女子チームはまだブラシで髪を梳かしている。



「ったく婆さんは」


「申し訳ありません、トーマさん。子供たちが喜ぶのでついつい過激な方向に」


「もういいから今後気を付けてくれ。緩いグロはこの世界じゃ割と一般的なのは理解してるけど限度を考えろ。俺が眠れなくなるから」


「はい、以後気を付けます」


「お兄ちゃん! 魔法を使っても良い?」


「しっかり約束を守って俺に許可を取るエリナは偉いけど、何の魔法を使うんだ?」


「暖かい風を出す魔法。お貴族様がこれで髪を綺麗にしてるんだって」


「ドライヤーか。たしかに自然乾燥より良いけど、温度が高すぎると却って良くないんだぞ」


「へーそうなんだ。じゃあ私じゃ強すぎて駄目かなぁ」


「俺がやってみる。火と風を混ぜるだけだろ? <ドライヤー>!」



 ぼーと手のひらから風が出た。

 しょぼい。

 でも逆にこれ良いかもな。程よくぬるいし。



「お兄ちゃん凄い!」


「よし、じゃあ髪の短い順にやるか。婆さんへの説教で時間が掛かったからもう乾いちゃってるかもしれないけど」



 順番に温風を当てながらブラッシングしてやる。

 これは素晴らしい魔法だな。

 実戦では使い道がまったく思いつかないけど。


 他人の髪を弄るのって昔は良くやらされてたから、いつの間にか好きになっちゃったんだよなぁと次々と髪を乾かしていく。

 最後は一番髪の長いエリナだ。



「なんだ、まだ濡れてるじゃないか」


「長いからねー」


「じゃあ昨日も濡れたままで寝たのか?」


「濡れるって程じゃないけど、少ししっとりしてたかな。汗をかいた時くらいに」


「その状態で寝るのは駄目だぞ。今後はちゃんと乾かしてやるから」


「うん! ありがとうお兄ちゃん!」



 ぼーと温風を当てながらブラッシングしていく。

 エリナは気持ち良いのかうとうとし始めた。



「もうちょっとだから我慢しろエリナ」


「うん。すごく気持ちいいから眠くなってきちゃった」


「まあもうちょっとだし、鏡で髪を見てみろ」



 ブラッシングの手を止め、手鏡をエリナに渡す。

 既にリビングには誰もいない。



「あっ! 凄く艶々してる!」


「だろ? ドライヤーにはこういう効果もあるんだ。低温でゆっくりやらないといけないから、お前くらいの長さだと時間かかっちゃうけどな」


「そっか、お兄ちゃんごめんね。めんどくさいでしょ?」


「慣れてるし、他人の髪を触るのは好きだからな。というかこれ以上温度も上げられないし、風量も上げられん」


「私の髪ならいつでも触って良いからね」


「割と今までも自由に触ってた気がするけど。ありがとうなエリナ」


「うん!」


「しかし女子チームは全員綺麗な髪してるけど、お前の髪は特に綺麗だな。長いのに癖もないし」


「えへへ、お兄ちゃんに褒められちゃった」


「これから野外活動も多くなるし、気を付けないとな」


「そうだお兄ちゃん。今日はどっちの部屋で寝る?」


「そうだなーなんとなく俺の部屋はまだ慣れてなくて怖いからお前の部屋で良いか?」


「ヘタレだねお兄ちゃん」


「怖いものは怖いんだし仕方がない」


「ふふふっ、ヘタレなお兄ちゃんが寂しがらないように、私がずっと側にいてあげるからね」


「ああ、頼むよ。絵本でビビっちゃう位ヘタレだからな」



 ぼーとドライヤー魔法の音が響く。

 俺はゆっくり、丁寧にブラッシングをする。


 なんとなく俺もエリナも黙ってしまっていた。


 そんな時にエリナがぽつりと呟く。



「......お兄ちゃん、私ね......お兄ちゃんの事、大好きだよ」


「俺もエリナの事は妹として大好きだぞ。......すまんな、今はここまでしか言えない」


