覚醒前夜 (前)
――絶対安静。
かねてからリーラを看ていた主治医の声は他者に有無を言わせなかった。
無理もない。連日連夜の無理が祟っていた。そこへ、追い打ちをかけるようにして原因不明の激痛が追い打ちをかけた。
リーラが床に伏して一夜をあけた明朝。
寝息は落ち着き、その表情も幾分か和らいだが、ときおり苦しそうに呻いている。
「覚醒間近だ。ああなるのは当然だ」
病室の隣。
リーラの主治医が詰める部屋で、アルシェラがライルの声に耳を傾ける。
「以前から感じていた違和や身体の不調は、まさしくその予兆だ。さきの戦闘で覚醒するだけに足る閾値に至った。別段心配することはない」
「覚醒、というのは……
主治医が驚愕したまま、ライルへ問う。
「魔人は誰もが『神代魔法』を使えるわけじゃない。覚醒してはじめて、その強大な力の恩恵を授けられる。だが、その恩恵は神から賜るものだ。数多の危機を乗り越え、力を欲しなければ、神は応えてくれない……と言い伝えられている。リーラはずっと力が欲しいと願っていたんだろう。加えてこの戦場の最前線に何年もいたんだ。覚醒して当然だ」
「彼女はどうなる?」
「別段、なにも。最初は慣れない力に戸惑うこともあるだろうが、それもすぐに慣れる。神代魔法は覚える代物じゃない。感じて、本能的に使えるようになるもんだ」
「年端もいかないお主が神代魔法を使えるのは、ユグドラスでの訓練とやらのおかげか」
「そんなところだ。俺自身、覚醒するときはリーラと同じ症状が出た」
だからこそ心配には及ばない、と断言できるわけだが。
「貴公の説明を踏まえれば、彼女の容態に心配はいらない、ということか。いつ目を覚ますとも限らない事態になってしまったことが頭痛の種だな」
アルシェラがこめかみを押さえて唸った。
「空いた穴を埋められるのはお主しかいない、というのがまた皮肉なものだ」
「あの程度の斥候ならどうとでもなる。まぁ、部隊の本丸がやってこないことを祈るしかねぇな」
幸か不幸か、それからの三日、本丸がアスラステラを攻めてくることはなかった。
だが、それでも、連日連夜、斥候部隊による小規模な侵攻を受けた。
ライルが気に掛かったのは侵攻の手口だ。この数日のやり口はクレイトスを陥落させたときと同じ。じりじりと
本来、この一帯は第二師団が受け持っている戦線のはずだが、どういうわけか攻め方が第一師団――ライルが所属していた部隊――のものに思えてならなかった。
ユグドラスから抜け出した後、入れ替えでもあったのだろう、と踏んだ。
そうだとすれば、間もないうちにやってくる本隊は、一切の容赦をしないはず。
他の師団に比して格段に苛烈で悪辣。弑逆の限りを尽くすことで高名な
できる限りの兵装を準備するように、とアルシェラには伝えてあった。
メンテナンスだけではなく、新しい兵器を提案し、アルシェラが速攻で設計をしてはメイが実物へ仕立てていく。凄まじい早さで組み上がるそれらをウォードが戦場で試しては実機評価を行い、ライルが助言をして、その日のうちに改良されていく。
誰も彼もが限界で、けれど誰一人として弱音は吐かなかった。
なにもかもが圧倒的に足りない。
分かっていて、けれど誰も絶望しなかった。
それでも、ライルたちが奮闘する傍ら、人的戦力はじりじりと削られた。
数の増したユグドラスの機動打撃軍による掃討は苛烈を極め、情け容赦なく無力な師団員を屠った。
三日で四人。投入された機鋼蟲の数に対処しきれず、ライルと目と鼻の先で酷たらしく切り刻まれ、あるいは鉄鋼の重量に磨り潰されて戦場へ散っていった。
戦線を現場を指揮できるリーラを一時的にでも欠いている、その穴はとてつもなく大きかった。
死に絶えた彼らの遺骸を見下ろしたそのとき、ライルの胸は激しく痛んだ。
全員が、アスラステラのために死んでいった。一時でも触れ合ってしまっていたが故に、師団に身を置いている内実を、ライルは知っていた。
守るべき家族がいた。愛すべき人がいた。帰還を待っている誰かがいたのだ。
そんな彼らを、いるべき場所へ帰すことができなかった。
「戦死者が四人で済んだのは、ライルがいたからだ」
ウォードが慮るようにそう口にしたことを、恐らくはこの先、忘れはしない。
気遣いをしてくれたのは師団長ばかりではなかった。この身に魔人の血が流れていることを知っている面々の多くが、ライルのおかげで乗り切れたのだと口々に労ってくれた。
それが余計に辛かった。
自分がいながら救えない命がぼろぼろと溢れていく。戦略師団に在籍していた頃には味わったことのない無力感に苛まれた。
これが無念という感覚なのだろう、そう思えた瞬間、ライルはリーラたちに申し訳なさを感じた。信念など不要だと、不遜な物言いをしたときのリーラの形相。思い出すたびに奥歯を噛みしめるしかなかった。
矜恃がなければ戦場で立っていることもできない。
それほどまでに、魔人ではない彼らは脆く、弱い。
それでも守りたいものがあった。彼ら自身が立たなければならなかった。
その矜恃こそ、恐怖で脚が竦み、命を失う危険を前に逃げ出したくなる、その気持ちに発破をかけるために必要不可欠なものだったのだと、ようやく思い知った。
去来する感情に打ち拉がれていた四日目の朝だった。
リーラが目覚めた――その報がライルの耳に入ったのは。
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