sequence 1 ろじうらのよびごえ part 7
ガラスのコップを割るような音が耳に刺さり、エントランスを乱暴に押し開けた。俺の声が聞こえていないのか?アカネは何かに操られるように、俺たちの家であるカフェの角を曲がり、隣にある金物屋のコンクリートの壁との隙間にできた路地裏にふらふらと入るところだった。いつの間にか街頭が点いていて、路地裏に立ち込める闇をむしろくっきりと切り取っていた。
「アカネ、戻ってこい」
アカネの入った路地裏は、そう長くはない袋小路だ。闇に紛れて見えないが、確かに、そこにはアカネ以外の”何か”が居る気配がする。
「あ、いたいた。うわぁ、あなたこんなに兄弟がいるの?一缶で足りるかなぁ」
「おいアカネ、聞いてるのか」
狭い路地は、大人二人ならばギリギリすれ違えるかどうかというぐらいだ。手探りで進むと、室外機のパイプか何かに足をとられてつまづきそうになった。だんだんと闇に目が慣れてきて、手を伸ばせば届きそうなところにアカネの背中が見えた。そして、しゃがんだアカネの目の前にそれはいた。
「おい!離れろ!それは…」
黒い、蛞蝓(なめくじ)だ。5〜6匹は居る。黒地に緑と橙色の毒々しい模様。小さな子猫ほどの大きさのそいつらの、粘液をまとった表皮が、わずかに差し込む街頭の光を反射してぬらぬらと照り返し、餌を求めるように身悶えている。頭の上から飛び出た二つの小さな突起の先には水晶体が付いており、眼のように忙しなく回転している。クソ気持ち悪い。昼間に湯島ナツキのそばにいたナマコ野郎とそっくりの、気色悪い巨大ナメクジを、アカネは愛おしそうに撫でていた。
「アカネ!目を覚ませ!そいつは猫なんかじゃない!」
「痛っ!」
背後からアカネの二の腕を掴んで力一杯に引いた。不意を突かれ、引きずられるようにして立ち上がったアカネを体で受け止めると、そのまま路地裏を抜けて道路まで引きずって行った。アカネはなぜか沈黙し、力が抜けているから結構重い。
「重い…!しっかりしろ、アカネ!」
「ん、お兄…え?なんで…?」
「気がついたか?立てるか?」
目を覚まし、腰が抜けたようにへたり込むアカネは、忙しく周囲と俺の顔を見比べている。覚えてないのか?一体何が起こってるんだ?
「お兄、あれ、なに…!」
アカネは震える指で路地裏の方を指差した。街頭の光に切り取られた漆黒の闇から、奴らが這い出してきた。緩慢な動きで、べちゃ、べちゃと不快極まりない音を立てながら。確実に俺たちの方に、近づいている。いや、狙いは…。
「アカネ、逃げろ!立て!走れ!」
「だめ…!腰が抜けて、立てない」
だめか。俺は街頭の明かりに照らされた周囲を見回した。カフェの前には、親父が毎日水をやって育てているひまわりの鉢があった。俺は笑う膝に気合を入れて飛び出すと、親父が丹精込めて育てているひまわりの鉢を持ち上げた。すまん、親父!思いっきりふりかぶり、鉢植えを化け物ナメクジに投げつけた。「んきゃあああああ」とかいう悲鳴を上げて、化け物は青色の体液をぶちまけた。鼻を切り取られるような刺激臭がして俺は蒸せた。
「ごほっ、ごほ…きもいんだよ!キモすぎる!」
俺は次々にひまわりの鉢を投げつけた。その度、例の甲高く不快極まりない悲鳴が上がる。気付いたら10個あった鉢全てを投げ終わり、土ぼこりにまみれ折れたり千切れたひまわりたちがまるで戦場に倒れた兵士のように横たわっていた。奴らは5〜6匹はいたはずだ。アドレナリンが出まくってる今の俺なら踏み潰すぐらいできそうだぜ。恐る恐る近づこうとしたその時だ。
「きゃああ!嫌だ!お兄…うぐ」
「アカネ!」
悲鳴が上がった。アカネだ。道路の方でへたり込んでいるはずの妹の方を見て、俺はミスを犯したことを悟った。片腕で軽々とアカネの腕を掴んで持ち上げ、もう片方の手で悲鳴を漏らす口を抑えているのは、身長2mはあろうかというスーツ野郎−昼間に見た海鼠(なまこ)のような怪物−だった。
「離せ!何の目的なんだよナマコ野郎!」
あの巨体だ。仮に人間だとしても到底勝ち目なんてない。しかし武器は持っている訳ではなさそうだ。どうする。行方不明事件に関連しているとしたら、あいつの目的は人さらいか?
アカネは苦しいのか、涙を流しながら、俺に手を伸ばしていた。考えてる暇はない、走れ!
しかし、グッと力を込めて駆け出そうとする俺の足に何かが絡みつき、俺は無様にこけて顔面を地面に打ち付けた。足に、青い体液を垂れ流すナメクジたちがまとわりついていた。くそ、やっぱりこいつら…!
「うぐっ…おに…!」
「アカネ!」
その時だった。「グルルァァァ!」という、闇夜の街に響き渡るかのような”犬の雄叫び”が聞こえた。いや、犬よりも重い、さながらライオンの鳴き声を連想させる、獰猛な肉食獣の吠えかただ。
次の瞬間、真っ白の毛並みを持つデカイ犬が、アカネの背後の怪物に飛びかかった。「ぶぶぶるるるらら」みたいな気色悪い悲鳴と、真っ青の体液を血しぶきのように上げて、ナマコヘッドはスーツの襟元の部分をえぐりとられていた。あの嫌な臭いが鼻をつんざく。アカネは青い血をもろに浴び、ショックで気を失ったようだった。力なくうなだれている。俺は地面に横たわり、首だけをそちらに向けてその光景を見守ることしかできなかった。
「るるるる…」
あのバケモンはかなりの深傷を負ったはずだ。しかしアカネを離す様子はなかった。やっぱり目的はアカネの誘拐か。だがあの白い犬は…?
白犬は、地面に着地すると踵を返してナマコスーツを睨みつけた。紅く、燃えるような瞳が街頭の光を跳ね返して鈍く輝いているように見える。犬が目にも止まらぬ速さで駆け出し、再び飛びかかった瞬間だった。
深傷を負ったスーツ姿のナマコ野郎は、アカネを抱えたまま、まるで地面に穴が空いているかのようにスーッと吸い込まれるようにして消えた。残された青い血だまりに盛大にダイブした白い犬は、グルル…と唸りながら周囲をぐるぐると回っていた。俺の足にまとわりついていたはずのナメクジはいつの間にか消え、異臭を放つ体液だけが俺の足にべっとりとついている。転んだ拍子に打った上半身が軋んだが俺は立ち上がった。
「お前は今朝の…?」
「グルル…ちっ」
えっ?なんか今舌打ちしなかった…?
To be Continued...
*この物語はフィクションです。実在の人物や団体とは一切関係がありませんので、本文中の表現をそのまま受け取ってしまう純粋ピュアな読者の方は、ご注意下さいませ。
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