09 あの時の答え
「っつかさ。お前、なんであの女の手握っている訳? 今まで女に興味持ったことなんてなかったじゃん」
半分、夢現であることは自覚していても、聞かずにはいられない。もし本気で女性に興味を持っているとしたら、槇にとったら由々しき事態であるからだ。しかし野原の回答は予想外というか、彼らしいというか。
「篠崎さんの手、柔らかそうだったから握ってみた。やっぱり柔らかかった」
——……以上?
槇は吹き出す。
「それだけ?」
「それ以外になにがあるの?」
「いや。あのさ……。じゃあ、弁当は?」
「篠崎さん、お母さんみたい。おれが昼食食べないから心配してくれた。卵焼き、美味しかった」
——それだけかよ。
「あのさ。お前に好意を寄せた女は不幸だな」
「好意? 篠崎さんが?」
「そうだろう。普通、どうでもいい男に弁当なんか作るかよ」
「そう。篠崎さん。おれのこと大事だと思ってくれるんだ」
槇は逆に彼女が気の毒になった。きっと、いくら尽くしても、彼には彼女の気持ちは伝わらないだろう。
野原
だけど自分の気持ち、少しは理解してくれているのだろう。だから、こうして一緒にいてくれるし、彼もまた自分に心動かしてくれているのだ。
話をしている間に、野原は覚醒してきた思考を働かせ始めたようだ。瞬いていた瞳が槇を捉える。
「お前ね。彼女、お前の世話をせっせと焼いてくれただろう? 感謝とかないの?」
「世話?」
「だって、ハンカチで顔拭いてもらってたじゃん」
槇の言葉に、野原は「あれは」と珍しく言葉を濁した。
「なんだよ?」
「あれは……涙があふれて。篠崎さん、拭いてくれて……」
野原の答えに槇は少々拗ねた。
「そんなに弁当が嬉しかった訳?」
しかし野原は真面目な顔で槇を見ていた。
「違う。確かに篠崎さんのお弁当は美味しかった。でもあの時、なぜか実篤の真っ黒こげな卵焼きを思い出した。そしたら、なんだか涙が出てきて……なんでだろう?」
それは——きっと。
「おれのこと、好きだからだろう?」
平然と言い放つと、野原は「なるほど」と納得した瞳の色をした。
——ああ、はるか昔。
こうして夜に二人でベッドに潜って話をしたっけ。あの時は、野原の母親が突然仕事で帰ってこられなくて、本当は槇家に泊まる予定だった。しかし彼は、「本を読みたいから行かない」と駄々を捏ねたのだ。結局は、槇は野原の部屋で一夜を明かした。
——夜。
いつもは寡黙な彼が、ベッドの中で本の話をしたときに、生き生きと語ってくれた話が忘れられない。日本神話。
「昔さ。日本神話の話をしたの、覚えているか」
「
槇は野原の頭を撫でながら続ける。
「あの時、お前言ったよな。どんな姿になっても関係ないって。ウジ沸いてたって、その人はその人だって」
「言った」
「それって、今でもそう?」
槇の問いに、野原は目を開けて悪戯に笑う。
「
「ぐ……、そう言われると、なんだかちょっとグロテスクだけど」
咳払いをしていると、槇の腕を野原の腕が掴まえた。野原の手首が赤く腫れているのを認めて、思わず視線を逸らそうとしてから、それを思い留める。
いつもこうして、逃げてきたんじゃないか。野原にひどいことをしたことから、目を逸らしてきた。それでは今までと変わらないのだ。槇はグッと気持ちを押し留めてから、野原を見つめた。すると彼は真剣な視線で槇を見つめ返してきた。
「ずっと手を離さない」
「雪」
「実篤は?」
「お、おれだって。手どころじゃないぞ。抱きしめてやる」
「ウジくっつくのに?」
「ウジなんて関係あるか! 腐ってんだろう? 手の肉が削げ落ちたら大変だ。お前の体ごと抱えて逃げてやる」
槇の返答に野原は笑いだした。声を上げてだ。
「あはは……っおかしい」
野原がこんなに笑うのは初めてで、面食らってしまったが、なんだか自分もおかしくなって笑い出す。
槇は夜が好きだ。昼間、自分以外の人間にとられている野原を独り占めできる時間だからだ。
——ずっとこうしていたい。
そのために自分は腹を括ると決めたのだ。
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