夜明け前の静謐 (前)
結論から言えば、リーラ自身が想像していたようなことはなにひとつ起こらなかった。
魔人であることを知った面々は「だからなんだ」といった様子で、むしろ昏睡していた三日三晩に大事はなかったか、あるいはリーラが無事に快復してくれてよかった、と身を案じる声が大多数だった。
「決意ができたなら告白などさっさと済ませてしまえ。先延ばしにして吉に転がるようなことはないのだからな。なぁに、リーラが心配しているようなことはなに一つ起こらないはずだ」
身内に打ち明ける、とアルシェラに報告した際、余裕すら感じる態度で後押しをしてくれたのは、きっと事前にアルシェラが上手い塩梅で事前にフォローをしていたからだろう。
そして、ライルもまた打ち明けた。
これまではアルシェラやメイ、カイナといった一部しか知らなかった身の内を。
これには流石に絶句する者が少なくはなかった。
けれど同時、やはりそうだったか、と納得するように受け止めた面々もいた。
ライルはユグドラスに関する情報の多くを打ち明けた。ユグドラスが周辺諸国を攻める目的や機鋼蟲の機構や性能、そしてユグドラスに伝わる機鋼蟲の操縦法――
作戦会議に入ると、ライルはウォードをはじめとした多くの師団員らに掴まった。もう五時間は部屋の一室に
星辰の煌めきが眩い夜更けになってようやく解放される暇ができて、リーラは詰所の外に出た。
アスラステラの北西外縁。外壁から突き出た見張り場では丁度、見張り役の入れ替わりがあったばかりで、交代した師団員が外気に白い息を混ぜていた。
敵陣をはるかに見据えることのできる方角は不気味なまでに静まりかえっている。
あと数日もしないうちに大攻勢があるはずだと断言したライルは、リーラに替わって作戦立案の統括を行っている最中で、もうしばらくは表に出てこない。恐らく、はるか視界の先でいまは宵闇に溶けている山々の稜線に薄暮の色合いが滲むまでは。
「お疲れ様です」
振り返ると、厚手のジャケットを着込んだカイナが詰所から出てくるところだった。
カイナはそのままリーラの隣にやってきて、肩が触れ合う距離に立つ。
月に照らされたカイナの顔色にはいつにも増して
「色々と苦労を掛けたみたいで、申し訳なかったわね」
「いえいえ。気にすることないです。先輩こそ、身体はもう大丈夫みたいですね。無事に復帰されてなによりです」
「病み上がりにこの長時間のブリーフィングはちょっと厳しいわね」
「無理しないでくださいね」
「もう、周囲を騙してでも気丈に振る舞うのは辞める。カイナにも迷惑をかけてしまったし、反省もしてる。あのときはありがとうね。それと、ごめん」
「謝られる筋合いなんてないですよ。当然のことをしたまでですから」
「倒れてしまったのは、無理はするなってライルに言われた矢先だったの。足手まといになる自覚がないなら戦場に立つなって。アルフとヨハンの葬式の直後だったから私も気が立っていて、素直に聞き入れなかった。その結果は言わずもがな、よね」
「なんでもかんでも背負い込むのは先輩の悪い癖です。あたしも、みんなも、同じことを同じくらいに思ってます。それだけじゃない。守られる側は、弱ければ弱いほど、死ぬべきは自分だったのに、なんて辛いことを思ってしまうんです」
アルフやヨハンではなく、自分こそが犠牲になればよかったのだ――そんな罪悪感に駆られている師団員をカイナは知っている。
守りきれなかった、助けられなかった――そんな悔恨よりも余程根深くて重苦しいものを抱え込んで、それでも生きている面々がいることを。
「だから、先輩だけが背負い込むような真似はもうさせません。想いはみんな一緒です」
「カイナ……」
