13
早朝、目を覚ますと、ニコを起こさないようにそっと部屋を出る。
店を出ると、すでに空が白んでいた。
半年前、冬のころだとこの時間はもっと暗かったし、星もチラチラ見えていた。
きっと夏も本番になれば、この時間でも昼のように明るくなるのだろう。
歩きながら、子どもたちをどんな風に鍛えてやろうかと考えを巡らせる。
「……で、ここで何をしてるの? ニコ」
ギルドについてみれば、子どもたちに混じって、なぜかニコがいた。
キリッと口を一文字に引き結んでいる。
衝立で気づかなかったが、どうやらあたしより先に起きて待っていたようだ。
子どもたちはニコをどう扱っていいかわからず困惑している。
「……あたしも強くなりたい」
「…………」
どうやら本気のようだった。
しかし、できれば遠慮したい。
教えるのは子供が対象って話だったし……いや、ニコはまだ十五歳だったか。
この世界の常識ならばそろそろ結婚のことを意識し始めるくらいの成人ではあるが、日本人感覚ならまだ十分に子供と言える。
「理由を聞かせてくれる?」
頭から拒否するのではなく、一応話を聞いてみると、ニコが決意を口にする。
「あたし、バカだし、 字も読めないし、計算もできないし、給仕しかできることがないし」
「……十分じゃない?」
ニコは働き者だし、何よりも皆に愛されている。
街で生きていくのにそれ以上何が必要だというのか。
何も痛みの伴う世界に足を踏み入れる必要はない。
「でも、体力だけは自信があるんだ。運動は苦手だけど、頭を使わないことなら頑張れる」
「ニコ、剣の稽古はそんなに甘くないよ」
ニコには悪いが、正直ちょっと邪魔だなぁと思う。
「かなりきついよ」とその内容を伝えるが、決心は固いようだ。
根負けしたあたしは条件付きでニコの参加を許可する。
「仕事に差し支えるようだったらやめさせる。それでもいい?」
「うん、それでもいい! 頑張る! ありがとうリンちゃん!」
あたしが参加を許可すると、ニコは飛び上がって喜んだが、子どもたちからは不満の声が上がった。
「「ええー……」」
「……女が混じんのかよ……」
シモとヨセフはがっかりしているし、ヤーコブはあからさまに文句を言う。
「ん? 三人とも女がどうしたって?」
「「「うぐっ……!」」」
あたしが睨むと三人は言葉を飲み込んで背筋を伸ばす。
「あたしのやり方が嫌ならいつでも辞めてもらっていいよ」
「そ、そんなんじゃない、です」
「うん、うん」
「ちっ……わーったよ……」
半ば無理やり納得させたが、命の取り合いが当たり前のこの世界だと女が軽く見られるのはある程度仕方がないことだ。
ペトラみたいな例外も居るが、戦うのはほとんど男なのだから。
まだ戦えない年齢のヤーコブたちだって同じような理由で軽く見られているのだ。
彼らに「それは男女差別だよ」などとお花畑な理想を押し付ける気はないのだ。
「さて、アンタたちの稽古だけれど、基本はハイジと同じようにやる」
「「「「はい」」」」
「ただし、ハイジとちがってあたしは優しくない。自分で気付くまで待つような悠長な真似はしない。無理矢理体に覚えさせるからそのつもりで」
「……優しいって、ハイジが? あれで?」
「毎回ボロボロにされてるのに」
「ちっ、お前ら甘ちゃんだなぁ」
子どもたちが口々に文句を言った。
「森じゃ、その十倍以上キツい訓練が日常だったよ」
「「「「えっ」」」」
四人とも「信じられない」という目であたしを見た。
「そうね……魔獣を五匹くらい同時に相手にさせられたり、気絶するまで放り投げられたり、気絶すれば頭から水をかけられたし、骨折なんて日常茶飯事だったよ」
皆は「ぎょっ」と眼を見張る。
「リンちゃん……! そんなひどい目に……!!!」
ニコが涙目になってブルブル震えている。
だから、違うって。
「勘違いしないで。ハイジは優しいよ」
「「「えええ……」」」
「ど、どこが……?」
「ハイジはあたしがどんなに邪魔でも最後まで付き合ってくれた。怪我をすればきちんと治療してくれたし、強くなるための技術は一つ残らず教えてくれた。魔獣との戦いじゃ、あたしなんて足手まといでしかないのにね」
あたしが森での生活について話すると、皆はドン引きした。
シモとヨセフは絶句し、ヤーコブは何故か尊敬の視線を向けてくる。
ニコにいたっては同情で泣き始めた。
「でも、あたしは彼と違って優しくない。やる気がある限りは、何があっても絶対に見捨てたりはしない。ただし、付いてこようとしない奴は即刻見捨てるわ」
宣言する。
