第四幕

01 知らないあなたが増えていく



「あ〜あ……やっぱりダメだったか〜」


 和室の畳にゴロリンと寝転がったまきは大きくため息を吐いた。正座をして日本酒を煽っていた野原のはらは「思った通り」と言わんばかりの冷たい視線を寄越してきた。


「じゃあ、どうすればよかったんだよ〜」 


「どうもこうもない」


「傷に塩を練り込むようなこと言うなよ……」


 ゴロゴロとして、駄々っ子みたいにしてみるが、野原は知らんぷり。


 ––––ツレないんだから……。


「うう~……あんな頭のいいやつ、相手にするんじゃなかった」


 野原は軽く息を吐いたかと思うと、槇にちらりと視線を寄越した。


「……もう少し冷静にしかけていかないと。保住は頭が切れる。実篤さねあつじゃ相手にならない」


 確かに、野原の見立てが正しいのだろう。なにせ、一緒に仕事をしている上司と部下だ。保住の本質をよく見ているのは野原に決まっている。

 

 澤井さわいと保住の関係をつついて脅す予定だったのに、それはプライドの高い彼を逆に怒らせて、結果、自分たちの関係性を逆手に取られただけの、なんの意味もない会合になってしまっただけだった。


「時間の無駄だったか……」


 しかし、じっと槇を見ていた野原は首を横に振った。


「そうでもない」


「え?」


「保住が連れてきた田口たぐち。あれは忠犬。多分、保住は澤井との関係性よりも、田口のことを気遣っている。きっと保住にとって大事なのは田口」


「そうかな……」


 ぴんと来ない。なんだか曖昧な返答を返すと、野原の目はなにかを言いたそうに槇を見つめていた。


「本当に実篤さねあつは鈍感」


「お前に言われたくないね。なんだよ~。人の気持ちなんて理解できないくせに」


「確かに、人の気持ちはわからない」


 野原の返答に、はったとして槇は体を起こした。


「ごめん。そういう意味じゃ」


「気にしない。なんで謝る? 現実そうなだけじゃない」


 そうだとしても、つい、甘えすぎ。「ごめん」ともう一度呟いてから、野原の隣に座って、彼の手からおちょこを取り上げた。


「実篤?」


「いいだろう? 少しくらい」


 目を瞬かせている野原の手首を掴み上げて引き寄せると、強引に唇を重ねる。

じっとしていた野原だが、珍しく槇を押し返した。


せつ?」


「非常識。こんなところで」


「いいじゃん。女将さんも想定内」


「そんなはずない。おれ、帰る」


 わかっている。上手くいかなかった腹いせに、野原に八つ当たりしていることくらい、わかっている。だけど、彼なら許してくれるという甘えは拭い去れない。


 昔からそうだ。野原は、。自分の後先考えない行動に巻き込まれて、最終的に酷い目に遭うのは、野原なのに。「ごめん」と頭を下げると、「いい」と答えてくれる。


 ずっとそうして、二人はやってきたのに、ここのところ、野原が見えない。保住とのやり取りだって、別に自分が間に割って入らなくても、もしかしたら、野原だったらうまくやって退けらたのかも知れないと、ふと思ったのだ。


 なんだか、自分が足を引っ張ってばかりで嫌になった。自分の知らない野原が増えていく。


 そんなのは嫌だと思った。彼のことは、全て把握していたいのに、野原と保住、野原と田口……。自分には把握できない時間の流れがあるのかと思うと、なんだか、心がざわついて面白くなかった。


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