(七)

「――…………な、にが――」


 見れば、眼前に迫っていたはずの機鋼蟲が、その腹部を向けて裏返り、鋭利な八脚で虚空を無意味に掻きむしっていた。


 ばちばち、と機鋼蟲を這いずり回る雷が蛇のように機鋼蟲の関節部分に絡みつき、その機動力をじりじりとそぎ落としていく。


「世話が焼ける」


 目を白黒させて呆けた様子のカイナの横に、稲光を迸らせる男が並び立つ。


 初めてその男――ライルを視認したカイナは、呆けたように「あ、りがとう……?」と疑問符を浮かべるような声音で感謝を告げた。


 そこへ、リーラが駆け寄ってくる。


「あなた……一体、どうしてここに……? い、いえ……それよりも助かったわ」

「感謝されるほどのことでもない。俺が勝手にやったことだ」

「それでも、ありがとう。駆けつけてきてくれなかったら、大事な仲間を失っていたのだから……」

「自分たちの身は自分たちで守る、だったか? 大見得を切っておきながらこのザマか」

「そ、それは……」

「この戦線を維持していた? 笑わせるな。この戦線は戦略上ユグドラスがあえて押し上げなかっただけだ。時間を掛けて戦力を削るために延々送り込まれた斥候部隊だ。こんな奴らと対等に渡り合っていた程度で誇るんじゃねぇよ。しかも、昨日はてめぇらが侮っていたせいで二人も死んじまったんだろうが」

「…………っ!!」


 リーラが苦虫を噛み潰したように、表情を歪める。


「人があってこその国なんじゃねぇのか。国のため、誰かのため、大切な人のために死ぬだなんてこと、絶対に誇っていいもんじゃねぇ。そいつは、自分てめぇ自身の必要性を耳障りのいい大義と強引に結びつけた自己満足でしかねぇだろうが」

「…………そんなことを、彼らが散っていったこの戦場で、口にしないで……っ」

「……なんだって?」

「彼らのことを何も知らないくせに、愚弄するなって言ってるのよ!!」


 肩で息をするリーラが、顔を紅に染めながらライルをにらみ返した。


「あんたの手助けなんかいらない」

「馬鹿なことを言っている場合か?」

「味方を愚弄する人に頼れって? それこそ冗談でしょ」

「聞けない話だな。邪魔になるから下がっていろ」

「ふ、ふざけないで!! どこの誰とも知れないあんたなんかに――」

「四の五の言ってる場合じゃねぇだろ!! 全員ここで死にたいのか!? てめぇらだけでどうにかできる状況なのかこいつはっ!? ちげぇだろうがっ!!」


 彼方から迫る、もう何度目とも知れない機影を凝視しながらライルが言い放つ。


「死んで誉れだなんて、心の底じゃあ誰も望んじゃいないんだろうが!! どこぞの雑魚の信念なんて知るか!! 矜恃なんて知りたくもねぇ!! 確かなのは、死んだらそこでなにもかもが終わっちまうってことだろうがよっ!!」

「…………っ」


 リーラは肩をわなわなと震わせる。

 けれど、込み上げてくる怒りとは裏腹に、言い返す言葉などありはしない。


 冷静に現実を俯瞰すれば、ライルが語ることこそが事実であることを否定できない。


 二人が欠けたばかりの部隊は既に疲弊し、敵機は未だ際限なく湧き出てくる。

 満足な後方支援は望めない。


 そして、絶望的な戦況をひっくり返すことができるのはライルただ一人。


「先輩…………」


 歯を食いしばり、拳をきつく握りしめるリーラの様子に気付いたカイナが優しく声をかける。


「役立たずのぼろぼろになってしまったこのあたしが言えることではないかのもしれませんが……彼がそれだけの力を持つというのなら、任せるべきではないでしょうか……」

「……………………っ」


 それは果たして、リーラが期待していた言葉だったかは分からない。

 ただ、


「…………そう、ね。そのとおり、だわ」


 少なくとも、この状況を動かすことに繋がる。


「……ごめん、カイナ。ごめん、みんな。不甲斐なくて。力になれなくて、ごめん」

「…………どいていろ」

「……あとは、お願い」


 その言葉にどれだけの想いが込められていたのか、ライルには理解できない。

だが、一つだけはっきりしたことがある。


 そして、それだけが明白であればいいとも思う。


「ああ」


 こきりと首を鳴らし、頽れた敵機の側面に記された二桁の番号を一瞥すると、ライルは口元をふっと緩めた。


 自分が抜けた、その穴埋めで配置されたか、このナンバーは。

 相手の力量は把握した。


「さぁて……」


 三桁に迫るキリングスパイダーの群れを操る斥候部隊の指揮者はいくらでも補充のきく使い潰しを前提とした末端要員だ。


 そしてキリングスパイダーもまた、無限に量産できる尖兵でしかない。


 その程度の雑兵ごときが、侵略師団の本体に所属し最前線を張ってきたライルと対等に渡り合えるはずもなく。


「はじめるとするか、顔も知らない後輩(ナンバー81)。これは戦闘ではない。抵抗でもない。俺たちが声高に叫ぶところの漂白行為でしかない。お前も、お前が差し向けてきた機鋼蟲も、なに一つとして生かしはしないよ」


 そうして深く息を吸い込むんだライルは左手を天へ伸ばし、人差し指と中指を立てた。


「神のしもべたる魔人に造られし蟲どもよ、全天を統べる天空神の憤怒を知れ――来たれ雷霆らいてい、ケラノウス!!」


 瞬間、再びの雷霆が戦場を席巻する。


「くうっ――」

「きゃあ――」


 その凄まじい雷鳴が巻き起こす突風に、リーラとカイナは地に伏せて顔を両腕で覆う。


 聴覚が瞬間的に機能しなくなるほどの稲妻が天から地へ無限に伸びて、数多の機鋼蟲を巻き込みながら爆炎と黒煙が立ち上った。


 稲光は止まるところを知らず、上空に忽然こつぜんとして現れた鈍色の雲がはるか先まで伸びては次々にいかづちを落としていく。


 裁きの雷霆――そう表現する他ない。

 圧倒的で一方的な殲滅がそこにあった。


 やがて雷鳴が収まり、ライルが左手を静かに振り下ろす。


「…………さて」


 晴れていく視界。

 積み上がる鉄屑の残骸は辛うじて原型をとどめてはいるものの、数十ある機体のひとつとして再起動する気配はない。


「状況終了。斥候部隊は殲滅した」

「ライル……あんたは、一体何者なの?」


 状況を視認し、胸を撫で下ろすでもなく、リーラはライルから距離を取って詰問する。


「ユグドラスの侵略域に住んでいた……ただそれだけじゃないわよね?」

「…………」


 規格外とも言える魔力の奔流に二度もあてられた彼女の反応は無理もないものだった。


 遅かれ早かれ、こうなることは予期していた。


「答えて。ライル」


 リーラは恐らく勘づいている。


 汎用魔法とはまるで異なる体系の魔法を二度も披露してみせたのだから、思い当たってしかるるべき。


 もはや言い逃れはできない。

 そう悟ったライルは、観念したように口を開いた。


「俺は、ユグドラス直属の侵略師団に所属していた魔人だ。そしていまは、師団から離脱して追われる身となった脱走兵――つまり、亡命者だよ」 

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