(一)

 ユグドラシル歴二三〇五年。


 スウェート大陸の北極部に位置する魔人国ユグドラスが宣戦布告してから七年が経過し、世界の四割はその制圧下に墜ちた。


 世界を漂白し、すべてをはじめからやり直す――ユグドラス教皇による宣戦布告は唐突で、常人にはおよそ理解のできないものだった。


 同日、世界各国で魔人による侵略行為が始まり、世界は一夜にして恐慌状態へ移行。


 周辺諸国は教皇の宣誓に真っ向から反駁するとともに、徹底抗戦を開始した。

だが。


 侵略開始とともにユグドラスが各地へ投入した殺戮兵器――機鋼蟲きこうちゅうが、刃向かう国々を滅ぼしはじめる。


 そうして数十、あるいは数百単位で戦線へ投入される蟲型の無人殺戮兵器は、魔法を主軸とした戦争のセオリーを塗り替えた。


 生半可な魔法――とくに魔法使いが行使する汎用魔法では傷の一つさえつけることのできない兵器群を前に、多くの国々は為す術もなく屠られる以外の道はなく。


 秘匿とされる無尽蔵な動力源を有する機鋼蟲は、圧倒的な機動力、堅牢性と耐魔法性でもって戦場を蹂躙し、生きとし生けるものを鏖殺し続けた。


 無限に湧き出る兵器を従えたユグドラスに抵抗しうるは、潤沢な人的資産を保有する国々と、それらの周辺国のみ。


 そんな有様になるまで、数年もかからなかった。


※※※


 持ちこたえる諸国の多くは人的財産を食い潰しながら、それでも国家としての形をなんとか維持し、ユグドラスによる侵攻を食い止めていた。


 スウェート大陸の北西部に位置する小国アスラステラ。

 大国カーラーンの後ろ盾を受けてこの戦争時代を生き抜いてきた小国であり、ユグドラス非支配圏の北西部最前線となってから四年が経過したいまもなお、ユグドラスの侵略を耐え凌いでいる強国のひとつ。


 機鋼蟲の一機たりとて侵入を許したことのない町並みは、にわかには戦争下であることを感じさせない。


 白亜色の家々と縦横に敷かれた石畳の街路はどれも整備され、朝焼けの望む東方に霞んで見えるは大国カーラーンの無骨な城砦じょうさい


 かつ、かつ、と響く軍靴の音と小鳥たちのさえずりが、一日の幕開けを牧歌的に彩ってみせる。


「今日も街中は異常なし……ね」


 澄み渡る空気を吸い込みながら、リーラ=ハンツマンはアスラステラの中央通りを歩いていた。朝焼けにも劣らない炎髪を揺らめかせ、生き別れた実母から受け継いだ凜々しい薄紅の双眸をあちこちに散らして周囲に気を払う。


