囚われの身
微かな汚泥の醜悪な匂いと
いまとなっては軽犯罪を起こす罪人も滅多に現れないのだろう、アスラステラ城の地下に設けられた獄牢では閑古鳥が啼いていた。真面目な衛兵らが昼夜で入れ替わりやってきて、城内へと繋がる石畳の階段の側で銅像のように
ぶち込まれて三日三晩が経った。
機鋼蟲を沈めて間もなく、有無を言わさない様子のリーラとウォードに連れられてそのまま投獄という仕打ちを受けた。
はじめは苛立ちと戸惑いを吐き出すように鉄格子を蹴りつけまくっていたが、そんなことをしたところで変化があるわけでもない。封魔の術式を施してあるのだろう、地下牢では魔法を行使することも叶わず、二日目には抵抗心も含めてあらゆる気力がそげ落ちた。
「逃げるつもりなんてなかったっていうのにな……」
命令通りに魔法使いを捉え、人間を殺し、根絶やし、そうして心を殺しながら生き存えてきたこの人生を変えたかった。
惨めで
だから逃げ出したのだ。
あの、忌々しい戦場から。
ユグドラスを脱走して、困り果てた。当然のように行くあてがなかった。
地獄から離れた今もなお、自分はどうしたいのか分からないままだ。
逃げている最中もずっと考えて、考えて、けれど未だにその答えはでていない。
けれど、もしかしたら、ここで見つかるかもしれないと思ってしまった。
――この国を守る信念と誇りにかけても、奴らには絶対に負けない。
煌めく儚いものを、ここで生きる彼女らに垣間見てしまったから。
「……馬鹿みたいだな」
ユグドラスにいた頃だったらあり得ない心変わり。
自らの命を
自覚して、思わず苦笑いが溢れた。
脱走してまで生きたいと願ったこの魂は、リーラたちの生き様に見惚れてしまったのかもしれない。
だから、あんな、らしくないことを叫んでしまったのだろう。
このままではいつか尽きて潰えて散ってしまうだろう命の、最後の一瞬一滴まで全力で誰かのために生きようとする姿が、あまりにも眩く、そして、尊く思えて。
そんな思考に溺れていると、階段を降りてくる人の気配がして、ライルは目を開ける。
「…………っ、飯か」
二日を過ぎたあたりから時間の間隔があやふやだ。パンと冷えたスープだけが繰り返される献立も一向に変わる気配がない。いまが朝なのか昼なのか夜なのかの分からず、もはや体内時計もあてにならない。
近づいてくる足音が、独房の前で止まった。
「飯ならそこに置いておいてくれ……」
立ち上がる気力もないライルは掠れた声でそう言って、ベッドの上で寝返りを打つ。
だが、人の気配は一向に去る様子がない。
「…………ん」
鉄柵越しに視線を感じ、ライルはのそりと上体を起こす。
そこにいたのは給仕ではなかった。
豪奢で精緻な刺繍の施された軍服を身に纏った銀髪の女性が、ライルを睥睨していた。
そしてライルもまた、彼女へ睨み返してみせる。
「ほぅ……、まるで飢えた獣の目をしているな……」
「何者だ、貴様……」
ライルは一瞥して看破する。
息づかい、後ろに一つ束ねて結わえた髪の艶、そしてまとう覇気。
対峙しているこの女は、ただものではない。
年の頃はライルと変わりない十七、八あたりだろうに、その威風の堂々たるは目を瞠るものがあった。
「しかし真っ当な教育を施されたわけでもなさそうだ。人の名を尋ねるときは、まず自分から名乗り出るという礼節を知らないか?」
「そういうのは警戒心を持たせないためにやるものだろう。いまはそういう状況でもないはずだが? それに、貴様ほどのなりであれば、知っていないわけもないな」
「我の立場を見抜く程度の目はあるときた。戦場で培った観察眼というやつか」
言って彼女はほくそ笑んだ。
その微笑は、かつての上官とはかけ離れた美麗かつ優雅なもので。
「アルシェラ・カーラーン。隣国カーラーン王国の第二王女であり、このアスラステラを束ねる女王である。貴様呼ばわりされるのは癪に障るのでな、今後はアルシェラと呼び捨てるがいい」
「……で、アルシェラとやら。この俺に用があって直々に出向いてきたんだろう? さしずめ処刑か、それとも捕虜らしく生きてみせろという命令か?」
「勘が良いのやら聡いのやら。なんともまぁ、ユグドラスの
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