覚醒前夜 (後)

 見舞いに向かうと、先客がいた。連絡を寄越したアルシェラが長々と居座っているようだった。ベッドに横たわるリーラは目を閉じ、静かに寝息を立てている。


 半日ぶりに拝んだ女王の顔はどこか痩せこけたようだった。


 目元に浮かんだ隈が酷い。政治に外交、治安維持、兵器開発。戦場以外のあらゆる場所で指揮を取る彼女のことだ。寝ている時間はないのだろう。


「工場にいるんじゃなかったのか」

「いたさ、さっきまでな。どうせ設計図面を書くだけだ。どこでだってできる」


 その手元、円形のテーブルに広げている図面は、必ず入り用になるからとねだった一品の仕様書だ。実装スペックと設計思想だけを語って、あとはアルシェラに一任したそれ。


「やはり難儀するか」

「お主、どれだけ高出力のものを要求したか分かっておろう? 普段使いの導線と素材では簡単に焼き切れて一瞬のうちにスクラップだ」

「だが、必要なものは必要だ。三桁もの機鋼蟲をまとめて薙ぎ払うにはな」

「本当にそんな単位で仕掛けてくるのか? そんな規模を同時に操れるだなんて化物か?」

「化物であることは確かだ。機鋼蟲をそこまで操れるのは、あいつ以外には軍にいない」


 軍人の皮を被った狂犬――それが、かつての上司であるガレスに対するライルの評価だ。その獰猛さを後ろ盾する魔力量キャパシティと操術の技量は尋常ではない。


「最前線で戦果を上げるのがあいつの常だった。仮に第一師団が出てくるとなれば、絶対に出張ってくる。そのときに打ち手がなければ、待っているのは皆殺しだ」


 むぅ、と喉の奥から絞り出すように唸るアルシェラ。


 しばらく無言で仕様書とにらめっこしていたかと思えば、がさついた銀髪をがりがり掻きむしりながら唐突に席を立った。


「……城に戻る。根を詰める必要がありそうだ。レーナの介抱は一任する」

「任せる……って、いや、今日の仕事は」

「レーナに付き合ってやれ。症状については医者から一通り話をしてある。あとのことをフォローするのは、お主が適任だ」


 じゃあな、と疲れた声で去って行くアルシェラが病室から去って、取り残されたライルはアルシェラが腰掛けていた椅子に座った。


「……ようやく女王は戻っていったわね」

「ん?」


 ベッドに目を向けると、いつの間にかリーラが瞼を開けていた。覚束ない焦点を探るように、何度も瞬きをしながらゆっくりとライルに視線を向けてくる。


「起きてたのか」

「戦況は聞いたよ。あんたには無理をさせたね。それに、辛いことも」

「……俺が不甲斐ないばかりに、申し訳ない」

「あんたが謝ることじゃない。誰も、責められやしない。いなかった私が誰かを糾弾する権利なんてあるはずないんだから」


 沈痛な面持ちでそう語るリーラにかける言葉が見つからない。


「三日三晩も倒れていたんじゃ話にならないわね……ほんと」


 床に伏せているその間に、天へ召されてしまった同胞らのことを思うとやるせなさが込み上げる。


 自分が戦場に出ていれば失わずに済んだかもしれない命だった。


「無理もない。お前は覚醒したんだ」

「……私、本当に魔人、なんだ。実感ないけど、なんとなく、感覚で分かる。いままでの自分とは違うというか……別の人格のようなものが、私の存在のなかにあるというか」

「それが、お前のなかに宿った神だ。意思疎通ができるわけじゃないが、神代魔法を使うためには欠かせない存在だ」

「神って……なんなの?」

「詳しくは俺も知らない。魔人にしか宿らない力の源、ということしか」


 原理も原則も知らないし、いまとなっては知ろうも思わなかった。

 ユグドラスの大人も誰一人としてライルを含めた歩兵に教授するつもりなどなく、神代魔法に目覚めた魔人は本能的に使えるようになっていた。


 そういう代物なのだろうと勝手に解釈する他ないものに、必要以上の関心は湧かない。


「あんだけ力を使いこなしておきながら、肝心の理論とか伝承の知識がないだなんて。いつか力に喰われるタイプね、それ」

