05 助けたいと思いませんか



 その日の夕方。野原の手元の電話が鳴った。内線の音。野原は迷わず受話器を取った。


『もしもし? 野原課長ですか。人事課の久留飛くるびです』


 相手は人事課長の久留飛だった。


 ——なんの用?


「お疲れ様です。いかがされましたか」


『いえね。折り入って大事なお話があるのです。申し訳ありませんが、これからお時間いただけませんかね?』


 大事な話という割には彼の声色は明るい。心のどこかがざわついた。


「承知しました。どちらにお伺いいたしましょうか」


『そうね。人事課までご足労願えますか』


「結構です。ただいま参ります」


 受話器を置いてため息が出た。人事課が自分になんの用事があるというのだろうか。部下の人事の件か。それとも自分の——? 野原は席を立って人事課に向かった。




***




 人事課は同じ二階に位置するが、棟が違った。一度中央棟に入りそれから人事課のある場所に向かうと、久留飛はにこやかな笑い顔でそこに立っていた。


 彼はいつも笑っている。いや、笑っているつもりはなくとも、そういう顔の造りなのだろう。色々なことに疎い野原でも、彼は気味の悪い、得体の知れない人物であると理解していた。


「いやあ、お忙しいところなのに、すみませんね」


「いえ」


 彼に促されて人事課所轄のミーティング室に入る。中は誰もいない。この会談は二人きりの話ということか。野原はそう理解し、促されるままにパイプ椅子に腰を下ろした。


「時間があまりなくてね。前振りはなしにして。本題に入らせてもらいますね」


「ええ。どうぞ」


 彼はぽこんと出たおなかを気にしながら、野原の目の前に腰を下ろした。


「野原課長は、私設秘書の槇さんとなかなかの間柄ですよね」


 唐突に口にする内容ではない。野原はじっと久留飛をまっすぐに見据えていた。


 澤井にも尋ねられたこと。

 

 ——やはり、我々の関係は上層部には筒抜け。


「久留飛課長。あなたのおっしゃる意味がわかりかねます」


「そう無表情でしらを切られても……。ごめんね。野原課長。もう調べはついていますよ。私はその件の有無を確認したくてお呼びしたのではありませんよ」


「……では、どのようなお話なのでしょうか」


「槇さんを助けたいと思いませんか?」


「槇を?」


 槇という名につい反応してしまう。久留飛は愉快そうに野原を見ているだけだ。


「次の市長選。安田市長を勝たせたいと思いませんか? このままでは、安田市長の再選は、ほぼない。それはあなたも周知のことでしょう?」


 ——それは誰しもが知っていることだが……。この男はなにをする気?


「どうでしょうか。野原課長。我々はね。秘策があるのですよ。安田市長を勝たせるためにあなたに協力していただきたいのですよ」


「協力?」


「そうですよ。——我々の申し出をお受けいただきたいのですよ——悪い話じゃないと思うんですヨ」


 口調はおどけているが、久留飛は笑ってはいない。


 ——この男。本気……。


「話の内容による」


 野原の返答に、彼は嬉しそうに口を開いた。








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