痛み、嘆き、傲慢と偽善 (二)

 アスラステラ南東に位置する孤児院は、すでに失意の気配に満ちていた。


 親や親戚をなくした幼子とその世話をする後見人ら数人が住まうこぢんまりとした聖堂の跡地は、本来の用途である冠婚葬祭を取り計らう場としてはアスラステラで唯一の場所となってしまった。


 いまは見る影もなくなってしまった、かつてこの地に自生していた白樺をくみ上げて建てられた聖堂は、所々が風化し削れて古めかしい。


 三角屋根の天辺で静かに神聖な存在感を体現する十字架と風見鶏も、長らく手入れがされていないことが窺える煤け具合だ。補修も、補強も、建て替えも、この国に住まう多くが望んでいながら人手が足りないがために着手できずにいる。


 干からびてその威光の欠片もない十字架を、リーラは天を仰ぐように見つめる。

 空はいまにも泣き出しそうな曇天。

 風も弱く、土や草の匂いも薄い。幸いにして雨の気配は遠かった。


 いつもなら聖堂の裏庭で活発にはしゃぎ回っている子どもたちも、今日ばかりは誰もが浮かない顔を浮かべ、もの悲しげに俯いている。


 これで何度目だろうか。

 戦友を見送るのは。


「…………」


 鉄の扉を内側にそっと開ける。


 すっと真っ直ぐ線を引いたように伸びる道の終点に、真新しい木製の棺桶が安置されていた。二つ並んだそれを取り囲むのは、この聖堂で子どもたちの面倒を見る後見人たち。皆一様に悲しみや苦しみを押し殺し、目尻を拭っている。


 何度、見送ればいいのだろうか。


 リーラは聖堂の舞台へと歩み寄り、棺の中が見える位置へと移動して、小さく開かれた窓から中を覗き込む。そんなこに意味はないということを分かっていて、それでもなにかを望むようにして中をじっと見つめる。


(……なにを期待しているのかしらね、私は)


 なにもなかった。

 五体満足であればあるはずものは、なにひとつ。


「…………っ」


 知っていた。

 見ていたから。


 アルフとヨハンの五体は、肉塊となって戦場へ散った。砲弾のように飛んできた機鋼蟲の餌食となった。脆い身体は原型をとどめることなど到底できなかった。


 こうして突きつけらる現実の無慈悲さに、ただただ歯を食いしばることしかできない。


 守ることができなかった。助けてやることもできなかった。


 己の無力さに打ちひしがれることしかできない。


「……アルフにいとヨハンにいは、どこにいったの?」


 あとをついてきた孤児院の子どもたちが服の袖を引っ張ってくる。


「リーラ姉ちゃんはしってる? ふたりとも、ずっとかえってこないの」


 覚えたての言葉で、縋るような声を出して。


「アルフとヨハンは…………遠い所へ行ってしまったの」

「なんでなんで? もう、かえってこないの? もう、あえないの?」

「…………っ」

「いつも、かならず帰ってくるって約束するのに、どうしてなの?」

「……遠くに旅立ってしまったの。もう、二人は帰ってこないわ」


 苦しい。


「そんなのうそだっ。なにもいわずにいなくなるなんて、そんなことするわけないもんっ!! リーラ姉ちゃんなら知ってるんでしょ!?」

「…………それ、は」

「ねぇ、おしえてよ。アルフにいとヨハンにいがどこにいっちゃったのかおしえてよっ!!」


 あまりにも、苦しい。

 胸を押しつぶされるような痛みが走る。


「……ごめん」

「どうしてあやまるの? ねぇ、なんで?」


 心を八つ裂かれるような悲しみが襲ってくる。

 幼いが故に、純粋で容赦のない言葉は胸に深く刺さる。

 その痛さに嗚咽が込み上げてくる。


「っ……ごめん、なさい」

「僕たちがききたいのはリーラねえちゃんのごめんなさいじゃなくって。アルフにいとヨハンにいがどこに――」

「これ以上リーラちゃんに困らせるのはやめなさい」


 喪服に身を包んだ孤児たちの後見人が戒めるように言って、孤児たちが押し黙った。


「こんなときだってのに、色々とごめんね、リーラちゃん」

「い、いえ……」

「そろそろ時間だし、準備をしないとね……。リーラちゃんは先に出ていて」

「…………ええ」


 逃げ出すようにして聖堂を後にする。


 ――遠くに旅立ってしまったの。


 その言葉の意味するところを、おそらく孤児たちは理解できない。


 死とは無縁で、けれど空気には敏感な彼らは、誰かがいなくなってしまった事実を哀しさと寂しさという感情に置き換えることがようやくできるようになったばかりだ。


 動かなくなってしまった身体がここにあれば現実を突きつけることもできたのだろう。二度と目覚めないことを否応なく自覚できただろう。


 けれど、無慈悲な世界はそれすらも許してくれない。


 死んでしまった痕跡すら、一縷いちるも残さず奪っていく。


「……二度と会えなくなってしまったことすら、守るべき者たちへきちんと伝えることができない、不甲斐ない戦友で、ごめん」


 やがて西から流れてきた曇天が湿った風を運んでくる。

 古びた風見鶏が故人を惜しむようにぎぃぎぃと鳴いていた。


 裏庭へ向かうと、庭の隅にひっそりと佇む墓標の前に人集りができていた。棺桶を埋めるために掘り起こされた墓穴を囲むように孤児たちが立ち呆けている。


「あ……リーラ先輩」


 喪服姿のカイナがリーラへ小さく会釈する。


「おはよう、カイナ」

「あれ、居候の彼はどうしたんです?」

「女王のところよ。仕事の斡旋を受けにいってる」

「そうですか。まぁ……、一緒にここへ来られても……とは思いますし、ね」

「まぁ、そうよね………っと、運ばれてきたみたい」


 会話もそぞろに、黙祷を捧げるように口をつぐむ。


 五体が散り散りになったアルフとヨハンの身体は、欠片さえ棺桶に入ることはなかった。けれど、誰一人として、形だけでも埋葬することに口を出すこともなかった。


 せめて安らかに、と願うために。

 別れを惜しむために。


 そして、散っていったことを忘れないために。

 彼らに守られた者たちが未来を生きるために、必要なことだったから。


 二つの棺桶を引き連れてアルシェラがやってくる。


「…………」


 目立たない刺繍の施された黒色のドレス。もはや見慣れてしまった毅然とした顔立ちはなんの感情も映していないように思えて、けれどその内では激情をかみ殺していることを、アスラステラの誰もが知っている。


 その後ろ。棺桶を持ち上げてやってくる男たち。


 その中に、息を殺して気配を消すかのように混ざるライルの姿を見て取ってしまって、えっ、と声が漏れた。


 どうして、なんて口にできる雰囲気ではない。リーラは大きく開きかけた口を両手で押さえる。こんな場だというのに、突然に現れたライルの、まるで着させられているかのような黒衣に目が向いてしまう。


 深く掘った縦穴へ静かに棺桶を降ろして、黒子のように隅へ捌けると、ライルは事の行き先を見届けるようにして一同の視線を集めるアルシェラへ向き直った。


 その仕草で我に返り、リーラもまた墓前に佇む女王へ視線を移す。


「アスラステラのために全霊を尽くして闘った勇猛なる若人をこうして見送らねばならないことを、遺憾に思う。せめて安らかに眠ってくれ。我らは貴公らの分まで生き延びて、愛する者のため、守るべき者のため、かの国に抗おう。

 

 一同、黙祷を捧げよ」


 静かな悲しみが曇天の空の下に満ちていく。

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