「興味がなかった。知らなかったところで困ったためしもない。喰われるならそれでいいとも思っていたしな」


 そんなの駄目じゃない、ともの言いたげなリーラを言い伏せるようにライルが声を被せた。


「それよりも調子はどうだ? いまはもう、背中に違和感を感じないはずだが」

「そうね……けど、どうやらあんたと似たような入墨がびっしり刻まれているって、医者が言ってたわ。自分では見られないのだけれど、大層立派で豪奢な絵画だって。どうしようかしらね……こんな傷物を背負ってしまうだなんて、想定外よ」


 リーラが薄く笑った。


 細めた瞼の奥で光る橙色の双眸。


 そこに宿る感情をライルは読み取れない。

 曖昧に微笑んだまま、リーラが続ける。


「正直なところ、納得できるのよ。自分が魔人メイブルだったってこと」


 ライルはわずかに目を見開いた。


「物心ついた頃に離ればなれになった両親が、ユグドラスの生まれだったから」

「そいつは初耳だが……なるほどな」

「父も母も魔法が使えたわ。いまとなっては、それが汎用魔法なのか神代魔法なのか、思い出せないけれど、いずれはリーラも使えるようになると言われていたの。それを見せることなく生き別れになってしまって。戦火のなか、親と離ればなれになった私はウォードと出会って、一緒に旅をして、流れ着いたのがアスラステラだった。その頃にはウォードに教えてもらった汎用魔法を一通り使えるようになってた。小さいくせにセンスがある、なんて言われたことも多かったけれど」


 才能があった。それは紛れもない事実だったということだ。


 ずば抜けた継戦力や魔力量も、自分が魔人なのだから然るべき。

 周囲とは人種が違うのだから当たり前の話。


 だから、いまになって、改めて思う。


「…………私、怖いの」


 あちこちで数多の人間を殺しアスラステラを何度も襲ってくる彼らと同じ血がこの身体に流れているのだと、想像するだけで怖気が背筋を撫でる。


 自分が自分でなくなってしまう、そんな得体の知れない恐怖が心の奥底で芽を出している。


 それはきっと、神と呼ばれる存在を胸の内に感じることと無関係ではないはずだ。


「やつらと同じ種族なのだと、そう考えれば考えるほど、思考がおかしくなりそうなの。魔人であることがばれたらここに居られなくなるんじゃないかって不安なの。みんなが私を見捨てられるかもって考えてしまうの」


 アルシェラから話を聞いていた。


 神の意向を示すために、ユグドラスは魔人以外の生きとし生けるものを遍く漂白・・するのだと。


 他国を乗っ取るつもりでも、領土を広げたいわけでもなく、ただただ純粋に、神の啓示に従って動いているのだと。


 思考そのものを理解できなかった。


 腹に宿ったこの意志がユグドラスを突き動かしているのかと思うと、恐ろしくて堪らなかった。


 その、もはや人間ではあり得ない思考と所業故にどれだけの被害が、無念が生まれたか。


 知っているからこそ、その恨みや怒りの矛先が自分に向けられる恐怖が頭を過ぎる。


「なぁんて……あんたに言ったところで、どうしようもないなんてことくらい分かっているのにね。魔人であるあんたにしか打ち明けられないだなんて、ほんと、参ったわ」


 声に滲ませた不安を掻き消すように、リーラは努めて明るく言ってみせた。


 見え隠れする強がりと本音。

 ない交ぜになった不安と恐れ。


 リーラの感じていることを漠と把握して、ライルは迷いながらも応える。


「……上手く言えないが、そこまで思い詰めることはないんじゃないか?」


 ないはずだ。

 少なくとも、リーラが懸念するようなことは起こりえない。


 リーラの周囲にいる誰も彼も、出生を知った程度のことで態度が豹変するなんてことは、絶対に。


「そんな保証はどこにもない。あんただってここで過ごして理解できたでしょ? あいつらがどこまで非情なのか。いくさ狂いが多いというのも納得よ。私だって戦場で機鋼蟲と相対しても恐れなんてまるで感じない。どころか、愚鈍な機鋼蟲を一対一ですら相手取れないみんなに辟易したことだって何度もある」

