05 完敗


「すみません。そういうの面倒で関わりたくないのです」


「保住」


 鋭い野原の声はあまり聞き馴染まない。仕事モードなのだろうか。上司として部下を嗜める時、彼はこんな顔をするのか——?


「課長。そんなおれの性格は、あなたがよくお分かりではないですか」


「保住。お前は面倒だと言うが、すでに権力闘争に組み込まれた駒だ」


「では早々に脱落いたしましょう」


 保住はにこっと笑顔を見せて、手を打ち鳴らして見せた。それから同伴してきた田口、槇と順番に視線を寄越した。


「おれは澤井の指示通りに動いているわけでもないのですよ。あの人がおれのポリシーに反するようなコトをするならば、勿論、同意はしかねる。しかしそれが梅沢や、市民のためになるのであれば、それは必ずやり遂げるだけだ」


 ——どうしてだろう? 保住にはあるのに、自分にはないものがあるのか。それは一体なんだというのだ?


 どうしてこの男は、こうも追い詰められた場面でも堂々と活路を見出すのだ。ここまで来ると、どんでん返しは困難。完敗であるということは歴然だった。悔しいが、負けを認めざるを得ない。


「きれいごとだ、甘ちゃんだって澤井さんにも怒られるが、それを尊重してくれる澤井あの人はそう悪くもない。澤井あの人の梅沢にかける思いはおれ以上だ。

 ……死んだ父もそうでした。家族なんてまったくもって眼中にないくらい梅沢のことに夢中でしたからね。申し訳ありませんがそういう男の血を引いています。融通が利かないのは勘弁してください」


 保住は澤井のことを「嫌いだ」と言う割に、結構好きなのではないか?


 槇は皮肉を込めて「君は相当、澤井さんにぞっこんだ」と言った。しかし保住は素直に認めた。


「そうかもしれませんね。上司として市役所職員としては尊敬しています」


 そして今度は野原を見た。


「野原課長。こんなことに加担していて良いのでしょうか。おれが澤井さんに告げ口をするとは思わないのですか。槇さんとあなたとでは、お立場が違う。市役所職員の頂点は澤井さんだ。あの人の耳に入ったら潰されるのは目に見えていますよね」


 野原は瞳の色を濃くしてぽつりと言った。


「おれはお前とは違う。市役所職員にこだわりはない」


「それはそれは。出世街道まっしぐらなのに? ああ、槇さんに引っ張り上げてもらっているというもっぱらの噂ですもんね。随分、懇意にしていらっしゃる。おれと澤井の関係を調べ上げている場合ではないのではないですか」


 保住は執拗にまくし立てる。槇の心がざわざわと落ち着かなくなった。まるであの時みたいだ。中学生の頃、野原がいじめられていた時みたいに……。


 しかし野原は、成長しているのだ。当時のただ黙って横沢よこざわたちのいじめを受け入れていた時の彼ではない。 野原は毅然した姿勢で保住をまっすぐに見据えていた。


「ただの同級生なんて言葉をおれは信じられませんね。そうでしょう? 同級生って、何十人、何百人いる中で、社会人になってまでこんなに懇意にしますか? 

 槇さんも随分と野原課長がお気に入りのようだ。色々な経験させてもらっていますからね。お二人の間の雰囲気はよくわかります」


「曖昧なことを……」


 保住の言葉に対して声を上げた野原の横顔を見ていると、不安が増幅されていてもたってもいられずに声を上げた。


「保住、野原をいじめるな」


 しかしそれは保住の用意周到な罠だった。保住は、野原を責めることで槇がどんな反応を示すか見たかったのだろう。彼の誘いにまんまと引っかかって、野原を擁護するような態度を取った槇。このちょっとしたやり取りで槇との野原の関係性を引き当て、満足そうに笑む保住はどことなしか冷たい目だった。


 ——さすが、澤井の秘蔵っ子だ。


「おれの足元をすくうおつもりだったようですが、墓穴を掘りましたね。お二人で行動するのは目立つ。お控えになるのがよろしい。職員自体は誰が誰と付き合おうと解雇の理由にはなりません。まあ、こんな動きを嗅ぎ付けられたら澤井は黙っていないと思います。徹底的に野原課長潰しにかかるのは目に見えている」


 保住は一旦言葉を切ってから槇を見た。


「そしてそれは槇さんも同じでしょう? 安田市長はお二人の関係や、企んでいることをご存知なさそうですね。の件の失敗は、市長の進退問題にも影響しかねませんよ。澤井と共に市長も下ろして、あなたが市長にでもなるおつもりですか?   ああ、そうか。いい考えだ。澤井と市長との両名を揃って始末できる案はなかなか面白い。これであなたが市長の座を射止められのかも知れない。

 しかし世の中はそう甘くはない。失脚と言う形で引退するのと、大成功の花道で引退するのとでは、後任となるあなたのスタート位置も変わってくるのではないでしょうか? 有権者だってそんなに馬鹿ではない」


 言いたいことは全て言い切った。そんな満悦な表情の保住は席を立った。


「田口。帰るぞ」


「は、はい」


「どうもご馳走様でした。ご協力はしかねますが、また食事に誘っていただけると嬉しいです。野原課長。槇さん」

 

 黙り込んでいる二人を置いて、保住と田口は廊下に出ていった。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る