Heidi 7

「じゃあ、そのお前の能力ってのは『大切なものが失われないように事前に察知できるって能力』ってことでいいのかな」


 ハイジの話を静かに聞いていたヘルマンニは、アンジェのことについては何も触れずに、ハイジの能力について疑問を投げかけた。


「わからない。あれから一度も使ってないから」

「何でだよ、便利じゃねぇか。その力があれば、魔獣だって敵兵だって怖くねぇだろ」

「……アンジェを助けることができなかったんだぞ。ぼくはこの力が嫌いだ。命なんてどうでもいいものは守ろうとするくせに、一番大事なものを守れないなんて、役立たずにもほどがある」

「ふぅん? でも、大切なものが失われないように発動するって仮定なら、自分の命が大事だってことにならねぇか?」

「……本当は自分の命が大切だってこと?」

「さぁ? 仮定の話だし、わかんねぇけどさ。でも、もしそうならさ、きっとお前にとって、お前の命は何かの役に立つんだろう」

「何かって、何だよ」

「わかんねぇけど、きっと何か役割でもあるんじゃないか?」

「……」


 ヘルマンニはしばらく考えて、意を決したようにハイジに言った。

 

「お前の育ての親の、えっと、アンジェって人は、黒目だったって言ったか」

「うん、珍しいよね。アンジェは髪も黒かったんだ。し、他にもたまに見かけるけど……目が青くないってのはアンジェしか見たことない」

「ふぅん、なるほどなぁ……お前、変わったやつだと思ってたけど『はぐれ』に育てられたのか」

「『はぐれ』?」

「ああ、黒髪・黒目の人間のこと。『はぐれ』ってのは、親が居なくて、魔物の領域にフッといきなり現れるんだとよ」

「魔獣みたいに言うなよ、アンジェは普通の人間だったぞ」

「でも、親のいる『はぐれ』は存在しないって言うぞ。アンジェにも親は居なかったんじゃないか?」

「それはそうかも知れないけれど……」


 この時、ハイジはヘルマンニから『はぐれ』の存在を知らされた。

 

「『はぐれ』は狙われやすい。だいたい特殊な力を持っていたり、頭が良かったりするから、高値で売れるんだ」

「ヘルマンニはなんでそんなことを知ってるんだよ」

「……奴隷商のところにも一人『はぐれ』がいたんだよ。小さな男の子でよ、そりゃもう大事にされてたぜ。高く売れるからだろうな」


 かく言うオレも高値が付いた一人だぜ、とヘルマンニが胸を張る。

 ハイジは目を丸くした。


「それ、嬉しいこと?」

「……いや、全然」


 二人でため息をついた。

 

「ハイジさ、森の奥で暮らしてたって言ってただろ」

「うん。それが?」

「たぶん、奴隷狩りとか、囲い込みたがる貴族とかから身を隠すためだったんじゃねぇかな」

「そうなのかな……『はぐれ』が珍しいのなら、そうなのかも」

「まぁ、実際珍しいよな。俺も奴隷商で見たっきりだし、数は少ないんだろ。魔素の強い場所には数年に一度現れるって話だから、大きな街なら一人や二人いても不思議じゃないけどな」

「ふぅん……いつか会ってみたいな」

「やめとけって。魔素が強い場所ってことは、つまり命が軽い場所ってことだろ。戦場とかさ」


 ヘルマンニは『はぐれ』に関する知識をハイジに話して聞かせる。

 

 生き物が死ぬと、肉体から膨大な魔素が抜け出る。戦争や飢饉、疫病などで人が大量に死ぬと、そこには魔素溜まりができる。

 魔素溜まりはそのままにしておくと魔物を生み出す。魔物同志は殺し合い、魔素は濃縮されていき、最終的に魔物の領域が生まれる。魔物の領域には魔物が大量に発生し、放っておくとどんどん広がっていく。

『はぐれ』とは、そうした領域に発生する。故に、一般に縁起が悪いものとして忌避され、時に迫害された。わざわざ欲しがる物好きは奴隷商や貴族ばかりだという。

 

「だから『はぐれ』は戦場とか、魔物の森とかの『死溜まり』から生まれるんだ。目や髪が黒いのも、それが理由だって話だぜ」

「なら、ぼくは戦場に行く」

「おいおい、俺の話聞いてたか? 『はぐれ』なんて、好き好んで関わるもんじゃねぇんだって。縁起が悪いんだからよ……いや、悪い、お前の育ての親のアンジェって人はいい人だったみたいだけどよ……」

「うん、ヘルマンニがぼくのために言ってくれてるってのはわかるよ。でも、もともとぼくは、戦場で戦うために生きてるんだ。ハーゲンベックを倒すためにさ」

「いや、それはそうかも知れねぇけどよ……」


 すでに、戦う技術はハイジがヘルマンニを圧倒している。しかも、五千人に一人も使える者は居ないといわれる魔術まで使うという。

 ハイジはまだまだ成長するだろう。近い将来、ハイジが戦場で遅れを取ることはそうそうなくなるはずだ。

 それでも、ヘルマンニにとっては、未だにハイジは弟分だった。ヘルマンニから見たハイジはどこか頼りなさげで、心は弱く不安定で、成人間近だと言うのに死んだ養母に対する執着が強い。とても放っておく気に離れなかったし、こいつを守るのは兄たる自分の役目だと、ヘルマンニは考えていた。


 ヘルマンニは戦いを好まない。しかし生きるため、また師への恩に報いるために戦っている。それ故、弟分であるハイジが戦に救いを求めているということに、悲しさを覚えている。


