Heidi 6

 アンジェとぼくは、森で生きていた。

 アンジェは養母だよ。実の親じゃない。親の顔は知らないんだ。たぶん赤ん坊の頃に離れ離れになったんだと思う。生きてるかどうかもわからない。

 

 アンジェとぼくは、森で生きていた。

 魔物の森を避けてさ、狩り暮らしをしていた。

 何でかはわからないけど、アンジェは色んな人に狙われてた。だから、人の目を避けて、森の奥深くで生活してたんだ。


 アンジェは本を読むことと、料理することが好きだった。

 狩りで仕留めた獣を塩漬けや燻製にして、毛皮と一緒に街に売りに行ったりして生計を立てていた。

 街には友達も居たみたいだけど、人と合う時は深くフードを被って、目立たないようにしてたっけ。

 

 アンジェは優しかったし、強かった。それにどんなことでも楽しめる人だったよ。森の暮らしは厳しかったけれど、いつも楽しそうにしていた。

 ぼくも本を読んだり、家事を手伝ったり、燻製作りに付き合ったり……静かな生活だったけど、幸せだった。


 でも、あの日––––突然5人の男たちが小屋にやってきた。

 男たちは嫌な顔で笑っていて……アンジェを連れて行こうとしたんだ。

 ぼくのことなんて、眼中になかったよ。いきなり殴られて、部屋の隅までふっとばされた。

 それを見たアンジェは悲鳴を上げて、駆け寄ってきた。すぐにぼくを守るために剣を抜いたよ。ぼくは痛くて動けなくて、それを見ていることしかできなかった。だって、狩りだってろくにしたことがなかったんだ。

 アンジェは強かったよ。バカにしたみたいに近づいて来た男を一人、アンジェは斬った。アンジェの手が震えていたのをよく覚えてる……ぼくのために覚悟を決めたんだってわかった。でも、アンジェは人と戦うのは初めてで––––獣としか戦ったことがなかったんだ。

 斬られた男はパッと血を散らせたけれど、死んではいなかった。他の男達は怒り狂って……一斉に剣を抜いて、アンジェに突きつけた。そのうちの一人がアンジェの剣を弾き飛ばして、腹を殴ったんだ。

 男に組み敷かれたアンジェは必死に悲鳴を上て、ぼくに逃げろと、そればかり叫んでいた。

 男たちは、アンジェを生け捕りにしたかったみたいだ。服を破いて––––良からぬことをしようとしているのを見たぼくは、居ても立っても居られなくなって、アンジェの剣を拾って、男たちに向かっていったんだ。

 男たちは笑っていたよ。アンジェにまたがった男なんて、ぼくのことを見もしてなかった。男たちはぼくを切り捨てようとして剣を振るった。

 

 ……でも、それからがおかしかったんだ。

 あの時、ぼくは間違いなく剣で袈裟に切り捨てられた。痛みも、剣が体内を滑っていく感触も全部覚えている。でも––––一瞬後にはぼくは斬られる前の状態だったんだ。時間が巻き戻ったみたいに。怪我も無くなっていて、これから剣がどんな風にぼくを切り捨てるのかがはっきり解った。

 だからぼくはそれを避けた。必死だった。けど、次はすぐに腹を刺されてしまった。でも、おかしなことはずっと繰り返されて、次の瞬間には刺される前の状態に戻っていたんだ。だからぼくはまたそれを避けた。そんなことを繰り返しているうちに、ぼくの剣は男の喉に届いていたんだ。

 

 男は、手に持っていた小剣を落として崩れ落ちた。あっけにとられたような顔でぼくのことを見ながら、あっさりと死んだよ。ぼくが殺した。きっと予想外だったろうね。ぼくだって予想外だった。でも––––戦えるかもしれない、アンジェを助けることができるかもしれないって、そう思った。

 

 アンジェにまたがった男も、流石にぼくのことを無視できなかった。アンジェが、ぼくが殺した男が落とした剣に手を伸ばして、またがる男に切りつけた。体勢がわるいから掠っただけで上手くは当たらなかったけれど、アンジェは男を引き剥がすことに成功した。アンジェはひどい有様で、顔には殴られた痣があったし、体もはだけていて、剣を構えるのも辛そうだった。肋骨が折れていたんだと思う。呼吸するのさえ苦しそうだった。

