幕間

 人の背丈ほどの位置に備え付けられた薄暗い間接照明が蛍火のように揺れている。


「……クレイトスでの掃除、ご苦労であった」


 頭上から振ってくるじゃがれた声が薄闇の支配する空間に反響する。

 窓も扉もない円形の室内、その隅にはいくつもの転送陣が敷かれているが、いまは部屋の南方に位置する一つを除いたすべてに封印術式が施されており、駆動する様子はない。


「戦乱に乗じ、良質な魔法使いを数十ほど捕獲したと聞いている。素晴らしい成果だ。さすがはこの私が直々に教えを授けただけのことはある……」

「苦労など、滅相もございません。あれしきのこと、治世と比べれば些末さまつなことです」


 息が詰まるような重い空気が沈殿する暗室の中央――暗闇に浮かび上がる紅の絨毯の上に片膝をついて頭を垂れるのは、薄汚れたジャケットスーツ姿の男――ガレス=シュナイダー。


 ユグドラス侵略師団の誇る第一侵略師団、その長であり、この七年にわたって数多の戦場を鏖殺によって制圧してきた掛け値なしの戦闘狂だ。


「なぁに……治世など、謀略ぼうりゃく権能けんのうと知恵があればどうとでも転がせる代物だ。退屈な行いだよ。張り合いもなければ愉悦を感じるほどのやりがいもない。戦線に出ていた頃に味わい尽くした緊張感が恋しいくらいだ。貴様もこの身になれば分かる」

「左様ですか……」

「して、ガレスよ。報告にあった例の件だが……確かな情報か?」


 ガレスは顔を上げる。

 その表情は屈辱や憤怒がない交ぜになり、酷く歪んでいた。


「…………誠に遺憾ながら、誤りはありません」

「そう、か…………」


 頭上の声がしばし止む。


 ガレスはこの男の沈黙が苦手だった。

 報告相手であるクラトス=ユガールはユグドラス侵略師団本部の総帥であり、序列にしてユグドラスのナンバー3。


 血筋から排出される国王、そして国民たる魔人メイブルの総意によって選出される国政統領を除けば、事実上、内政のトップに立つ権力者だ。


 彼が腹の底に抱える本心を明かすことは決してない。発する言葉は巧みな話術によって小綺麗かつ耳障りのいい台詞に置き換えられてしまう。


 たとえその感情の発露が喜びだろうが悲しみだろうが、怒りだろうが。


「ナンバー13失踪の原因はなんだ? なにが不満だったのだろうな? 彼にはそれなりの待遇を提供していたはずだが……」

「私も特段の不平不満を聞いたことはございません。本部の命令に反抗的であった経歴もなく、よく言えば非常に生真面目ではありました。正直、なにを考えているか読み取れないことも多々ありましたが……」

「つまり、思い当たらぬ、ということだな」

「……申し訳、ありません」


 報告した件をクラトスがどう咀嚼そしゃくして理解するか、ガレスには検討もつかない。


 明白なことは、報告書に書かれた状況を引き起こしたのは自らの監督責任に拠るところである、という事実だ。


「クレイトスを陥落させると同時に姿を消したナンバー13。彼の行方は依然として掴めずじまい。そして、ここにきてアスラステラの哨戒と斥候にあたっていた部隊が連日の全滅ときた。これの意味するところを、この私は容易に想像ができるのだが……。先日の報告、よもや嘘ではあるまいな?」


 ほんの僅か、疑念を孕んだクラトスの問いに、ガレスはゆっくりと首を振って否定してみせる。


「……ナンバー13が仮に逃走を図ったとして、クレイトスからアスラステラまでは機鋼蟲の脚でも七日はかかる距離です。かの国へ至る道は険しく、道中には町や村の一つもございません。先日報告したとおり、道中で力尽きたか、あるいは疲弊しきったところを哨戒中の機鋼蟲にでも踏み潰されたか……。いずれにせよ、ご懸念されている可能性は、万に一つもありますまい」

「私の前でそこまで言ってみせるのだ。貴公を信用してもよいのだな?」

「もちろんですとも。ただ、斥候部隊が立て続けに撤退しているこの状況、いかな部隊は違えど見過ごせない事態です。アスラステラに展開している第二部隊と連携し、策を講じましょう」

「…………戦果を期待しているぞ」

「御意」


 はるか高み、漆黒に塗りつぶされたその先にいるだろうクラトスの顔色は窺えない。

 立ち上がり、わずかに発光しだした転送陣へと踏み入ったところで、ガレスの背中に声がかかった。


「ああ、そうだ。言い伝えるのを忘れていた」

「……なんでしょう?」

「策を講じる、と言ったな。丁度良い機会だ。アスラステラの制圧を第二部隊に任せていたが、さすがにここ数日の失態は目に余るものがある。百機以上も機鋼蟲を失った第二部隊には躾も必要であろう。ゆえに、ここから先は貴公がかの戦域で指揮を執れ。差配は任せる」

