痛み、嘆き、傲慢と偽善 (三)

 葬式が一通り終わり、リーラは人目を避けるようにそっとライルのもとへ近寄った。


 三々五々に散っていく追悼者を見送りながら、口を開く。


「これも女王の斡旋?」

「そうでなきゃ来ると思うか、この俺が」

「……自覚、あるのね」


 言ってから、失敗した、と後悔する。


 ライルが二人を殺したわけではない。

 けれど、これまで彼がやってきたことを思えば、抱かずにはいられない。


 胸の奥底に仕舞い込んでずっと押し殺してきたはずの、積もり積もった怨みと憎しみ。ぶつけるつもりなど、到底なかったというのに。


「…………あの、さ」


 吐いて捨ててしまった言葉を拾ったライルが、俯きながらぎこちなく続ける。


「俺が言えたことじゃないんだろうけど…………すまなかった」

「なっ――」


 なんで。

 強く殴られたように、感情が揺さぶられる。


「人は死んだらそれで終わりだと思っていた。ユグドラスにいた頃はこんなふうに死を悼むなんて、したことがなかった。弱いから死ぬ。強ければ生き残る。それだけだったから想像したこともなかった。そいつらにも人生があって、大切なものがあるって、意識したことなんてなかった。命なんて自分だけのものだって、ずっと、そう思ってきたから」


 なにをいまさら。


「当たり前だよな。誇れるものがなにもなかったんだから……。自分だけが生き残ることに必死で、他人のために生きようだなんて気持ちはこれっぽっちもなかったんだから」


 ふざけるな。


「大切な人のために戦うってことの意味を、少しだけ、理解できたのかもしれない。あのとき、彼らの死を愚弄するようなことを口にしたことを詫びる。申し訳なかっ――」


「ふざけるなっ!!」


 ぶちり、と。


 激情が脳裏で爆発して。

 気付けばリーラは両手でライルの襟首を締め上げていた。


「あんたの謝罪なんて、誰も聞きたくないっ!!」


 泣くように叫ぶ。


「ふざけんな!! ふざけんなよっ!! すまなかった、だって? 申し訳なかった、だって? そんな程度の言葉で勝手に懺悔した気になるなよ!! 分かったつもりになるなよっ!!」


 拒絶して、否定して、突き放す。


「彼らと一緒に育ってきた、年端もいかない子どもたちに言える!? 育ててきた大人たちに言える!? あんたの同胞が彼らを殺したんだって、だからごめんって、口にできるの!?」


「そ、れは……」


 ライルが口を濁す。


 それこそが、リーラが発した問いに対するなによりも雄弁な答えだった。


「私だったら聞き受けてもらえると思ったの!? ふざけるのも大概にしてよっ!! そんな安っぽい気持ちなんて知りたくもなかった!!」


 なぜこんな仕打ちを受けなければいけない。


 いったいどうして、こんな安易で愚直な懺悔を耳にしなければならない。


 安らかな眠りを祈った、こんな墓前で、なんで。


「大切なものの一つだってないくせに!! なにも失ったことすらないくせにっ!! 奪い続けてきた分際で、分かったふうな口を利かないで!!」


 アルフとヨハンとの死別は――悼むこの気持ちは、アスラステラで共に暮らし、育ち、志と矜恃を胸に生き抜いてきた同胞の特権であるべきなのだから。


「謝って救われるのはあんた一人だけじゃない!! 私たちはこの悲しみをずっと背負って生きていかなきゃいけないのよ!? 懺悔したくらいで勝手に罪から逃げるなよっ!!」


「俺、そういうつもりじゃ……」


 なすがままに揺さぶられるライルは困ったような顔をして、けれど二の句をつげず、黙りこくったままリーラの叫喚を受け止める――その態度だっていけ好かない。


 ああ。だから。やはり。

 意識しないようにしていたけれど。


 簡単に終わってほしくないのだ。


 謝罪など誰も求めていない。

 されたところで浮かばれもしない。


 勝手に罪から解放された気になることが赦せない。


 だってそれは、目の前の彼が一人勝手にけじめをつけるための儀式でしかないのだから。


「……ユグドラスの兵士だったあんたなんかに、謝られる筋合いなんて、ないっ!!」


 絞り出すように吐くと同時、締め上げる手が緩んだ。


「なんで……なんで、なのよ…………」


 慟哭とともに自重を支える力が抜けて、立っていられなくなる。ライルの両脚へしなだれかかって、込み上げる嗚咽を何度も飲み込む。


「あんたたちがいたから……みんな、苦しんで、死んでいく…………どうしてなのよ……なんで、こんな非道ひどいことをするのよ…………っ」

「っ…………」


 みっともない――そう思えど、堰を切った感情は止めどなく溢れてくる。

滲む視界の先、困ったように眉を曲げて途方に暮れるライルがいっそう腹立たしい。謝罪の気落ちを示しておきながら、結局、彼はこんな自分にかける言葉さえ持たないのだ。


「……その程度にしてやれ、リーラよ」


 気遣うようなアルシェラの声に、リーラはくしゃくしゃな顔を上げる。


「彼の肩を持つんですか」

「……厳しいことを言うようだが――」


 哀れむような視線を向けられて、リーラは息を呑んだ。


「――そうしていても、虚しいだけではないか?」

「…………っ」


 正鵠せいこくを射られ、返す言葉が輪郭を失っていく。


 その通りだ。謝罪も同情も欲していない。


 ――この痛みを真正面から受け止めて後生抱えて生きていけ。

 ――同じ苦しみを抱けないのなら罪の意識を自覚して、一生逃げるな。


 そういう、駄々をこねる子どもじみた要求をしているだけ。


 仮にライルが誠意を見せたところで少しだって赦しはしないくせに、心のどこかで謝罪を求めている自分がいる。


 無駄なことなのだと分かっていて、けれど突きつけることを止められない。


 それはきっと、未熟だから。


 アルシェラのように辛酸を舐め尽くして達観できるほど大人になりきれていないから。


「ライルが自身の罪状とどう向き合うべきかは彼自身が決めるべきことだ。他者の要求を淡々とこなして罪悪感から解放されるなんて、そんな甘いことはこの我が許さん。だからリーラよ……そうしたい気持ちは推し量るが、堪えよ。それは己の首を絞めるだけで誰も救われんし、報われんよ」


 なら、この気持ちはどうすればいい?


 いつまでも晴れないこの虚しさは、どうすれば手放せる?


 腹の底でぐるぐると渦巻いてしこりのように残し続ける黒い感情がじわりと染みだして、内側から押しつぶされるような感覚に苛まれる。


 解放されたいのに、己を取り巻く環境が、心に根づいた矜恃が、それを許さない。


 ライルになにを突きつけたところで、なにひとつ変わらない。


 わかっている。

 だけど――、


「……私、は」


 わかっていたって、どうしようもなく知らしめてやりたいのだ。


「私は、あんたを……あんたの国を……絶対に許さない」


 そして。


 リーラの告白を強引に掻き消すかのように。

 敵襲を知らせる鐘が鳴り響く。


「…………ほんと、空気の読めない連中」


 濡れそぼった目尻を黒衣の袖で拭い、子鹿のように脚を震わせながら立ち上がる。


 打ち拉がれている場合じゃない。

 塞ぎ込む時間はもう終わりだ。


 己を奮い立たせ、死んでいった彼らの無念と誇りを胸に立ち向かうときだ。


『総員、戦闘配置につけ』


 ウォードの、感情を殺した声が無線越しに響く。


「……了解」


 リーラは口元を引き結んだ。



 ――もう、これ以上、誰も死なせはしない。

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