「くぁぁ……。今日も街中はいたって平和そのものですねぇ」


 リーラの左隣にぴたりと密着しながら歩くカイナ=イラストリアスが、寝癖であちこちへ跳ねている金髪を何度も撫でつつあくびをかみ殺した。


 一昨日おととい、三十機ほどの機鋼蟲が城下町の目と鼻の先まで侵攻してきたことを考えれば、長閑のどかにすぎる平穏さがたゆたう大通り。


 道中、早朝から街路でいそいそと開店準備に取りかかる露天商や、寝ぼけ眼をこすりながら準備運動をする舗装ほそう作業員たちと挨拶を交わし、二人は目的地へと進む。


「みんなが笑顔で暮らせているのなら、私たちの存在意義があるということよ」

「それにしたって緊張感というものがないですよ」


 半年前にカーラーンから補充兵として派遣されてきたカイナが言うことはもっともだ。


 だが。


「抱いているだけ無駄だと、みんな悟っているのよ」


 死と隣あわせの状況など、四年どころか一ヶ月だって、一般人が耐えられるわけもない。


 震えて夜を過ごし、翌朝を迎える。

 機鋼蟲の脅威に怯え続けるばかりの日々。


 そんなことを何日も続けていれば自ずと精神に支障をきたす。当然の帰結だ。

 不安を抱えきれなくなった国民がアスラステラを去って、もう数年が経った。


 国を後にしていったか彼らを貧弱だの脆弱だのと、いったい誰が後ろ指をさすことができよう。


 この国に残っているのは、自らが覚悟を抱いている者たちだけ。


 それだって赤の他人に誇れるものでは決してないことくらい、ここに残った者の誰もが承知している。


 自己満足以外のなにものでもない。

 この国で生まれ育った以上、見捨ててはおけない。

 ただ、それだけ。


 分かってはいるのだ。

 そんな母国に対する愛情程度では、か弱い己の身ひとつさえ守れやしないことくらい。


「そういえば、なんですけど――」


 重苦しい空気を掻き消すように、カイナが小気味よいステップを踏みながらリーラの前に躍り出た。


 浮かべる微笑の口元にできるえくぼが子悪魔的に可愛くて、リーラにとってはいささか眩しすぎる後輩。愛嬌あいきょうがあって、底抜けに明るい彼女にリーラはいつも救われてばかりだ。


「先輩、最近しっかり寝られてますか? ずっと顔色が優れないようですけど……あたし、心配ですよ?」


 そうして小首を傾げる姿もまた愛らしい。


「まぁ、ずっと前線に出ずっぱりだから仕方ないわよね。しっかり休んで疲れを取れるような状況じゃないし。それに…………」


 ふと視線を落とし、リーラは背中をさすってみせる。

 ときおり背中にむず痒さを感じるようになっていた。


 痺れるような痛みも走る。医者も首を捻るばかりで、薬や軟膏を処方してもらってはいるものの快復する気配は一向にない。私生活や仕事に影響がないのが救いではあるが、どうにも気味が悪くて堪らない。


「なにか悩みですか? あたしが相談に乗りますよ? 乙女の秘密だってきっちり守ってみせますから!」

「あ……ううん、大丈夫よ。個人的なことだし」


 普段から気遣わせてばかりだというのに、原因不明のたいしたことない症状を打ち明けて、これ以上カイナに心配をかけるわけにはいかない。


「それよりも、カイナのほうこそ大丈夫?」


 半ば強引に会話の流れを断ち切って、リーラが続ける。


「迎撃戦から終わった後も連日訓練しているって聞いているけれど。そっちこそしっかり休息日を設けないと駄目よ? 魔力の保有量キャパシティだって高いわけじゃないんだから」

「大丈夫ですよぅ。先輩成分を補充できてますからねっ!!」


 空いている手を半ば強引にぎゅっと握ってくるカイナ。


「ちょ、ちょっと……朝っぱらから暑苦しいってば……」

「えー……、ちょっとくらいいいじゃないですかぁ……日頃頑張ってるご褒美ですよぅ」

「しょうがないわね……ちょっとだけなら」

「おおっ!! つまり、これくらいのスキンシップはいつでも許してもらえるってことですか!? 配属されてから一ヶ月、ついに念願が叶いました……っ!!」

「あーっ、もぅっ、別にそういうわけじゃないってば……」


 口ではそう邪険にしながらも、しっかりと握られてしまった手前、振りほどいてしまうと本当にカイナを傷つけてしまうかもしれない……などと思い悩んでしまい、結局はカイナの思うがまま。


 そんなスキンシップがかれこれ二週間も続いている。


 これもまたリーラにとっては些細ささいな悩みの一つではあるのだが、それと引き換えにリーラの活力やメンタルの調子が回復するのなら仕方ない、と半ば割り切ってしまっている。


「……さて、到着したわね」

「楽しい朝デートもこれで終わりですかぁ……」

警邏けいら、だけれどね」


 鼻歌交じりに隣を歩くカイナが踵で石畳を叩く。

 メインストリートの終着点。

 そこに構えるのはアスラステラが誇る王城の正門。


 両脇で直立している王家直属の衛兵らがリーラたちに向かって無言で敬礼する。二人は軽く会釈を返すにとどめ、短く空気を吸って気持ちを切り替える。


 リーラたちの目的地は、正門に向かって右側に大口を広げている王族直営の兵器工場。


 早朝から活気に満ち溢れた工場では、数十名の職員が兵器のメンテナンスに勤しんでいた。


 先日の機鋼蟲きこうちゅう撃滅戦で使用された兵装の点検と、次の戦場で入り用となる大砲の整備。この国を維持するために必要不可欠な作業を夜通しで取りかかっている彼らの顔には色濃い疲弊が混じっている。


