(四)
「「――――――――ッ!!」」
『リーラ、カイナ、応戦しろっ!!』
「総員撤退! カイナ、最大出力っ!!」
「――っ、天雷よ、白熱して弾け散れ――【アルヴェン】!!」
師団員が戦線を離脱せんと猛然と駆け出す。
すべてはカイナの魔法の巻き添えとならないために。
その天に映える水色の空を、純白に染めるはカイナの秘奥。
「神盾よ、天蓋の如く咲き誇れ――【エイジスフィールド】!!」
そして蜘蛛型の進軍と猛攻を食い止めるための、全霊を注いだリーラの絶対防衛領域。
攻防一体となった境界線の向こうは、もはや生身の人間が存在できる空間ではない。
「はああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
極点にして摂氏百万度へ到達する太陽コロナ。
その絶大なエネルギーを招来したカイナは、裂帛の咆哮とともに白熱の
危機を察した蜘蛛が進軍をすべく八つ脚をせわしく蠢かせ、進軍を開始。
だが、リーラが展開した神の盾を攻略できないと即座に悟った刹那、バックステップの要領で退却しはじめる。
その、一瞬の判断の遅れが敵機の運命を決めた。
「逃がすかぁっ!! くたばれええええええええええええええええぇぇぇぇぇっ!!」
天地を楔の如く繋いだ落雷が蜘蛛を捕らえ、空から地上へと轟音が駆け抜けた。
リーラも久々に垣間見るカイナの一撃は、標的の物理的存在さえ許さない天の怒り。
「…………っ」
純白に染め尽くされた視界を取り戻そうと、リーラは両目を法衣で擦った。
ようやく視界に彩りが戻ってきたところで、原型をとどめず砂鉄の山と化した敵機の残骸を捉えて、
「――な、」
リーラは絶句する。
新型の強襲に思考を支配され、いまこの瞬間まで思い至らなかった。
いや。
どうして、投入される新型の機影が単騎だと思い込んでいたのか。
「――っ!!」
こここそは機鋼蟲が幾度となく攻め込み、けれど、一度たりとて侵攻を許したことのない戦線。
それはつまる話。
クレイトスが陥落したことによって、ユグドラスが支配圏拡大のために戦力の大半を注ぎ込まれることとなってもなんらおかしくない前線の一角ということ。
敵国がなんの考えもなしに新型を単独で遣わせるはずがないだろうに。
『二人とも、退却だっ!! 魔力を使い果たしたお前たちがどうにかできる数じゃない!!』
怒号のような指令を出すウォードの声が耳朶を叩く。
命令などなくとも、そうせざるを得ない。
同胞をあの世へ連れていった蜘蛛を怒りに任せてを文字通り消し飛ばし、そして逃げる仲間を守るために、二人は魔力のすべてを使い果たしてしまった。
いつもならばこれで終わり――そのはずだった。
「あ、ああっ……」
「そ、んな……っ」
揺らめく視界の遠く、浮かび上がってくる数多の機影。
迫り来る第二陣のほぼ全機が、せりあがった尾ていも頭胸部もない新型。
それの意味するところを、二人は互いに確認し合うまでもなく悟る。
勝機はない。
ここで撤退しなければ、待つのはアルフやヨハンと同じ運命だ。
けれど、逃げおおせたところで所詮は無意味な延命でしかないという事実が絶望の色を伴って二人を飲み込もうとする。
「う、嘘だっ……!! こんな……こんなのって……っ」
「っ!! 逃げるよ、カイナ!」
足を竦ませるカイナの手を強引に引っ張り、戦線からの離脱を試みる。
だが、カイナはがくがくと膝を震わせ、迫り来る敵兵を前に呆然と戦(おのの)くのみ。
「立ち止まらないで!!」
そう叫ぶリーラだが、カイナが動けない理由も分かってしまう。
逃げる場所など一体どこにあるというのか。
アスラステラ最強の魔法使いが使い物にならなくなった以上、蜘蛛の大群を蹴散らす術はこの国に存在しない。
安全圏などないに等しいのだ。
きぃぃぃぃ――……、と、腹の底から響くような不快な駆動音が迫る。
目的のために
あんな化物に攻め込まれれば、アスラステラは瞬く間に攻め落とされる。
「…………っ!!」
分かっていながら、リーラにはどうすることもできない。
歯を食いしばり、ひたすら逃げる。
最低最悪の悪夢に思考が塗りつぶされていく。
諦念が思考を支配していく。
もはや残された道は、
「う、ぐっ――」
繋いでいた手が途端に重たくなる。
「っ、カイナ!?」
振り返るとカイナが倒れ伏していた。
蒼白となった顔面に珠のような汗が浮かんでいる。
「まさか、こんなときに……っ」
汎用魔法の酷使による魔力欠乏症の兆候だった。
魔力量は並だというのに、強力な魔法を詠唱できるカイナだからこそ、以前からときおり発症していた持病。
滅多に詠唱しない【アルヴェン】を最大火力で発動させた以上、遅かれ早かれこうなることは明らかだったけれど。
よりにもよってこのタイミングで。いまでなくてもいいだろうに。
『リーラ、どうした?』
「カイナが……っ」
『…………お前だけでも戻ってこい』
「っ……」
冷徹で残酷なまでに無慈悲な命令。
反発したくなる気持ちを、リーラは理性で抑え込む。
ウォードの言うことは絶対的に正しい。一人でも生き残るためにはそうする他ない。
そんなことくらい頭では理解している。
それでも。
「せんぱい……にげ、て……」
