06 雪の心



 拘束から逃れようと、身を捩る野原のはらは思い通りにならなくて、更に苛立った。


「おとなしくしろっ」


 野原のベルトにふと手が触れて、それを引き抜き、強引に彼の両手をまとめ上げた。


実篤さねあつ……っ、離して!」


「大人しくしろ! 言うことをきけよ」


「こんなのは嫌」


「うるさいっ」


 野原の目元は上気して、涙がにじむ。嫌がっているのをよく理解しているくせに、それから目を逸らして、知らんぷりを決め込む自分は、本当に卑怯で嫌な人間だ。

 自分を卑下しながらも、衝動に突き動かされて止められない気持ちの行き場を探すかのように、野原のワイシャツをたくし上げて、彼の肌に指を這わせる。いつもの反応ではない。

 

 野原は、怯えたような目でまきを見上げていた。


「実篤っ!!」


 たまらず荒上げられた野原の声にびっくりした。弾かれたように顔を上げて、彼を見下ろす。

 

 野原は泣いていた。泣いていたけど、それでもなお、槇をまっすぐに見据えていたのだ。自分はすっかり野原から視線を外して逃げていたというのに……。


せつ……」


 ——なぜこんなことになった? 一体なにが……? 自分の弱さか?


 野原はひどい仕打ちをする槇に対しても逃げることなく、こうして視線を向けてくる。なのに、自分は……。


「こんなの。……ない」


 ぽつんと耳に飛び込んできた野原の声は震えていた。

 

 ——泣かせた。違う、そうじゃない。こんなことするつもりはない……。


「だ、だって。お前が悪いんだろう? あんな女とランチなんかして。お前が出て行って、おれがどんな思いしたと思っているんだよ……?」


 ——黙れ。いい加減にしろよ。


 もう一人の自分が、自分を叱責した。


 ——雪にそんなこと言ってどうする気だ。


 目の前で涙をこぼす野原を見て、よくもそんな言葉が口を吐いて出るものだ。槇は、そっと野原の頬を流れる涙を指で拭った。


「おれ、あの……ごめん」


 ——謝るなら、最初から言うなよ。バカ。許して欲しい。おれはバカだから……。


 そんな甘えたことを言っている段階で、クズだ。最低男だと思うと、恥ずかしさでいっぱいになる。


「いや、ダメだ。おれを許すな。雪。怒ってくれよ。バカだって、怒れ!」


 懇願するように彼を見つめると、野原は口を開いた。


「実篤、おれのことちっともわかっていない。だから、いやだった。きらいになったわけじゃない」


「だって。おれはお前のこと、一番に考えて……おれは、お前のことをこの世の誰よりも知っているはずだ」


「ううん。実篤は一番おれのことわかっていない。ちっとも見ていない」


「そんな事は……」


 ——ある。そうだ。野原のことを一番わかっていないのは、


 槇の腕の力が緩んだのを確認し、野原は体を起こした。そして、そっと槇の腕を握りしめた。


「おれは守られたいんじゃない。おれだって、実篤を。そう。力になりたい」


「え……?」


 ——雪が、おれを守るだって?


 緊張していた槇の表情は一瞬で弛緩し、情けない顔をしたまま野原を見つめた。





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