拒絶し、否定するもの

 牙を削がれ、機関銃や両刃の鋏などの兵装が取り除かれた蠍――スナイプスコーピオンの安置された格納庫で、ライルは滑稽に変わり果てたその異様を見上げた。


「影も形もねぇ有様だな」

「基幹部品や転用できる兵装はすでに取っ払ってあるからの。残っているのは骨格と無用の部品だけじゃな」

「用途のないもんが此処ここに残ってるってことか。なら――」


 おもむろにスナイプスコーピオンの胸部へと潜り込んで、あちこちを検分しはじめる。


「…………やっぱり、残ってたか」


 すぐに戻ってきたライルの手に握られていたのは、1センチ四方ほどの小さな回路基板だった。


「そいつは?」


 ライルが掌に乗せた回路基板を、彼の後ろにいたメイが肩越しにまじまじと見る。


 全体が赤黒く変色しており、使い物にならなくなっているように思われるそれを、しかしライルはつぶさにしたためる。


「こいつこそが機鋼蟲を操作するための肝心かなめさ。なんの変哲もないみてくれだが、これを基幹エンジンに繋げなければ俺たち魔人は機鋼蟲を操作できない。で、取り付けるにあたって前処理をしないといけないわけだが――」


 淡々とそう説明しながら、あろうことか女性陣の前で上着を脱ぎ出すライル。


「はっ?」

「なにをしておるのだ貴公」

「ちょっと! なんでこんなところで急に上裸!?」


 メイが、アルシェラが、リーラが三者三様の反応を示す。リーラに至っては赤面しながら両手で口元を抑えて悲鳴をかみ殺す始末。


 だが、そんなことはお構いなしにライルは上着を脱ぎ捨てる。


「機鋼蟲を操作するには、このチップを血で染めてから組み込む必要がある。そのうえ、この背に刻まれた紋様を天に住まう神に示さなければならない――つまり背中を露出する必要があるってことだ」


 淡々と続けながら右手の親指を噛んで、じわりとあふれ出る鮮血をチップへとこぼしていく。その淀みない所作が、自傷行為に躊躇ためらいがないことの証左のようでもあった。


「ライル、その傷は、一体……」


 リーラたちが目を奪われてしまったのは、淡々と作業を進めていくライルの痩躯に浮かぶ数多の傷跡と、背中に浮かぶ入れ墨のような紋様だった。


 数多の稲妻が入り乱れたような線が黄金色を伴ってその背を蹂躙している。

 その様はまるで奴隷の痕跡のようでもあって。


 そして、背中に奔る紋様をカモフラージュするかのように全身を覆い尽くす無数の裂傷や火傷の痕跡こんせきが、彼の半生を生々しく物語っていた。


「ユグドラスで生き抜くために必要だった傷だ。語るようなことでもないし、語ってみせたところで俺が背負った罪が和らぐわけでもない。それで充分だろ」

「そんなつもりで聞いたわけじゃ――」

「傷のことには触れないでくれ。……さて、下準備は終わった。あとはこれを元の位置に装着しなおす」


 血の滲んだ指先を舐めながら、ライルは再びスナイプスコーピオンの下腹部に潜り込み、基幹エンジン部分に取り付ける。


「……そういや、この黒棺は壊さなかったのか」


 血濡れたチップを装着するための窪みが掘られた棺桶には十字架が刻まれ、無機質な全容のなかで唯一、不気味な存在感を醸し出している。ライルがその表面を拳で叩いてみせると、液体のようななにかが微かに波立つ音とともに金属特有の硬い感触を返してくる。


「そいつだけはどうしても取り外しができなかった」


 ライルの問いにメイが答える。


「内部構造がまるで不可解だし、人間がすっぽり入るようなレベルとなると暴発する可能性もあったから、叩いて壊すわけにもいかねぇ。結局そのまま放っておいたんだ」

「これとチップはセットだからな。取り外さないでおいて正解だ」


 戻ってきたライルは上裸のまま、完全に沈黙したスナイプスコーピオンの眼前に立ち、


「機鋼蟲の操作は魔法を応用する。発動にはマナを用いるが、原理は神代魔法や汎用魔法と同じだ。ただ、その方向性……というか、指向性か。こればかり大きく異なる」


 左手の人差し指と中指を立て、残りの指で緩く円を結ぶ。


「イメージは精神操作だ。己自身と機鋼蟲とを線で繋ぐように想像する。訓練は必要だが慣れてしまえば一人で何十台、何百台と操ることができる代物でな」

「こんなでかぶつをたった一人で何十も、だって? 化物か……」

「化物になれなければ廃棄処分になるだけだからな」

「廃棄、処分?」

「どう処分されるかは俺も知らない。だが……処分を言い渡された奴らと再会できた試しはない。まぁ、人を人とも思わない連中のすることだから、大方想像はつくが……」

「…………っ」


 想像するに余りあったのだろう。メイが拳を強く握りしめた。


「雑談は終わりだ。離れていろ。機動させる」


 命令に従って皆が壁際まで下がったのを確認して、ライルは左手を大きく振るう。


 背中に刻まれた紋様が怪しく、密が蕩けたように艶めかしく照り輝き。


 次の瞬間。ギギギギギギギ――と。


 長らく通電していなかったためか、軋むような音とともに機鋼蟲がよろめくようにしてその六つ脚をしかと地を踏みしめてみせた。


「ほほぉ……魔法で動かせるという話は本当だったのだな……ふぅむ。なるほど……、魔法使いでないことをこれほどまでに惜しいと思ったのは初めてだ……まるで夢のような技術ではないか……っ、いや、操縦桿やらコックピットといったものを期待するわけではないが……。しかし、原理さえ詳しく解明できれば、汎用魔法を応用することでも同じことができる気もするのだがな……むむぅ」