「失礼しまーす! 機鋼蟲迎撃師団所属のカイナ=イラストリアスでーす!」


 解放されている出入り口をくぐると、工場のあちこちで響く甲高い金切り音に負けじとカイナが声を張り上げた。


「おう。朝っぱらから悪いな」


 間近で兵器の図面とにらめっこをしていた職員の一人がカイナたちの来訪に気付いて駆け寄ってくる。


「とりあえず一式、掻き集めてきたわよ。これで良かったのよね?」

「……ああ。間違いねぇ。大助かりだ」


 出迎えてくれた職員へ、リーラは袋に詰まった部品を渡す。


「それにしたってしゃくな話ですよねぇ」


 受け渡しを済ませたところで、カイナがぼそりとこぼす。


「抵抗するための兵器に機鋼蟲に使われているものを拝借するだなんて」

「仕方ねぇだろ。戦時下で贅沢は言ってられねぇ。高潔な誇りを抱いて勝てるんだったらとっくにそうしてるさ」


 運良く鹵獲ろかくできた機鋼蟲は部品単位にばらした後、そのほとんどを兵器へ転用している。


 量産製造の要である鉄鋼を大陸北部に位置するユグドラス山脈から採掘していることもあるのだろう、敵ながらその品質には苦虫を噛み潰す他なかった。


 技術大国カーラーンをもってして魔人国が誇る技術と品質を真似ることは、不甲斐ないことにいまもなおできていない。


 そしてまた、機鋼蟲から採取した不要部品を他国へ輸出することで儲けていることも、人によっては勘に障る話だろうか。


 戦争が金になるとはまさしくこのことだ。


 軍事力の向上によってアスラステラや隣国カーラーンの経済力や国際的な影響力まで上がってきているのだから、まったくもって皮肉な話である。


「魔法だけでなく技術すら魔人メイブル後塵こうじんを拝するだなんて、十年前は思ってもみなかった。技術革新ってのは偉大だ。戦争の在り方までも変えちまったんだからな」


 男の、どこか感心するような声に滲む敵意。


 リーラは無言で視線を逸らした。


 かつては汎用魔術を世界に広めたことで戦争の在り方までを塗り替え、そして、機鋼蟲の投入によって再び戦争の在り方を変革させた魔人ども。


 殺戮と支配を繰り返し、この世から魔人以外のすべてを葬り去ると宣告した彼らに、人間や魔法使いと同じ血など通っているのだろうか。


「とはいえ、俺たちだってこのまま負けっぱなしじゃいられねぇわな。新兵器も開発完了間近だ。それさえ仕上がってくれれば、あんたらの負担も少しは軽減してやれる。それまでもうしばらく戦場は任せたぞ」

「新兵器を作ってるんですか!?」

「ああ。もしかすっとこいつはカイナが一番うまく使えるかもしれねぇな。電磁波動砲っつう、電撃系の兵器でな」

「おおっ!!  それは楽しみですっ!! できあがったらいの一番で使わせてもらいます!! 先約ですよ!?」

「慌てんじゃねぇ。ようやく基幹部分ができあがったところなんだ。戦線に投入するまでにはまだ時間がかかるってもんだ」


 揚々ようようとしたカイナの反応に、職員が屈託のない笑顔を浮かべる。


 アスラステラが戦線を長期にわたって維持し続けられてきたのも、国王直々に陣頭指揮を執るこの工場があったからこそだ。


 ここで開発された兵器の投入により魔法使いの戦力が向上し、戦況に多大な貢献を果たしていることは周知の事実。


 だからこそ、大国カーラーンとて、この国は捨て置けない要所となっている。

カイナがリーラの右腕としてカーラーンから派遣されてきたことがその証左だ。


「代金は追って師団の口座に振り込んでおく。早朝からご苦労だったな」

「いえ、これしきのこと――」


 労いの言葉を受け、リーラが出入り口へ踵を返した、そのとき。


「――っ!?」


 閑静な街路に響き渡る、耳をつんざく警報音。


 敵襲だ。


 陽気な笑い声を上げていたカイナはすでに口元を引き締め、工場の外、西へ向けた双眸を眇めている。切り替えの早さは彼女の長所であり、アスラステラ生まれの同志からはもはや失われてしまった初々しい所作。


「身体には気をつけて」

「そっちこそな。任せたぞ」


 工場を出たところで無線機に通信が入る。


『総員、直ちに応戦配置』


 無線端末の向こうで師団長ウォード・ダンダリアンが端的に告げた。


『敵機のお出ましだ』

「いくよ、カイナ」

「はいっ」


 互いに頷きひとつ。

 リーラとカイナは未だ宵闇の覗く北西部の国境へと駆け出していく。

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