即断なんて、できない。
ただでさえ仲間を二人も失ったばかりだというのに。
最も信頼できる相棒を見殺しにしろだなんてこと。
「は、やく……」
「…………っ、私は……っ」
もう、絞れるほどの気力も残っていなかった。
虚ろに視線を彷徨わせるカイナに寄り添ったまま、リーラは動けない。
記憶の奥底に眠らせていた悔恨が押し寄せてくる。
――両親を見殺しにして生き
――ここで大事な仲間まで犠牲にして生き延びたいのか。
そんな悪魔の囁きが問いかけてくる。
悪魔の囁きに嗾けられたかの如く、機械仕掛けの死神の行軍が迫る。
その距離にして一○○○。
逃げ切ることはもはや不可能だ。このまま挽きつぶされるだろう。
ロクな死に方はできないと、いつの頃からか覚悟はしていた。
だから、この期に及んで恐怖はない。
実感がないからか。諦めてしまったからか。
あるいはもう、恐怖心を抱く心を失ってしまっているからか。
「せん、ぱい……」
「これでいいの。私は」
もう、充分だろう。
せめて、痛みを感じることなく死ねればなぁ、なんて思いながら。
「助けてあげられなくて、ごめん」
目を
鋭敏になった聴覚が捉える死の気配。
そこに混ざる電動機にも似た駆動音。
機鋼蟲にしては異様な速度で近づいてくる音が恐ろしくて、堪らず開いた視界に映り込んだのは、
「……こんなところでなにやってんだ」
二輪車と、それに乗った人の姿だった。
「えっ…………」
へたり込んだリーラの側までやってきたのは、黄金を溶かしたような髪色の青年。きつい双眸に宿る薄紫と、頬に奔る十字の裂傷痕が特徴的な、あどけなさの残る顔つき。
薄い襤褸布を羽織り、武器の一つも持っていない。アスラステラにこんな子はいない。
ならば
そんな馬鹿な。
やってきた方角はユグドラスの支配圏だ。
あの支配域を一体どうやって……。
「あんた、は……」
「自己紹介なんてしてる場合かよ。どうした、逃げられないのか。それとも逃げるつもりがないのか」
「逃げるって……どこによ……どこにも、そんなものないじゃない……」
「じゃあ、ここで無様に死ぬのか。酷たらしく踏み潰され、八つ裂きにされるつもりか。武器を握っているんなら、抗ってみせろよ」
「なんなの……いきなり現れて、偉そうな口きいて、何様のつもりなのっ!? あんな化物に敵うわけないじゃないっ!! 一体どうしろっていうのよっ!! 死にたくないに決まってるっ!! だけど……それができたら、こんなことになってないわよ……っ」
「聞いてるのはそういうことじゃねぇ。生きたいのか、死にたいのか、どっちだ」
「死にたくないにきまってる……けど、そんな方法があるなら――」
「なら、これもなんかの縁だ。助けてやる」
「えっ……」
耳を疑った。それこそあり得ない話だ。
依代もなしに、どうやって。
魔法を使わずに、あの行軍を止められる術など存在するはずがないというのに。
「キリングスパイダーは俺が始末をつける」
ぶっきらぼうにそう言って、青年はリーラに背を向け、迫り来る蜘蛛の群れを一瞥。
手袋を脱ぎ捨て、左手を虚空へかざすと、静かに呟いた。
「――神の
刹那。
はるか上空に浮かんでいた雲々が吸い込まれるようにして地表へ落ちた。
蜘蛛の大群を丸呑みし、雷雲のなかで生まれた無限の雷光が暴れ狂う。
稲妻が幾重にも連鎖して爆裂し、轟く雷鳴が激しく耳朶を叩く。
それは、紛れもなく神の
「…………な、…………あっ?」
リーラは眼前で起きた現象を瞬時に理解できなかった。
徹底的に壊し尽くすまで止むことのない怒りをそのまま体現したような現象。
その絶大な威力は想像するに余りある。
カイナが全身全霊を懸けて放った【アルヴェン】に匹敵する魔法を、こんなにも易々と。
やがて無限に続くかに思われた雷霆が止み、鈍色の雲が薄れて消えた。
視界の先には、黒煙を上げて朽ち果てた機鋼蟲どもの残骸が横たわっている。
「……なんだって、いうの………これは…………っ」
魔法障壁装甲をものともしない壮絶な力で外部装甲もろとも
「状況終了。俺がこの場に居合わせたのが運の尽きだったな」
「あ、あのっ」
リーラは意を決して、ぶつぶつと独り言を続ける青年へ声を掛けた。
「あ、ありがとう。助かったわ……」
「感謝されるほどじゃな――ぐっ…………」
突然、腹部を押さえて倒れ込む青年。
ぐったりしているカイナを横に寝かせ、リーラは青年へ駆け寄った。
「どうしたの!?」
「た、たいした……ことじゃ、ない……」
「けど、あなた……あちこち傷だらけじゃない!! ここにくるまでに――」
ぐるるるるる。
なにがあったの、というリーラの言葉を遮るようにして鳴り響いた音が、緊張感を一気にほぐす。
彼が倒れた理由は推して知るところだった。
「すまない。どうやら燃料切れらしい」
「助けてくれたお礼くらいは、してあげる」
「……恩に着る」
「それはこっちの台詞だわ。待ってて。仲間に迎えにきてもらうから。名前だけでも教えてもらえるかしら」
「名前……か」
青年は数瞬、ふと考え込み、ためらいがちにぼそりと呟く。
「……ライルだ」
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