 しかし、新たな戦争の火種はすぐ側まで迫っていた。

 

 

 ▽

 

 

 街から帰ってきたアゼムは、軍からだという募兵の知らせを持ち帰った。


 傭兵『愚賢者』アゼムは仕事を選ぶ。楽な仕事ではなく、むしろ苛烈な仕事を好んで受ける傾向がある。金だけでは動かず、しかし義だけでも動かない。その戦に価値があると知れば、二束三文でも仕事を受け、必ず高い戦績を残した。負け戦も多かったが、仲間の被害を減らし、自らも必ず生きて帰った。

 傭兵としての矜持プライド––––すなわち、主を選ばず、金のために戦うことを、アゼムは潔しとしなかった。

 

 故に、愚賢者。


 一度でも手を組んだ軍は、必ずアゼムに信頼を置くようになり、同時に見捨てられることを極端に恐れた。それは、アゼムという愚かな賢者が、自分たちに正義はないと判断したということに他ならないからだ。

 

 谷に戻ったアゼムが三人の弟子に話して聞かせたのは、リヒテンベルクとライヒという、聞き覚えのない二つの領の小競り合いに参加する、というものだった。

 

 アゼムは「ライヒ男爵はヴォリネッリには珍しいまともな男だ」と、珍しく貴族を褒めた。貴族にろくな思い出のない三人の弟子は疑いの目を師に向けたが、アゼムはどこ吹く風だ。


「まだ地位は低いが、賜爵で下賜された荒れ果てた辺境の土地を、工夫と善政で豊かにしてみせた手腕が素晴らしい。俺は、この男を出世させたい」

「師匠がそんなに肩入れするとは、相当な傑物なんですね」

「傑物というよりはインテリだな。あまり軍事には向いてない。しかし芯がある。何よりも領民に好かれている。ライヒの城下町じゃ、男爵の肖像画を飾るのが流行ってるっていうぞ」

「何ですか? それ……」

「ただ、そこに粉を掛けてきたバカ貴族が居る」

「それがリヒテンベルクですか」

「そうだ。リヒテンベルクは政の中心に軍事を据えるほどのタカ派でな。森を挟んで隣接する平和ボケのライヒ領の目覚ましい発展を見て、物欲しくなったらしい」

「……貴族ってのはどいつもこいつも……」

「リヒテンベルクは、基本的に他領と手を組むということがない。一方的に占領するか、飼い殺しにするってのがいつもの手なんだが、そこに付け入る隙がある」

「どうするんです?」

「今回の俺たちの主君はライヒ男爵だが、ライヒ男爵はマッキセリと同盟を結んだ。ライヒだけだとリヒテンベルク相手にひとたまりもないが、マッキセリと組めば話は変わる」


 マッキセリ子爵はアゼムのお気に入りの貴族である。所謂「まともな貴族」で、貧乏だが、領民を飢えさせないように必死に采配を振るっているという。善政を敷いてはいるが、ライヒ同様軍事に弱いため、周りの大貴族に頻繁に粉をかけられている。

 軍が弱く、金もない泡沫貴族であるマッキセリなど、普通なら瞬く間に占領されていてもおかしくなかったが、ハーゲンベックの悪名が高さが功をなした。貧乏でも必死に幸せを掴み取ろうと奮闘しているマッキセリの市民たちは、こぞって義勇兵として参加、さらには傭兵ギルドも合流した。ハーゲンベックは傭兵ギルドを下賤の者の集まりとして見ていなかったため、すでにまともな傭兵たちには見切りをつけられている。与するのはカネに目がくらんだ戦争屋くらいのものだ。

 かくして弱小貴族であるはずのマッキセリは、大領地ハーゲンベックと対等以上に渡り合えている。その中でも、陰になり日向になりマッキセリのために働いているのが『愚賢者』というわけである。

 

「ハイジ、お前はどうする?」


 アゼムがハイジに訪ねた。

 ハイジにしか尋ねなかったのは、ヨーコとヘルマンニが断ることはないと解っているからである。

 

「どうする、とは?」

「今回の敵は、ハーベンベックとは関係がねぇ。リヒテンベルクは強国で、どことも手を組まないからな。ハーゲンベックだけが敵だというなら、この戦に参加する意味はねぇぞ」


 ハイジは、ハーゲンベックを打倒することを目的に、アゼムに預けられている。

 戦う力は身につけた。生きる力まではわからないが、幸い死神に嫌われてもいる。

 その力はハーゲンベックを倒すために使うべきだ。と、アゼムは考えているのだろう。

 

「ぼくも参加します」

「うん? 良いのか?」

「はい、ハーゲンベックはもちろんですが、リヒテンベルクが同類だというのなら、ぼくにとっては同罪です。それに、師匠がそこまで肩入れするライヒ男爵とやらが強くなってくれれば、ぼくの目的も近づきます」

「そうか。よし。じゃあ全員で参加だな」

「はい」「よしきた」「わかりました」


 こうしてこの日、『魔物の谷少年傭兵団』は結成された。

 ヘルマンニがふざけて付けた名前だったが、的を射た名前だと言える。何しろ、団を構成するたった四人の兵のうち三人が二十歳を超えておらず、たった一人の大人である二つ名持ちの師匠は五十歳を過ぎても中身がガキだったからである。

 

 この名前はヴォリネッリの北部全域に知られることになる。


==========


 次話からリンの話を再開します。

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