「それは純粋にお前が強いからだ。魔人だからじゃない」


 この身体に流れる血のせいだ、とリーラが暗に含んだものをライルは一蹴してみせる。


「力があるなら当然だ。それに、俺を巻き込むな。戦闘狂じゃねぇから」


 魔人であることと他者に手をかけることを嬉々として実行できるか否かはまったくの別だ。


 現にライル自身、殺戮から足を洗いたくて逃げ出してきた。極寒の地で送り火のように燃えさかる戦火をこの目に焼き付けながら自分の手を他者の血で染めていく行為に拒絶を覚えたことまで否定された気になって、続けた思わず声が大きくなる。


「もっと自分を信じろよ」

「信じろって……そんな簡単に言わないで」

「難しいものか。だってそうだろ? お前がいままでこの国でやってきたことは何だ? 実は魔人の血を引いていた、その程度のことでみんなが離れていくとでも本気で考えているのか?」


 あり得ない。

 彼女はアスラステラの迎撃師団の要だ。

 この国に必要不可欠な存在だ。


「お前は、自分の積み上げてきた過去を自分で否定するのか? そんなに、みんなのことを信じられないのか?」

「そういうわけじゃ……っ」

「そう言っているようにしか聞こえない」

「…………っ」


 返す言葉がなく、リーラは口元を引き結ぶ。

 冷静に考えるまでもなく、総括すればリーラの不安は信頼の瓦解に行き着く。

 掌を返すようなあからさまなことはないかもしれない。


 けれど、これまで付き従ってきた人が魔人だったと知った師団員たちの胸中が複雑になることは想像に難くない。


「そこまで不安なんだったら、俺も付き合うぞ」

「……どういうこと?」

「打ち明けるなら、俺も明け透けなくすべてを打ち明けるってことだ」

「……侵略師団にいたってことも?」

 ああ、と即座にライルは頷いて。

「そんなの……あんたにとってはなんの得もないじゃない。どうして……」

「純粋に守りたいから……そんな理由じゃ駄目か?」


 まるで想像していなかった言葉にどきりとする。


 それは、どういうことなのか。


 問い質そうと、言葉を頭の中で考えている間にライルが続ける。


「いままでずっと、誰かを殺すためだけに振るってきたこの手を、誰かを救うため、守るために振るいたいと願うのは俺の傲慢だ。けど、それは本心でもある」


 戸惑いが一瞬のうちに氷解し、リーラは小さくない安堵を覚える。

 微かに名残惜しさのようなものを感じるのはなにかの間違いだ。


「これ以上、俺は誰かを悲しませたくない。だからこそ、この想いはなにがあっても貫くべきものなんだと思えるんだ」


 はっきり矜恃だと言えないのは、気恥ずかしいからではない。


 愛する者のため。

 生まれた祖国のため。


 華奢な心を奮い立たせるアスラステラの人々とは比べものにならないほど自分勝手でちっぽけで稚拙な願いだったから。


「だからって、リーラが魔人だってこと以上のインパクトを与えるしかねぇよな、ってことくらいしか思い浮かばないのが残念なおつむではあるけどよ」


 そういうところまで明け透けに打ち明けてしまうあたりが本当に不器用だと思う


 けれど。


「気遣い、感謝するわ」


 不安の波に攫われそうになっていたいまばかりは、ライルのそんな不器用な振る舞いもどこかありがたかった。

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