sequence 1 ろじうらのよびごえ part 8
え?なんか今舌打ちした?
目を白黒させている俺を一瞥すると、白い犬は踵を返して駆け出した。おいおい、待ってくれ…!
「待ってくれ!アカネはどこに?!」
「ちっ、失せろヒトザル」
やっぱりだ。こいつは人語を解するんだ。それにしても、腹の底に響き渡るような重い声だ。犬がしゃべったらこんな感じか?
心底迷惑だ、というように顔を歪め、前に向き直すと白い犬はスピードをあげた。ウサイン・ボルトでギリギリ追いつけるかという速さだ。女子ならギリ勝てるってぐらいの俺の脚力じゃどんどん離されていく。俺は白犬が向かう先を見た。
「裏山か…!」
アケボノ町には地元民に裏山と呼ばれている山がある。名前は確か…”秋葉山”だ。
もう豆粒ほどに小さくなっている犬は、白い毛並みのせいか暗闇でも目立つ。白犬は山の境界線に沿って伸びる細い路地に入って行った。全速力で走って追いかけると、その路地に立てられた鳥居をくぐって山道を登っていくところが遠くから確認できた。
「はぁ…はぁ…こんなところに鳥居なんかあったか…?」
石造りの鳥居にたどり着いた頃には、白い獣の姿形はもう見えなかったが、木々の中を走り去る気配はしている。まっすぐにこの道を上がって行ったのだ。
アカネは怪物と一緒に消えた。あの白い犬は、怪物を敵視していたようだし、スーツ野郎の正体がなんなのか知っているんだろうか。人の言葉をしゃべったように聞こえたから、意思疎通はできるはずだ。今はあの獣を追いかけるしかない。
夜空に浮かぶ稜線はくっきりと山を暗黒に切り取っていて、人を拒む圧力を醸し出している。平常時だったら絶対に山に入ろうだなんて思わないだろうが、今は行くしかない。
鳥居をくぐると山道が斜面に沿って折り重なるように伸びていた。この山もせいぜい標高100mぐらいの小さな山だ。迷って出られなくなるなんてことはそうそうないはずだと頭では思うが、木々に遮られて奥に広がる暗闇の色は濃さに圧倒された。
「道は一本道…行くしかないか」
俺はパチンと自分の頬を叩くと、夢中で走り出した。鬱蒼とした草が両脇に生茂る獣道は所々折れ曲がりながらも着実に上へ上へと伸びていた。長らく人が通っていないであろうその道の脇には、所々月明かりが差し込み、苔むした縁石が敷いてあるのが見えた。
しばらく進んだあとに、黒く大きな蝶が俺のすぐ顔の前に躍り出た。ぶつかりそうになって思わず立ち止まり、追い払うように腕を振りかぶった。目を開けると、さっきは暗闇で気づかなかったが、石造りの鳥居が目の前に現れていた。鳥居の先は広場のような開けた場所で、木々に囲まれたそこは夜空が覗き、月明かりが差し込むのかこれまでとは違って明るい空間だった。
先ほどの蝶がひらひらと鳥居の方へと飛んでいく。俺は導かれるように歩を緩めて鳥居をくぐり、月明かりの広場に踏み入った。
「ふむ。挨拶もなしとはの。最近の若いもんは
俺は息を飲んだ。石造りの鳥居をくぐった先、広場のさらに奥に声の主がいた。一段高く備え付けられた木製の舞台が備え付けられている。そしてそこには、枕木に肘をつき、あくびをする少女が横たわっていた。7〜8歳くらいに見える。おそらくサイズが全然合っていない紅地に金色の縁の入ったぶかぶかの着物を羽織り、子どものような白く細い四肢がその間から伸びている。
先ほどの黒く大きな蝶がひらひらとその少女に近づくと頭に留まり、まるで髪飾りのように、少女の腰まで伸びた銀色の髪を彩った。そして…少女の頭には、純銀の髪の毛と同じ毛並みの犬のような耳が一房ついていた。犬耳がピクピクと動く。「ふむふむ、こいつか」ケモミミの少女は何やら呟くと、紅く燃えるような瞳をこちらにまっすぐに向けてきた。
「なんじゃ。初めて女を見る童貞みたいな間抜けなツラしおって」
「は?!え?」