「あたしの稽古は単純。この稽古場内であれば、どんな不意打ちでも、どんな卑怯な方法を使っても良いから、とにかくあたしに一撃を入れるつもりでかかってきて。一人ずつ正々堂々なんて無駄なことはしないでいい。協力して、考えて、工夫して、汚い手を巡らせて、使える手は全て使って」
「汚い手って……」
「忘れないで。魔獣は人を騙して、弱らせて、そして喰う。正々堂々なんて言葉は通用しない。だからあんたたちも甘い考えは捨てなさい。そのかわり、あたしも全力で対抗する」
心配しないで。あなた達にやられるほどあたしは弱くない。
そう言うと、皆は顔を見合わせる。
どうやらハイジのような熊相手ではないから、木刀を打ち込むのに抵抗があるらしい。
「解ってないみたいだからもう言っちゃうけど……すでに稽古は始まってるよ。なんで突っ立ってるの。こうして座って、木刀を手放している今、あたしは隙だらけに見えない?」
「えっ」
「だって今、リンが話をしてて……」
「だから、そういう隙だらけの時を狙いなさいって言ってるのよ。休憩中だろうが、背中を向けていようが、いつだって変わらないよ」
そう言った途端、最初に動いたのはヤーコブだった。
木刀をノーモーションであたしに叩き込むつもりだ。
ぱし、と木刀を掴む。
「は?!」
「いいタイミングね。でも遅いわ」
そう言って、驚愕に顔を歪ませるヤーコブをぶん投げた。
ウワーといい声で弧を描くヤーコブ。
「なにやってんの、みんなかかってきなさい」
ついでに全員を蹴っ飛ばす。
「やぁああああ!」「たぁーーー!」
「いちいち叫ぶな! 攻撃のタイミングをわざわざ教えてどうする!」
ぽいぽいぽいぽい。
全員が宙を舞う。
ニコだけは優しく投げる。可愛い顔に怪我をしたら大変だ。
「くっそー! おいっ! お前ら! 全員で一斉にかかるぞ!」
「う、うん!」「わかった!」「よーし!」
「3.2.1……」
「「「「やぁっ!!!」」」」
子どもたちの動きは稚拙で、しかも遅い。
あたし自身の訓練のためにも、あえて加速はしない。
危なくなるギリギリまでは、魔力探知も使わないつもりだ。
ここここん、と軽い音を立てて、全員の木刀が宙を舞う。
そして全員がぶつかってひっくり返る。
「だから、いちいち攻撃のタイミングを教えるなと言ってるのよ、魔獣相手でも声を上げるのか、アンタたちは」
「くそー! なんで当たらねぇんだよ! おかしいだろ!」
「おかしくない。あたしはまだまだ手を抜いてる。ヤーコブ! あんたはスピードだけはあるんだからもう少し動きを工夫しなさい。シモ! あんたは遅すぎる。これから稽古の時間以外も、いつももっと体を早く動かせるように意識しなさい。ヨセフは体力がないね、もっと筋肉をつけたほうが良い。腕立てや腹筋を欠かさないこと。運動後はすぐに肉を食べなさい。肉を食べる金がない? じゃあ豆でもいい」
ぶんぶん振り回される木刀を避けながら、一人ひとりにアドバイスする。
ハイジなら黙って対応するのだろうけれど、小さな子供に沈黙の稽古では効率が悪すぎる。
「それからニコ」
「何!? リンちゃん!!」
「全部だめ」
コワーンと音を立てて、ニコの木刀が宙を待う。
「そんなぁ!」
「はい、これで死んだ」
一人ひとりの首筋に木刀を当てた。
* * *
全員、ぶっ倒れてゼイゼイ言っている。
こちらとしては、準備運動にも足りないくらいである。
「今日の稽古は終わり。受けた注意はちゃんと覚えてる? 分からなければ何度でも教えるけど、日常生活の中でも意識し続けることが大事よ」
「わ、わかった……」「ひー」「もう……息が……」「リンちゃんの鬼……」
「それと、みんな、明日からは木刀だけでなく、もっと色々使いなさい。短剣くらいの長さの木刀を隠し持っておくことを薦めるわ。他にも、砂袋や弓矢、投矢なんかもいいかもね」
もちろん刃がついてないやつね、と念を押す。
あたしじゃなくて、使用者が怪我をしかねないからだ。
「そして、ここからがお楽しみ。もしあたしに一撃でも当てることができたら、その日は全員、ペトラの店で好きなだけ好きなものを食べてもいいよ、あたしのおごり」
「「「「本当!?」」」」
なんでニコまで反応してるのよ。
「うん、本当。そして今日が一日目。あと五日頑張れば、おやつを買ってあげる。甘いものが嫌いなら、串焼きくらいなら構わないよ」
わっと盛り上がる子どもたち(とニコ)。
まぁ、当たってやるつもりはない。
まだまだこの子たち相手に加速は必要無さそうだしね。
こうして、稽古の1日目が終わった。
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