絶対的楽観主義者

雪猫なえ

絶対的楽観主義者

 どこを目指しているかなんて、わからない。わからないよ、今の僕には。

 一つ確かなのは、今やるべきことはキーボードや液晶に触ることではないってこと。それでも僕は、一つ、また一つと文字を打つ。


「たまには息抜きしなさいね」


 重度の心配性だけど優しい母さんはいつも温かい言葉をくれる。すごくありがたいし嬉しいのに、それらはなぜか僕の上を滑り流れていく。

 学校の先生やテレビのドキュメンタリー番組、時には赤い四角に白い三角の動画投稿サイトで活躍している人たちからも元気をもらうけれど、そのやる気は二日ともたない。

 自分でもはっきりわかっている。僕の意識は学業に向いていない。

 口頭で雄弁に将来像を語るけれど、結局綺麗事のような感覚はある。僕はしかるべき努力を積み上げられていない。

 やりたいことがいっぱいある。そのためにはお金が必要なんだ。だから働かなくてはいけない。それも、できるだけ高収入な方がいい。僕がやりたいことは何かとお金がかかる。だからいい大学に入って、安定した職に就きたい、そのために僕は今勉強するんだ。

 わかっている。理屈なんてとっくの昔に飲み込んでいるんだ。何度もこの理想論をなぞった。何度も自分に叱咤激励を施してやった。それでも駄目だ。

 僕は、納得していないのか。どこかで何とかなると高を括っているんだろう。そういう風に客観的な視点で見れないわけじゃないのに、ボクの手は今日も動きたくないと駄々をこねる。

 こんなことしている場合ではない。僕は要領がいいわけでもないし成績だってまだまだ全然足りていないのだ。

 でも、やりたくない。

 きっとみんなそうなんだ。それでも頑張っているんだろう。なのに、僕は出来ていない。


「正俊、お昼」


 いつものループにハマりかけていた、いや、ずっぷり落ちていたとき、リビングから母さんの声が飛んできた。綺麗に通る母さんの声は、きっと薄い壁の向こうまで拡散されている。父さんがたまに心配そうな表情をすることもある。僕はというと、確かにちょっと恥ずかしい気持ちもあるけれど、どうでもいいとも思う。恥をかくのは僕ではない。僕は何を言われても別にどうということはない。

 こんな気持ちを抱えて、いつも僕は過ごしている。実を言うと、この二重感覚が僕の悩みでもあった。


「今日は手抜きで店屋物です、堪忍してねー」


 母さんは時々変な言葉遣いをする。日本語として間違ってはいないけれど、無難でないというか、一瞬違和感を覚える単語や言い回しを使う。そのくせ家族の誰かがちょっと言葉の使い方を間違うと目ざとく指摘してくるところはいただけない。


「どう、勉強。暑い中でやってて大丈夫?」


 僕の部屋にクーラーはないから母さんはいつも僕の体調を気にかけている。でも、部屋で一人の空間にいたいと言う気持ちから、たまに頑固に暑さと格闘している。

 親に隠れて遊ぶためなどではないけれど、親の前だとやっぱり一瞬たりともスマホを触ってはいけない、というような緊張感を味わってしまうため、僕は部屋に篭る。誰にもそんなことは言われていないけれど。


 優しい家族に快適な環境、このどこに頑張れない要素が入っているというんだろう。要するに、わがままなんだ、僕は。言い訳をさせてもらうるならば、それを自覚しているが故に辛い。

 進学校である僕の高校には、遠方からも近場からも生徒が通ってくる。環境の大変さを競ったら、不幸比べと同じでキリがない。

 けど、恵まれた環境を生かせない僕は、誰が何と励ましてくれようと、自分自身を弱いと思ってしまう。快適空間こそ頑張れないとは聞くものの、そこは言い訳にしてはいけない時期なんだ。

 わかってる、わかってる。わかってるけど、わかってないのかもしれない僕に、今日は夏休みの最終日という時間が贈られている。

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絶対的楽観主義者 雪猫なえ @Hosiyukinyannko

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