「ウブな反応ウケるのぉヒトザル。クスクスクス…。若い男は久しぶりじゃ。ずいぶん必死の形相で登ってくる輩がいると
銀髪の少女は見た目と声の幼さからは想像できない、老婆のような話し方といじり方で俺をからかってきた。ヒトザル、という単語を聞いて俺は我に帰ったように自分の目的を思い出した。
「そうだ、白い犬を追いかけてきたんだ!アカネが、妹が捕まって…犬が助けてくれたんだけど、アカネも消えてしまって…!そいつもヒトザルと言っていた。何か知ってるんだろ?教えてくれ」
「”イヌ”じゃと?」
「そう、白くてすばしっこい、でかい犬だ。人の言葉を喋っていた。アンタらはいった…」
「たわけ、小僧」
ケモミミ幼女は明らかに憤慨したように声を低くし、食い気味で口を挟むと、上体を起こして睨みつけてきた。
「貴様…我ら誇り高きオオカミをつかまえてイヌコロ呼ばわりか。やはり
ヤバい、なんか地雷を踏んでしまった。だが、あの白い獣はこいつに関係しているのは間違いない。なんとしてもアカネの行方の手がかりを掴まなければ。
「オオカミ…?なのか。怒らせたなら謝る。そしてアンタが誰か知らずに迷い込んだんだ。頼む、教えてくれ」
「嫌じゃ。お前の話はつまらん。往ね」
ぷい、と顔を背けると同時に頭の上に生えた獣の耳がピクピクと動く。右手はしっしっと追い払うように揺れていた。
その時、獣の荒い息遣いが聞こえてきたと思うと、草をかき分け瞬く間に先ほどの白い犬…じゃなくてオオカミが俺の目と鼻の先に出現した。
「姉様に近づくな、ヒトザル!」
鋭い牙の生えそろった口を大きく開け、犬の咆哮に似た、体の芯を揺さぶるかのような声で狼は俺を威嚇した。「うがっ!」俺はあまりの迫力に腰を抜かしてお尻から後ろに倒れ込んだ。
「ハク」
「グルル…お前…失せろと言ったのがわからなかったか!噛み砕かれたいか!」
「やめろ…!俺はアカネを…」
「ハク、よせ。そなたらしくないぞ。何があったか申せ」
「姉様…すまない。こいつは私を追ってきた…だが、ここに立ち入られるとは思わなんだ…」
「かまわん。ただの腰抜けじゃ」
ハクと呼ばれた白い毛並みの獣は滑るように滑らかな動きで少女のそばに寄ると、頭を下げ少女の左脇に収まった。毛の色は少し違うが、どちらも燃えるような紅い瞳をしている。
文字通り腰を抜かしている俺にかまわず、一人と一匹は話し始めた。
「
「そうだ…。また逃げられた…しかし此度は深傷を負わせた…」
「ふむ。よくやったよハク。しばらくは大人しくしておるじゃろう。それでこやつは?」
「さらわれたヒトの身内だ…
「
ナメクジたちを攻撃したからハクが駆けつけたのか。俺の攻撃は一応無駄ではなかったらしい。やっと力が入るようになった足腰で立ち上がった。
「オオカミだかなんだかわからないけど、お願いだ、俺はそのアヤカシとやらにさらわれた人たちの行方を追ってる。今度は俺の妹が狙われちまったんだ。何でもいい、知ってることを教えてくれ!」
俺は一息でそう告げると、一歩、少女に近づいた。行方を追ってるって言うのはちょっと言い過ぎだけどな。少女の左に控えた白毛の狼ーハクが近づくなと言わんばかりに立ち上がり低く唸る。
「ほう。だが」
「頼む」
「若くて男前でも
「なっ、どうすりゃいいんだよ」
「神前の作法も知らぬ
「姉様、わかった」
ハクが俺に向かって咆哮を放った。鼓膜が震えるのを感じるほどの轟音とともに俺は後ろに吹き飛ばされ、次の瞬間気づくと、あの山の麓の鳥居に立っていた。
To be Continued to Sequence 2 【ひのやまのおおかみ】
*この物語はフィクションです。実在の人物や団体とは一切関係がありませんので、本文中の表現をそのまま受け取ってしまう純粋ピュアな読者の方は、ご注意下さいませ。
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