 

 それから、ぼくはアンジェの剣で戦った。不思議な現象はその後も続いて、ぼくは何十回も斬られたけれど、そのたびに元に戻り、もう一人を殺した。

 その時解ったんだ。ぼくは普通じゃない。ぼくは攻撃される前に、攻撃後に感じる痛みを事前に察知できるんだと。だから、斬られたと思えば、それを避ければ斬られずに済む。そのたびに、斬られる痛みがあるのが難点だけれど……何回斬られようと、いつかは敵に届く。

 

 気づくと、目の前に男たちの死体が転がっていた。

 ホッとして、アンジェを見たよ。アンジェもどこかホッとしたみたいに、でぼくのことを見てた。


 その時だよ。ぼくはとてつもない怒りと、悲しみと、喪失感に襲われたんだ。

 

 ぼくは、痛みを直前に感じる事ができる、って言ったよね。その心の痛みは––––その直後に起きる出来事に対する痛みだったんだ。


 アンジェの胸から剣が生えていた。

 初めにアンジェが斬った男が、後ろからアンジェを刺していた。

 アンジェは血を吐いて、呆然と胸から生えた剣を見て、それからぼくを見て……困ったように笑って、手を差し出した。

 ぼくは……どうすることもできずにそれを見ていた。

 

 間に合うはずだったんだ。

 もしぼくがもっと早くにこの力に目覚めていたら、アンジェを失う痛みを回避できたはずなんだ。

 でも、ぼくにはできなかった。できなかったんだ。


 アンジェは死んだよ。胸を一突きだ。あっという間だった。

 ぼくは狂ったみたいに、アンジェを殺した男に向かっていった。男が剣を振り回したけれど、構いやしなかった。痛いだけだ。ぼくに剣は届かない。

 ぼくは男をめった刺しにして、アンジェの敵を討った。

 

 あのときの小屋の光景はよく覚えてる。

 そこには七人の人間が居て––––あいつらを人間として数えていいかはわからないけど––––とにかく、みんな倒れていて、生きているのはぼくだけだった。

 終わってみれば、いつもと変わらない穏やかな雰囲気の部屋だったよ。ただ、死体だらけなだけで––––もっと血だらけになるものだと思ったけど、人って意外と血が出ないんだね。だから、戦争で血だらけにされた時は少し驚いたな。

 

 話を戻すよ。

 

 そのあと、アンジェを埋葬した。

 アンジェの好きだったものを全部いっしょに埋めてあげた。

 お祈りの作法がわからなかったから、花を摘んで飾ってあげた。

 でも、アンジェの剣だけは埋めなかったよ。そう、ぼくが使ってるレイピアがそれだ。花の彫刻があって、女物みたいだって笑ってたアレだよ。まぁ……ぼくの体格だとそろそろ小さすぎて使えないけれどね。

 

 男たちは埋葬しなかった。

 森に放置しておけば、魔獣たちが片付けてくれるはずだからね。引きずって、なるべく小屋から遠くまで運んで、放置した。

 数日後見に行ったら、遺体は綺麗サッパリ無くなっていたよ。知ってる?キノコの魔獣は骨まで溶かして食べちゃうんだ。

 そこには、ただ血で黒ずんだ地面に、金貨が数枚と、ギルド章が落ちていた。

 ギルド章は、冒険者用のものだった。死んだ男たちの名前が掘られていて、裏には「ハーゲンベック」と掘られていた。


 アンジェを拐かそうとして失敗し、殺したのは––––ハーゲンベックの冒険者たちだったんだ!


 はじめは、なぜハーゲンベックの冒険者がアンジェを狙ったのか分からなかったけれど、冒険者って、みんな貧乏だよね。でも、あの男は金貨を持っていた。きっと前金だ。それも、金貨を前金にするなんていうのは、もう貴族しかいない。

 なんの証拠もないけれど、ぼくは確信してるよ。

 アンジェを殺して、ぼくから全てを奪ったのは、ハーゲンベックだったんだ!

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