【おまけ】師走にバカが走る


 まき実篤さねあつというのは、自分の幼馴染……というか、兄弟というか、家族?


 正直に言って、彼が自分のはよくわからない。ただ、他の人間よりは『特別』であることは理解している。


 身支度を整えて、寝室の入り口に視線をむけるが、勿論、彼が起きてくる気配はない。軽く息を吐いてから顔を出すと、お腹を出してぐうぐう寝ている実篤がいた。


 そっと手を伸ばして、そのお腹に触れると、実篤は弾かれたように目をぱっちりと開けた。


「び、びっくりしたんだけどっ! せつじゃん」


「寝坊だけど」


「嘘っ! ちょ、もっと早く起こせよ」


 実篤は首の後ろを掻きながら起き出すと、バタバタと廊下に走っていった。


「今日は寒くなるのかな」


 遠くから聞こえてくる声に、


「今日は、最高気温11度。最低気温3度。くもりのち晴れ。雨は降らない」


 と答える。しばらくすると、ばたばたと足音が聞こえて、実篤が戻ってきた。


「よし、わかった」


 伝えた情報の内容を理解したのだろう。そう判断して、自分はリビングに戻る。時計の針は7時50分。今日の天気と曜日を考えると、車の混雑は少ないと思われる。


 ––––8時に出れば間に合う。


「用意できたっ」


 バタバタと走って来る実篤は、昔からうるさい。いつもがちゃがちゃとしていて、落ち着きがなく、言葉数も多い。もっと静かにしてもらいたいところ。


「ネクタイ。昨日と同じ」


「嘘だろ~!? そうだっけ? どうしよう」


「まだ時間ある。替えれば」


「そうするっ」


 彼は踵を返してダッシュで寝室に戻って行く。なんだか、意味は分からないが、ため息が出た。


 結局、一昨日と同じネクタイを引っ張り出した実篤。彼の好みは偏っている。無意識に選ぶものは、いつも同じだった。


 地下駐車場に降りていくと、実篤の腕が伸びてきて、腰を引っ張られた。


「今日は一緒に帰るだろう? 車一台だな。雪、一緒に帰ろうな」


「……」


「な、なんだよ。無視?」


 実篤は本当におしゃべり。そして、今後の見積もりは一切ない。12月の議会を控えていることなんて、すっかり頭にない。彼に促されて助手席に座る。


 ––––実篤の運転は危ない。


「約束できるかわからない。実篤も忙しいはず。議会の準備できているの?」


「そんなのは秘書課の役割だろう」


「それに、今晩は後援会長と会食でしょう」


「あっ! そうだったっ!」


「本当に秘書できるの? 実篤」


「で、できているだろう? だからやってんじゃん」


「『やっている』のと、『やれている』は違う」


「ねえ、本当厳しいんだから。もっと優しくしろよ……」


「優しく? 優しくってどうする? 頭撫でればいい?」


 実篤の言葉は難しいことが多い。だけど彼は、他の人間と違って、分からない言葉を丁寧に説明してくれる。


「あのねえ。言葉の優しさだよ」


 ––––言葉の優しさ……?


「例えば、『わ~、実篤ってさすが』とか、『実篤って、できる男』とかさ。褒めるってこと」


 ––––さすが? できる男?


篠崎しのざきさんも『できる男』って言葉使っていたけど、仕事できない人なんているの? それって、給料泥棒」


「だ、か、らっ」


 そんなやり取りをしていると、車は駐車場に到着した。


「ま~いいや。はい」


 彼は車のキーを差し出してきた。


「おれ、会食でタクシーだから。帰りはこれ使えよ」


「わかった」


「ねえ、雪」


「なに?」


「『頑張ってね』のチューは?」


「チュー? ねずみの真似? 面白くない」


「だから」


 腰に回ってきた腕に引き寄せられて、実篤のほうに倒れ込みそうになった瞬間。唇が重なった。


「……っ」


「隙あり」


 実篤はにんまりと笑みを浮かべると、車を降りた。


 ––––一人でバタバタして、本当に意味がわからない。


「いいか。あの篠崎って女とは口をきくなよ。誤解されるからな」


「口きかない? 仕事できないけど」


「いいじゃん~。別に。……わかった! 筆談だ。筆談にしろ」


「……実篤」


「なんだよ」


「やっぱり、実篤って、頭悪いよね」


「……雪っ!」


 本当に槇実篤は、頭のねじが少しおかしい。いや、自分もそうなのかも知れない。だから、こうして一緒にいられるのだろうか。実篤のことを思うと、自然に口元が緩んでほころんでしまうのはどうしてなのだろうか。


 文化課の扉を開けると、「おはようございます」と声をかけられて、頭を下げる。今日も始まるのだ。

 一日が。


「課長、おはようございます」


 目の前に立つ篠崎総務係長。今日も女子高校生みたい。


「可愛い」


「えっ! だから、そういう誤解を招く発言はお控えください」


「でも」


「また、槇さんに怒られますよ。うふふ」


 意味深な笑みを浮かべて篠崎係長は、湯飲みをおいて行ってしまった。

 一度、ラウンジで揉めてから、篠崎係長の視線の色が変わっている。なんだか意味深。そして必ず、含みのある笑みを見せて、実篤の話をするのだ。


 ––––篠崎さんは謎。この世の中で一番の謎。ああ、そうか。女性は謎だ。


 周囲を見渡す。男性は大概、なにを考えているのか理解できるが、女性はにこやかな笑みの裏になにかが潜んでいるような気がして難解。


「実篤くらい単純なほうがいい」


 真ん中の引き出しを開けて、お菓子の山を見ると心が落ち着いた。


「今日は……」


 ––––これにしよう!


 昨日、振興係長の保住ほずみからもらったぶどう大福を掴んで、心が躍った。


「美味しそう」


 文化課の一日が始まった。



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