埒外の思考

 後ろに回した両手に手錠をかけられたまま、ライルは城内にある一室へ案内された。


 来賓を招き入れる部屋にしては質素だったが、高価な美術品が設えてあったであろう痕跡が窺えた。軍資金を工面するために売り払われたのだろう。


 これも戦争の影響か。

 ライルの対面にある厚手のソファーに腰掛けたアルシェラは、開口一番、本題に入る。


「聞き出したいことは山ほどあるが、まずは喫緊きっきんに必要な情報からだ。ユグドラスの侵略行為の目的はなんだ? まさか、この世の生きとし生けるものすべてを根絶やしにするなどという宣戦布告そのままということはあるまい」


 その問いはどこか、疑念というよりも願望のようにも聞こえた。

 せめて、そのような野蛮極まる思考でないことを祈るかのような。


 けれど生憎、一兵卒であったライルにはその祈念に応えてやれる答えを持ち合わせていない。


「俺が知っているのは、ユグドラスの上層部はこの世界を漂白するという目的で各国を支配し、制圧しているという事実だけだ。魔人以外のすべてを滅ぼすことでこの世界を真に統べる神の威光を知らしめるのだと。神なんてものが真実存在するかなど知らん。だが、上層部は本気で神を崇拝しているし、漂白こそが神の意志だと俺は聞かされた」

「……なる、ほど」

「理解したか?」

「……対話や交渉が一切通じない、イカれた国だということをな」


 アルシェラは諦念混じりに苦笑してみせる。


「宗教色に染まった国に常識が通じないのは今も昔も変わらん。宗教や神こそをあらゆる所業の拠り所とするやつらにしか見えない世界というものは確かに存在する。それは理解しよう。

 だが……、神の意向が漂白せよと、だからこの戦争を始めたのだと……、そんなふざけた道理があってたまるものか……っ」


 きつく握りしめた拳で机を叩く。だん、と乾いた音が虚しく響いた。


「もはやこちらの道理は通じぬ、そして和平や協議も望めんときた。常軌を逸しているとしか思えん……っ!!」


 まくし立てるように激昂するアルシェラ。

 かつての上司を蛇と評するなら、彼女はまるで鷹だ。


「……なんて無様な憤怒を撒き散らしても詮無いことだな。戦争終結を望むならば、ユグドラスを黙らせる他ないというわけか」

「あの国に勝てるとでも?」

「無謀だろうが絶望的だろうが、我らが生き残るためにはそれする他なかろうよ。そもそも魔人以外の鏖殺こそを目的としているならば、武器を捨てて降伏したところで命を見過ごす奴らではあるまいに。つまる話、敗北を認めることは無価値だ。この戦争において降伏などなんの意味も為さない。……そんな絶望を、覚悟したくはなかったがな」


 ソファのもたれに背中を預けたアルシェラが天井を仰ぐ。

 ふぅ、と漏れる溜息に滲むのは諦念の色。


「……………………」

「……………………」


 口を開くのも憚られるほどの重苦しい沈黙が続き、やがて耐えかねるように口火を切ったのはアルシェラだった。


「……のう、ライルとやら。貴公、なぜユグドラスから逃げてきた? 侵略師団とやらにいたのだろう? 真っ当に兵役していれば不満を抱くような処遇にはならないと風の噂で聞いているのだが……」


 確かに、待遇そのものは悪くなかった。

 師団に入団できれば三度の飯にはありつけるし、湯浴みにも衣服にも寝床にも困ることはなかった。


 それでも、疲弊する。

 磨り減っていくものは確かに存在する。


「人を殺すのに嫌気がさした。精神が病んでいくんだよ。そう思うようになった時点であの場所にいるのは無理だ。疲弊が露呈した時点で俺みたいな末端の魔人は殺処分になる。だから身の危険を感じて逃げてきた」

「なんてふざけた軍規だ……」

「そういう決まりでもなきゃ、人を殺す集団の統率なんて不可能だ。鏖殺や虐殺になんの感情も抱かず、平然としていられること自体がおかしいんだ。真っ当な人間なら誰だってそう思うだろ」


 それは人の心であり、善良であり、決して魔人が失ってはならなかったはずのものだ。


 けれど、もはや失ってしまったものすら分からなくなってしまったあの国は……。

だからこそ。


「俺は……人を殺すために生まれてきたわけじゃないって、そう否定したかった」


 それこそが、紛れもない本心だった。

 ユグドラスに居続ければ、心が腐っていく。病んでいく。


 上官や本部の命令通りに動き、殺戮に愉悦や快楽を見出してしまえば、良心なんてものは微塵も残りはしない。


 磨り減り、形を保てなくなって、やがて自我が壊れ、失っていく。


 病んで壊れてしまった同胞を何人も見てきた。人の命や住処を奪うことを躊躇すれば、待っているのは処刑という名の死刑。


 その恐怖に呑まれてしまった同僚は狂い果て、ライルの前から姿を消していった。


「俺にも魔人として生まれ持ったプライドってやつがある。だがそれは、人間を殺して優位性を示すためでも、神とやらの化身や小間使いとしてその思し召しをご丁寧に汲み取ることでもない」