「……承知しました」


「それともう一つ。ようやくといったところだが、第三類が二種、量産の目途が立った。エレファンティカ、ファスミダス。いずれも貴公が設計思想に携わった機体だったか」

「ほほぅ……。それはそれは、そうですか……っ!!」


 思わず、ガレスは笑みをこぼした。


「性能は先月の定例会議で伝えたとおりだ。貴公には説明不要だな。うまく使いこなしてみせろ。試運転がてら多少は無茶をしても構わん」

「仰せの通りに……それではクラトス卿、また後日」

「武勲を祈るぞ、ナンバー7」



 ガレスが大講堂を出ると、ユグドラスを覆う透明な外郭シェルターの外は一面の粉雪に見舞われていた。


 季節は秋から冬へ移り変わる頃合い。北方に位置するユグドラスでは馴染みの景色だ。

 近年は蒸気機関の駆動により排出される気化熱のために、シェルター内部は一年を通じて春先のような眠気を誘う暖かさに満ちている。


 十年前までは魔法に頼らなければ越冬できないほどの極寒が風物詩だったが、侵略を開始して以降は身を切るような寒さとも縁遠い。これが文明の利器がもたらした恩恵というものなのだろう。


 思えば、かの天才が機鋼蟲のプロトタイプを産み出したのも、十年前だった。

 生まれながらにして神に愛されていた彼は、ガレスが手に入れることのできなかったすべてを手中に収め、けれど、この国に反旗を翻したことで手に入れたすべてを失った。


 資産も、友人も、研究成果も、そして、家族も。

 降り積もった雪に沈む、絶望に染まった彼の顔を、未だに覚えている。


 そして死ぬまであの原体験を忘れることはない。


 幸せの絶頂にあったであろう彼を始末したあの瞬間に覚えた味は、ガレスの人生観を変えてしまった。


 人の尊厳を踏みにじり、奪い、徹底的に潰す、その快感の甘美たるや。


「…………く、くくくくくくくくくくくくくくくくくっ」


 クラトスの前で漏らさぬよう、必死に飲み込んでいた愉悦が口元からこぼれ出る。


「くひひひひひっ……、あの男の腹の内こそ見えないが、第三類さえ手中に入るならばすべては些事だ……戦場では自由にやらせてもらおうじゃないかっ」


 幸か不幸か。


 ライルが脱走しなければ、第二部隊が失態続きに陥ることもなく、アスラステラ制圧の指揮権も第三類試作品の先行投入の機会も回ってこなかった。不幸中の幸いである。


 兵器開発技術すら二流に届かない小国が斥候部隊を全滅させるなどあり得ない事態だ。

 どのような方法でライルが到達したかは知らないし興味も湧かないが、壊滅原因の解析結果からして十中八九、やつの仕業だ。アスラステラに逗留しているのは間違いない。

 でっちあげた報告内容も、これから事実にしてしまえばいい。上層部が求めるのは脅威の排除とその結果。いくら兵士が死んで機鋼蟲を鉄屑にしようが、結果を出す過程で生じた損害など些末なものとして片付けられる。


 ことは前後するが、体制や進捗にはなにも影響がない。

 すべては予定通りであり、想定の範疇だ。


「……この俺に泥を塗りたくって逃げ失せた鼠は直々に始末をしてやる」


 人目もはばからずくつくつと不気味な笑みを浮かべるガレス。


 大講堂から一直線に伸びる大通りを突き進み、ユグドラスの南方外縁に位置する第一侵略師団の本部へ戻ってくると、三階建ての最上階にある師団長専用の執務室へ直行する。

 本格的なアスラステラ制圧に向けて作戦を練らなければならない。


「師団長、報告が」


 ラフな格好へ着替え直したところで、扉を叩く音とともに部下が入ってきた。


「なんだ」

「第二師団の斥候部隊が保有するキリングスパイダー、約百機ほどが一瞬で壊滅したとのこと。それに伴い応援要請が来ています」

「ほほぅ……。またやられたか、例の雷撃に」

「どうやら、そのようです」


 もたらされた情報に、ガレスは眉をひそめながらも内心で快哉かいさいを叫ぶ。


「解析の結果、神代しんだい魔法によるもののようですが……」

「想定通りだな。これを見越して新たな機鋼蟲の投入を急ぐようにと打診をしていたが、ようやくくクラトス卿の許可も出た。例の第三類をアスラステラ戦線へ投入する。やつらの手の内は知れたようなものだ。補助装備の点検をしておけ。明日には此処(ここ)を立ち、我ら第一師団が直々に相手をしてやる」

「……はっ。承知しました」


 部下が階段を降りていく足音を聞き届けてから、ガレスは再び哄笑こうしょうをあげた。


「ああ、楽しみだよ……貴様をこの手でひねり潰せるのがなぁ!! くっ、くははははははははははははっ!!」 

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