幕間 - 地獄の螺旋の果てにあるものは -

 物心がついた頃には父も母もいない環境に置かれていた。


 ライル=アルマダシアという名前だけは士官育成所の教官に伝えられていて、その教官から、両親は共に帰らない人になってしまった、とだけ教えられた。


 肉親を失った悲しみさえ感じることもできなかった。周囲に誰かを亡くした失意を嘆く者があれば、その感情を知ることもできたのかもしれない。けれど、ライルの周囲にいたのは自分と同じく両親を失った子か、捨て子か、あるいは戦地で生きて死ぬ運命を担がされた幼子たちだけだった。


 子どもの身柄と引き換えに大金を支給するという徴兵制が敷かれていることを知ったのはユグドラス第一侵略師団へ入団したあとのことで、それを知ったときには、もうなんの感慨も抱けなかった。実子を売り払って得た金で生き存えている父と母を、恨みはおろか哀れだと蔑む気持ちも抱けなかった。


 育成所を生き抜くためには、喜怒哀楽の感情を削ぎ落とす他なかった。


 施設の環境は劣悪で、暖房器具や毛布のような物資は望めなかった。この極寒を乗り越えられない貧弱は不要だと言われている気がした。何百人といる捨て子がほとんど毎日、少しずつ欠けていく。


 襤褸ぼろ雑巾のように痩せ細った体躯では、越冬など望めるはずもない。

日を跨ぐたびに見知った顔がいなくなった。


 枯木のように痩せ細り、凍り付いて色を失った顔を幾度となく見送った。


 息をしない同胞の亡骸を前に、覚えたのは恐怖だった。


 人は死ぬ。容易に。あっけなく。

 そして、あとにはなにも残らない。


 それから必死に、生きる目的を見出そうとした。


 同胞のように、なにもできず、なににもなれず、生きている意味すら分からないままに死にたくだけはなかった。


 十を超える頃には周囲との関係も歪なものになった。考えていることは誰もが同じ。


 誰かが死ねば自分は生き延びることができる。

 育成所で生き延びた皆が理解していた。


 生存競争は苛烈を極めた。日々の訓練で結果を残した者だけが飯にありつける決まりは数多の軋轢を生んだ。


 弱者への施しは破滅をもたらすと本能で悟る。

 明日を生きるために他者を蹴落とす。

 悪魔のような所業になんの感慨も抱けない。


「弱いお前が悪い。恨むなら、その貧相で薄弱な身体を呪え。そんで、ここで死んで俺が生きる糧になれ」


 かつて身を寄せ合って共に支え合った仲間は、いつしか敵になった。


 谷底に突き落とした子どもたちが互いに食い合う様子は、ときに大人の見世物になった。


 対人模擬訓練とは名ばかりの無法な殺し合いは頻繁に催された。蠱毒にも似た場所で生に縋ろうとする、その必死さが見世物になっていた。


 下衆な趣味だと思ったが、欠場は許されなかった。何故ならその中に、年少者を真剣に審美する視線があったからだ。そして、それこそが、この蠱毒から生きて抜け出すための鍵だった。その視線を射止めた者だけが育成所を卒業できるのだと、まことしやかに噂されていた。


 事実、模擬訓練の終了後に姿を消した者がいることを知っていた。それに、大人に手を引かれて育成所を出て行く姿を見たと、誰かが口にしていたのも耳にしていた。


 この地獄を抜け出した彼らを羨んだ。

 自分も早く、そっちに行きたい。

 解放されたい。


 縋るような気持ちだった。


 けれどそれは間違いで、幻だった。

 望んで掴み取った片道切符もまた、侵略師団という、深淵にある地獄行きだった。


 育成所を卒業するには神代魔法を習得することが必須だった。思えば、消えていった誰もがその直前に身体の不調を訴えていた。それこそが予兆なのだと知ったのは自分が神代魔法に目覚めてからのことだった。


 神代魔法をベースとした操術なしには、機鋼蟲の脚の一本すら動かせない。育成所では教わらなかった事実に困惑しながらも、侵略師団では機鋼蟲の操作訓練に明け暮れた。


 殺し合いは続いた。操作を誤った結果の仲間討ちもあったし、そう見せかけて他者を蹴落とすことも平気でやった。


 思い知った。


 対人模擬訓練など、生温かったのだと。

 戦場での殺害数を争う兵士たちの『遊び』がライルの精神を蝕んだ。実践ではひたすら殺戮に明け暮れ、血祭りにあげたその数を争う。蛮行に手を染め、殺した数すら気にならなくなると、人を殺すことにいよいよ躊躇(ためら)いはなくなった。


 ――弱いお前が悪い。ここで死ぬ運命にあったのだから、殺されても仕方がない。


 師団に配属されてから廃人になった同僚や先輩を沢山見てきた。人間を虫ケラ同然に鏖殺する、その訓練だけは育成所ではできなかったが故、だったのだろう。


 やがて師団に残るのは、心を殺して指示をまっとうする人形か、あるいは、人を人とも思わない、感性も倫理も道徳もなにもかもが腐って欠落した狂人だけ。


 どこまでも無限に広がる地獄だった。


 狂気を孕んだその場所で、正気でいられるはずもない。


 自分が生きるために踏み台になっていった同胞らの分まで生きようとして、けれど他人を殺し続けるばかりの日々に生きる意味を失って絶望した者がいた。


 良心を捨てきれず、呵責に苛なみ、病んで忘我した者がいた。


 だから、そうならないように、あらゆるものを削ぎ落とした。


 己のためにのみ生きようと心に決めた。


 感情は足枷だった。


 他人を思う気持ちのすべてが重荷であって、不要なものだった。


 そうでもしなければ、心を病んでしまうから。


 ……いや。


 そもそも、端からライルにはなにもなかった。


 とうの昔に削ぎ落としてしまったから。

 誇りも良心もない。

 護るべき家族も守りたいと強く願う誰かさえいなかった。


 心を殺したはずなのに、炎の海をみるたびに魂が軋んだ。


 己のあるべき場所はここではない何処どこかなのだと、声にならない悲鳴をあげた。


 そして、悲鳴に促されるままにユグドラスを逃げ出し、辿り着いたこの場所で。


 大切な人を守りたいという信念を知り。

 身を粉にしてでも矜恃を貫く強さを知り。

 誰かのために生きることの尊さを知った。




 昇る朝日に照らされて、薄雲の切れ間に浮かぶ深緑が騒がしい。


 薙ぎ倒される木々の隙間から現れる無数の鈍銀がだいだいまとっている。


 地響きをあげて迫り来るかつての仲間たちを、ライルは目をすがめて睨んだ。


「こうありたいと願う気持ちは、正しいはずだ」


 だから。


「こここそが、俺の居場所だ。俺の生きる意味だ」


 信じて、誇る。



 誰のためでもなく、自らのために。

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