「あたしだって自分の力不足を毎日のように憎んでます。不甲斐ない自分を恨んで、力があればと、どれだけ思ってきたか……。けど、そうやって塞ぎ込んでいてもなにも変わらない。先輩やライルさんのような力はなくても、やれるだけのことをやるしかない」
そうしなければ、とても明日を生きている世界ではないから。
「生き抜くしかないんです。散っていったみんなの分まで。どれだけ惨めで、弱くても。それが生き存えた者に課せられた使命ですから」
戦場に儚く散って、身体の一つも戻ってこなかった同胞らの分まで。
矜恃ではなく、意地だ。
この命は、先に旅立っていった彼らに生かしてもらったもの。
ならば。
だからこそ。
むざむざと死ぬわけにはいかない。
醜く汚いと罵られるような生き様に縋ってでも生きるしかない。
「……そうね。そのとおりね」
リーラは満天を見上げた。
――死んだ御霊は天に昇り、星になるというのなら。
(生きろ、と問いかけているつもりなのかもしれないな……)
いつにも増して、星々の煌めきはリーラの双眸に眩く焼き付いた。
※※※
――同時刻。
「あいつ、今日はこっち来こねぇつもりか?」
ライルが詰所に
急突貫で形にしてみせたライル特注『例の秘蔵っ子』を眼前に仁王立ちしたメイの周囲には、堅い鉄板の敷き詰まった床を気にも留めず泥のように眠る工員たちが転がっていた。
「スケジュール的に土台無理だと思っていたが……なんとかなるものだな」
工場に拵えた会議机に腰を下ろしたアルシェラも、その威容を見上げては溜息を一つ。
以前から開発に着工し、この数日でライルのアイデアを付け加えて完成させた兵器。
長距離電磁波動砲。
愛着はないが、そう名付けた一品は砲塔だけで五メートル超。砲口の先端は数十にも枝分かれしており、標的を照準に入れるため本来必要となるスコープなどは一切搭載されていない。ただの人間が扱え得る代物ではないことは一目瞭然だった。
「あいつがいなけりゃ無用の長物だよなぁ……」
「あとはライルが上手く使いこなしてくれることを祈るだけだな。我も久々にこんな無茶をした。やってもらわねば報われん」
「政治に貿易に議会にあれこれ忙しい最中でご苦労さん」
「これしきのこと、メイにもできるようになってほしいのだがな」
言いながらアルシェラは右手に握った設計図面を丸めてメイへ放る。
それを造作もなく鷲掴み、ぞんざいに広げてみては嘆息した。
……できるか。こんな緻密なものを、たった数日で。
「なら、こんなむさ苦しい場所に詰め込まずに学び舎とやらに行かせてくれ」
「……すまない」
「別に。謝られることじゃねぇよ。それに、あたしにゃここが性に合ってるんだ。学校に行って教科書と睨めっこなんざ数分だってしてらんねぇからな」
そんなことはないことをアルシェラは知っている。
睡眠時間を削りながらアルシェラが仕上げる設計図面を必死に理解し、ものにしようとしていることを。
「ねだってるわけでもなんでもねぇ。あたしはあたしがやれることをやるだけさ。生き抜かないと明日だって拝めやしねぇんだからな」
何度も耳にしている呪詛だ。
自分に何度も言い聞かせて、存在意義を確立させようとする呪い。
それはある種、自分にはこれ以外なにもないのだと白状するような、そう生きていかねばならないと自縄自縛にも似た懇願のような言葉だ。
そんなことを口にさせてしまうことに、アルシェラは酷く罪悪感を覚える。
未来を生きるために将来を削るような生きかたをメイたちに課しているのは他の誰でもない。
時代が悪かった。それもあるだろうけれど。
「……メイも少し休め。明朝、これを外縁まで運ぶぞ」
「ああ。分かってる」
返事とは裏腹にメイは手元で広げた設計図から目を離そうとしない。
数時間後にまた、と言い残してアルシェラは工場をあとにした。
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