 爛々らんらんと目を輝かせるアルシェラの鼻息は荒い。


 無力化されてもなお、その六脚で人命などいとも容易く蹴散らしてしまいそうな異様。


 危険とはほど遠い状況でその動く姿を拝めるとなれば、この種のマニアにとっては垂涎ものではあるのだろうが。


「それにしても……改めて見ると、やっぱり不気味だわ」


 壁際に寄っていたリーラたちが少々怯えた様子でライルの側までやってくる。


「別にお前らを取って食ったりはしねぇよ」

「こ、怖いものは怖いのよっ……」

「こんだけ装甲が剥がれてりゃほとんど無力だがな。そもそもこいつは燃料切れでロクに動きやしねぇ」

「燃料ってのは、その黒棺に入ってるんだろ? 石油か?」

「そいつは…………、いや…………、少なくとも油じゃねぇよ」

「歯切れが悪いな。どうした? そんな物騒なもん積み込んでんのか?」


 機動させた機鋼蟲のなれの果てを鎮座させ、その口元へと歩み寄るライル。


 まなじりを釣り上げ、苦しげに歪んだ顔を誰にも見て取られないよう、メイやリーラに背を向けたまま重い口を開く。


「……メカニックなら気にならなかったか? どうしてこいつらに口なんてものがついているのかって」

「そりゃあ、そういう趣向で設計されたからだろ? 機能はともかくとして、ときに設計者はそういう無為なこだわりがあるしな。そうすることで自身の思想を表現する。そんなもん、はるかか昔から存在しているわけだけど――」

「捕食のために決まっているだろう」

「…………は?」

「なにとぼけた顔してやがる。一度や二度、考えたことくらいあったろ」

「…………っ」


 そう問われ、メイはすぐに反応できなかった。


 ない、とは言えなかったから。


 口腔が持つ、本来の機能。


 そこから思い当たる、当たり前の結論に。


「趣味も嗜好もありはしない。当初の設計思想など欠片もないんだよ、こいつらにはな」

「…………っ」

「創作者の願いも祈りもなにもかもを剥ぎ取られ、戦争のために必要な要素のみで再設計されたのがこいつらだ。必要がなけりゃこんな部位を搭載したりはしねぇ。メンテナンスなしで長期に駆動する前提の兵器が、どこで補給できるとも限らない石油なんかに頼るわけがないだろ」


 それを肯定してしまえば、ユグドラスとは決定的なまでにわかり合えないことが確定してしまうから。


 遠ざけてきた解を、けれどライルは躊躇うことなく突きつける。


「どの国にも必ず存在するものがあるだろう? 有機的な構成であり、一定の栄養素を保持し、そして、この機鋼蟲がその役割のためにもっとも遭遇する生き物が」

「「「――――っ!!」」」


 リーラの、そして、その瞬間まで機鋼蟲のフォルムを眺めては蕩けた表情を浮かべていたアルシェラまでもが顔色を変えた。


 その可能性に思い至ったことはメイでなくとも、何度もあった。


 だが、その結論だけはないはずだと逸らしてきたのだ。


 ――だって。それは、それだけは。


 そこに手をつけてしまえば、もはやユグドラスには人倫の欠片もないという、決定的な証左になってしまうのだから。


「血液や髄液、それから臓腑に骨や肉。栄養源――いや、この場合は燃料か。使い切るのに一人頭でおおよそ三年から五年だ」

「各地で遺体すら見つからぬ生存不明者が度々出るのは、そういう理屈だったか。最近、最前線ではその数も増えてきていると聞いてはいたが、想像をしたくはなかった……」


 そう語るアルシェラが眉間に皺を寄せる。


「クレイトスではそれなりな数の魔法使いや人間を鹵獲したが、燃料不足がなければあり得なかった命令だ。慢性的に燃料は枯渇してる。そして、ユグドラスが次に攻めるのはここ――アスラステラだ」

「そこから先は口にせずともよい」


 かつ、かつ、と一人先に出入口から外へ出ていこうとするアルシェラが苦虫を噛み潰し。


 去り際に、決意の灯るその眼を機鋼蟲に向けた。


「国民一人だって奴らにくれてやるものか。墓に入ることも戦場で散ることも許されず、憎悪すべき機械の養分にされるなど……尊厳ある死すらも冒涜する奴らにくれてやるものなど、アスラステラには一つだってありはしないのだからな……っ」

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