02 一緒にいられなくなる
「
「あなたに……ですか? しかしあなたは安田下ろしの筆頭では……」
澤井は口元を歪めて笑った。
「おれはね。そんな目先のことなんてどうでもいいんですよ」
——どうでもいい、だと?
「槇さん。おれはね。人生をかけて成し遂げたいものがあるのだよ」
「人生をかけてって……一体、あなたはなにを成そうとしているのですか」
「それは、あなたには言う必要もないこと。だがしかし、おれの行動すべてがそれに繋がっているのだ」
澤井と言う男は、槇の想像を絶する男だった。
——自分の人生をかけるだって? 澤井はおれをバカというが、この男こそ正真正銘のバカ。
違いすぎた。腹のくくり方が。槇のそれと澤井のそれとは、違いすぎる。
——勝てるはずがない。
そしてそれは、久留飛のそれとも違って見えた。
槇は自分が相手にしようとしていた男の底知れぬものを理解し、恐ろしくなった。しかし、その恐れは久留飛に対するものとは違っていた。
澤井の成そうとしていることがなにかはわからない。しかし、澤井という男は、器も大きく、敵である槇のことまで懐に入れようというのか。そんな槇の心中など知る由もない澤井は笑みを浮かべて槇を見据えていた。
「どうだ。悪いようにはしないぞ。久留飛にするのか? おれにするのか? それとも、誰も選ばずに行くのか? ああ、それもまたいい。己のみを信じて突き進むか? 若人よ」
澤井は正直に言って楽しんでいるようにしか見えない。槇は内心むっとしながら澤井を見据えた。
「あなたは成し遂げたいことがあると言うが、あなただって
澤井は大きな声で笑い出した。
「やはり、槇さん。あんたは浅はか!」
——悪かったなっ!
「おれはね、そう易々と
「それは……確かに安田は年だ。だが、おれは次期市長選にも安田を推すし、そして当選をさせてみせる」
「頼もしい私設秘書だ」
はったりばかり。本当は自信がない。だから、久留飛に従ったほうがいいのかもしれない。澤井は安田以外の市長を推すと言われている。だからこそ、澤井を下ろして……そう思っていたのに。
——澤井につくのか? おれが?
「これ以上詳しいことは言えないがな。お前がおれに付くというならば、悪いようにはしない。それだけは約束しようではないか。野原のことも含めてな」
槇はどうしたらいいのかわからなかった。廊下に出て一人になると、足が震えた。
いつもは野原がいてくれる。彼に相談すれば、なんとでもなった。野原が自分を支持してくれているというだけで、心に自信が持てた。なのに。今は——。
——あいつはいない。
槇はイライラする気持ちを持て余していた。
***
「ただいま」
自宅に帰るのも少しずつ馴染んできた。靴を脱いで玄関にそろえていると、トレーナー姿の妹、
「公務員さんは、毎日毎日、帰宅が遅いんだねぇ」
「別に」
「ごはんは?」
「いい」
「あっそ。またお菓子ばっかり食べてるんじゃない?」
「……」
彼女との会話は苦手だった。兄弟なのに、彼女は自分とは全くちがったタイプでテンポも合わない。野原はネクタイを緩めてから二階に上がろうとしたが、ふいに腕を掴まれて一階のリビングに連行された。
「な、なに?」
「あのさ。いい? ちょっと」
「よくない」
「よくなくない!」
彼女は野原を洗濯ものの山になっているソファに座らせる。野原は周囲を見渡してため息を吐いた。 女性二人で暮らしているには、汚なすぎると思ったのだ。
「あのねえ。いつまでここにいるの?」
「出て行ったほうがいい?」
「そういう意味じゃないの。いたっていいけど。でもさ……
凛は大きな
「——仲直り、したくない」
「え? 嘘でしょう?
——だって……
「おれのこと、なにもわかっていない。仲直りしない」
「もう! 雪。なに言ってんの? 本気なの? そんなんじゃ、このまま終わりになっちゃうよ?」
「終わり?」
「そうだよ。
「……一緒にいられなくなる——?」
凛の言葉は野原の心を揺さぶる。しかし、どうしたらいいのかわからないのだ。
『槇さんを助けたくないの? 野原課長——?』
久留飛の言葉が脳裏から離れなかった。
『君がこの左遷人事を甘んじて受けてくれたら、僕は槇くんを助けてあげたいと思っているんですよ。悪い話じゃないでしょう? どうせ、君は現
——別に
昇進に興味はない。自分の好きな仕事ができればいいのだ。だが槇はきっと——心配するのだろうな。そう思った。
「ねえ。聞いている? ——もう、仕方ないわね。……まあ、いいんじゃないの?
「頼もしい人——?」
ふと篠崎の言葉を思い出す。自分にはしっかりした人がお似合いだと言っていた。凛も同じことを言うのだと思った。
「おれには、そういう人がいいの?」
「な、今更なによ。大体ね。
——お互いに?
自分もそうだが槇にとっても自分は不相応ということなのか。野原はじっと黙り込んで考え込んでしまった。凛は「ごめん、言いすぎたよ」と謝ったが、そんなことは関係のないことだった。
——ずっと一緒にいられるものだと思っていた。だが……それは難しいことなのかもしれない。
ふと田口と保住のことを思い出した。あんな風に一緒にいることを選択するあの二人がなんだか羨ましく感じられた。
——羨ましいだって……? 羨ましいってなに?
心に巻き起こっている戸惑いを処理しきれずに野原はじっとそこに座っていた。
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