「うん。今はそれで十分嬉しいよ。でも、いつかはちゃんとお兄ちゃんから言って欲しいな」


「今日な、アランにも言われたんだわ。『エリナ姉ちゃんをよろしく頼む』って」


「アランが......」


「エリナの事、ずっと大事にするって事だけは、今ここではっきりと言えるから」


「ありがとう、凄くうれしいよお兄ちゃん」


「でもヘタレだから、さっきの返事は待たせるかもしれないけどな」


「うん、わかってる。でも私はずっと待ってるよお兄ちゃん。ほんとはね、ミリィよりも先に言いたかったんだよ?」


「頑張る。頑張ってヘタレを卒業してみせるよ」


「頑張ってねお兄ちゃん!」


「ああ。よし終わりだエリナ、凄く綺麗だぞ」


「今ちょっとだけヘタレを卒業したね」


「少しずつ頑張って行くよ」


「うん!」





 翌日、いつものようにガキんちょどもと朝飯を食い、俺とエリナは採取の為に外に出る。


 孤児院の扉を出ると同時にエリナが俺の手を引き、踊るように走り出す。


 朝日を浴びたエリナの髪が、キラキラと黄金色に輝いている。


 今朝は一緒に寝起きした後で妙に浮ついててエリナの髪をポニーテールにするのを忘れていたな。


 勿論何もなかったけどな。



「お兄ちゃん! 今日も頑張ろうね!」


「エリナちょっと待て」



 エリナの足を止め、引き寄せて軽く抱きしめると、エリナの髪を手櫛で梳く。



「どうしたのお兄ちゃん?」


「ポニーテールにするのを忘れてたんだよ。でも良かったな。髪、凄く綺麗だぞ」


「お兄ちゃんのおかげだよ!」


「そか」



 はちきれんばかりの笑顔をこちらに向けるエリナ。


 輝いているのは髪だけではない事に気づく。



 ――そうか、エリナもガキんちょどもも全員健康になったんだよな。

 ――暗い部屋で痩せこけていたエリナはまだまだ成長途中だ。

 ――十五歳なのにまだまだ小さいエリナ。それでも。

 


「お兄ちゃんどうしたの!? 大丈夫!?」



 エリナが先程までの笑顔を急に曇らせて俺に声を掛けてくる。


 ああ、先程から視界がぼやけ始めているのは泣いているせいか。



 ――それでも、エリナやあいつらが健康でいることが。

 ――みんなで楽しく生きているというただ当たり前のことが。



「大丈夫だよエリナ。眩しくてちょっと目が痛くなっただけだから」



 ――当たり前のことがただ当たり前になった事が嬉しくて。

 ――俺が望んでいた世界にたどり着くことが出来たという事に。

 ――今やっと気づくことが出来たんだよ。


 ――ありがとう、エリナ。



「眩しいだけで泣いちゃうなんて、お兄ちゃんはヘタレだね!」


「そうだな!」



 不幸な子が居ないという当たり前であるべき事すらかなわなかった世界を憎んでいたけれど。

 俺は新しい世界で、俺が望んでいた世界で、俺の思い通りに、自分の目の届く範囲を当たり前で満たす為に。


 本当の最初の一歩を踏み出す。


 そしていつか、ヘタレを卒業してエリナにちゃんと言えるように。

 俺は、強くその一歩を踏み出した。




―――――――――――――――――――――――――――――――――

これにて一章は終了です。ご愛読いただきありがとうございました!


二章からはトーマ君とエリナの関係がより深まっていくエピソードと、トーマ君が孤児院をより良くしていこうと奮闘していくストーリーになっております。


孤児院の外ではより過酷な環境が広がっていた……?

そんな状況にどう対応していくのか、また二人がどう変わっていくのか、是非引き続き「ヘタレ転移者」をよろしくお願いいたします!



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