 人間や魔法使いとの融和を望み、共に発展することを数少ない魔人は皆殺しにされた。

 機鋼蟲を産み出した開発者エリック=ハンツマンもまた、その一人だ。


 元々は人々の生活を豊かにするという思想の下、未だこの世に存在しない長距離走行可能な物資運搬機として産み出された機鋼蟲は、しかし。


 彼が亡くなった後、従機能として組み込まれていた防衛機能を魔改造され、殺戮兵器として戦場に投入されるようになった。


 もはや本来想定した用途では運用されていない。


 発明の理念も、意図も、託されたはずのすべてを、ユグドラスの上層部は踏みにじって。


 神の意向を示す、などという錦の御旗を振りかざして。


「それで逃げてきたというわけか……」

「亡命とは言っても、そんな簡単にできるわけじゃない。俺は運が良かった。ユグドラスに住んでいる大半はそんな機会すらも与えられない。侵略師団の前線にいて、武装ができて、徒歩と機鋼蟲以外の移動手段があって初めて、ここまで逃げてくることができた」


 自らが操っていた機鋼蟲の一体に、緊急脱出用の電動二輪車を忍ばせてあった。

だが、普通であればそんなことすらも許されない。ナンバー7の命令を忠実に実行し、信頼を獲得していたからこそ、その目を盗むことができただけのこと。


 数多の命を奪ってきたからこそ手にすることのできた、千載一遇の機会だった。


「自分の手で他国を滅ぼしておいて言うことじゃないのかもしれないが……俺は、ユグドラスの犬に成り果てる気はない」

「貴公が亡命を決めた理由についてはしかと聞き届けた。だが……、これからどうするつもりだ? 貴公の母国より強国が存在しない今、亡命とは名ばかりだぞ。少なくとも我は貴公を守ってやれる保証はできぬ。自国民すら満足に守る余裕がないのだからな」


 アルシェラは苦笑してみせる。


「まぁ……、貴公がユグドラスに反旗を翻すために立ち上がるというのであれば、できる限りの協力は惜しまん。しばらく我に服従する前提ではあるが」

「捕虜、ということか」

「戦力として役立ってもらいたいという、嘘偽りのない本心でも打ち明かせばすんなり首を縦にでも振ってくれるか? 事実、戦力という意味で期待もしている。あの蜘蛛どもを殲滅した活躍ぶりはこの目にしかと焼き付けた。魔人のみが扱うという神代魔法とやらの威力もな。その気になれば貴公一人でこの国を滅ぼせるだろうさ」


 それだけの脅威であれば、どんな理由であれ処刑するのが筋ではないのか。


 少なくとも、ユグドラスではそうだった。


 当然のように捕虜の扱いは同じだと思っていた。


 捉えた敵を晒し吊って、これこそが外敵の尖兵であると衆目しゅうもくへ晒し、処刑してみせることで民意を統一し、民が抱く敵対心と結束を強める――その材料にされるものとばかり。


「……俺に頼ってまで、この国を守りたいのか」


 純粋な疑問となって、そんな言葉がこぼれ出た。


「ふっ……、ははっ」


 アルシェラは優雅に微笑んでみせる。

 まるで、その問いを待っていたとばかりに。


「決まっておろう。国こそが我が子であり、半身であり、守るべきものだ。そのための力を欲することのなにがおかしい? 猫の手も借りたいと願って止まないところに、祖国に刃向かおうとする獅子が転がり込んできたのだぞ? これを躾け、手懐けてしまいたいと思うことのなにがおかしい」


 そう。

 ユグドラスとは状況がまるで正反対なのだ。


 敵国の兵士を公開処刑して一致団結を図るなど無意味でしかない。そんな野蛮な儀式を執り行って士気を維持しなければならない状況ではない。


 戦えるものは一人でも戦域に――それすらも満足にできていないほどに痩せこけてしまった人的資産の総意は、だからこそ、とうに結束しきっている。


「――よって貴公の処遇は端から決まっている」


 たとえそのなかに敵兵という名の多少の異物が混じっていても、構いやしない。


 個々人の矜恃や思惑や願いのすべてをひっくるめて勘案し、そのうえで、この国を生かすためにそれぞれの駒をどう配置し、使い、労い、扱うか。


 アスラステラの財産である民草を守り抜くためにすべきことはなにか。


「この国が生き残るためのあらゆることに協力をしてもらおう」


 生死の境に立ち続けているアスラステラを束ねる王に求められるべき思考回路は、それだけだ。

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