03 槇実篤
彼との邂逅を終え、市長室に向かって歩いていくと、人事課長の
「槇さん、聞きましたよ。澤井さんと手を組むことにしたようですね——」
ついさきほど澤井と話たばかりだというのに、筒抜けか。どこから漏れるのだろうか?
澤井本人が久留飛に言ったのだろうか?
それとも、澤井の部屋には盗聴器でも仕掛けられているというのだろうか?
市役所内部のことは、槇にはまだまだ理解できないことも多い。理解するためには、職員とのパイプが必要だと思った。多分、それは保住のような男とだ。
彼と懇意にするのは悪くないアイデアだ。澤井が自分と同年代の同志を集めているのと同じく、自分も同じような世代にパイプを作っておく必要がある。それは、将来への保険にもなるはずだ。
澤井は自分の姿を見て学べと言っているようだ。
——そうだ。あの人の技を盗む必要がある。多分、それは保住も感じているはずだ。
「申し訳ありませんでしたね。本当にありがとうございます」
「後悔いたしますぞ。澤井につくということは、あなた方の未来は闇に閉ざされたも同然です」
——脅しか。いや、はったりでもないのだろう。だが、そうはいかない。
「ああ、あなたの偏った人事につきましては、市長の耳にも入っておりますよ。人事への直接的介入をするつもりはないと安田は申しておりますが、行政改革の一環として、庁議で議題にさせてもらうつもりです」
「——槇さん」
久留飛はぎりぎりと奥歯をかみしめているのか、渋い顔をした。
「やはり行政運営はクリーンでなくてはいけませんと市長も申しております。また、久留飛課長には、いつもご尽力いただいて、本当に感謝しているとも申しておりました」
「今回のところは引き下がりますが——澤井は、あなたが思っているほど思いやりがある人間ではありません。来るべきときが来たら、あなたは使い捨ての駒のように切られるだけだ。あなたの大事な野原くんもね」
——やはり、
「野原は関係ありません。あれはあれで熱心に仕事をこなしている。久留飛さん。おれは確かに澤井さんに協力することを選びましたが、野原は澤井とは関係ない。それはあなたがご存じなのでは?」
「確かに。野原くんは澤井副市長との接点はないですね。しかし、間接的にあなたに加担しているということが結果的に澤井副市長派になるわけですよ」
槇は久留飛を見据えてから、つい笑ってしまった。さすがに久留飛はむっとした顔をした。
「なにがおかしいのです」
「失敬。あなたは野原をよく理解されていないようだ」
——そうだ。
「おれなんて尻にしかれているだけですよ。確かに、おれは澤井さんを選びましたが、野原にたたかれたら、あっという間に寝返るかもしれませんよ。——澤井さんは、そんなことも覚悟でおれを拾ったんだと思いますよ。ああ、こんな
槇の言葉に、久留飛は嫌悪感を丸出しにした。
「女ではなく男に惑わされて意見をころころ変えるだなんて、槇さんは本当に浅はかとしかいいようがないお人だ。僕の見込み違いでしたね。お誘いしただけ損でした。いいでしょう。我々は安田市長の再選を目指しているのですぞ。安田下ろしを画策している澤井につくなんて、常軌を逸している」
「さあ、どうでしょうか」
自分でもよくわかっていないが、澤井の話を聞く限り、結果は万事うまくいく気がするのだ。詳しい話は分からない。だが、心のどこかで『大丈夫だ』と思ってしまう自分がいた。
「あなた方はいずれ一緒にいられないときが必ずくるでしょう。我々に協力していればそれは回避できたかもしれない。その時になって後悔しても遅いのです。——ですが、もう後の祭りです。今更、あなたと手を組むつもりにはなれませんよ。せっかくのチャンスを逃しましたね。槇さん」
久留飛は頭を下げた。
「それでは、戦場でお会いしましょう」
——一緒にいられなくなる時が来るだって?
ぺんぎんのような後ろ姿を見送って、槇は一抹の不安を覚えた。しかし後戻りはできないのだ。これは自分が選んだ結果なのだから。
——そんなことには絶対ならないし、させない。
***
市長室に戻ると、人の良さそうな安田が待っていた。
「申し訳ありませんでした。遅くなりました」
「ううん。……大丈夫?」
『大丈夫』の意味は色々なのだろうけど……。槇は笑顔で頷いた。
「ええ。ご心配おかけしました」
「それはよかった。じゃあ、行こうか」
秘書係長の
「お車の準備が出来ております。市長、槇さん」
「ありがとう!」
愛想のいい安田の言葉に、槇も歩き出す。
——お前のこと、おれが守るから。だから一緒にいろ。
——なぜ権力が欲しいかって?
決まっている。
——野原雪を守るためだ。
— 了 —
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