12
「リンちゃんって強かったんだね」
ペトラの店への帰り道、ニコは恐る恐る……といった様子であたしの顔を見た。
(怖がらせちゃったかな)
ニコに戦う姿を見せたのは間違いだったなーと思ったが、ハイジの命令のほうが優先である。
やらない選択肢はないし、こればかりはニコがいようがいまいが関係ない。
後悔しても意味はない。
意味のないことはしない。
故にあたしは後悔しない。
見事な三段論法––––とはいえ、フォローは必要だろう。
「強くないよ。相手は子供なんだもの、魔獣と比べたら子猫みたいなものだよ」
「ええーっ……あたしずーっと見てたけど、何度もリンちゃんを見失ったよ? あれってどんな手品?」
「手品じゃないよ。うーん、どう説明したらいいかな」
生物の視覚は、実はかなりの割合で、重力や慣性などに影響を受けている。
例えば「落ちてくるはずのものが突然止まる」とか「跳ね返るはずのものが跳ね返らない」といった不自然な状況に、脳はとっさに対応できないのだ。
だから「次はこう動くはず」という無意識下の予想を裏切って、ありえないタイミングで加速、減速・静止してやれば、相手はあたしを一瞬見失う。
戦いの場では、その一瞬があれば十分なのだ。
まさに初見殺し。見慣れない限り、多少腕が合ったところで対応するのはまず不可能だろう。
ほんの数秒、時間の流れをいじってやるだけなのだが、見事なチートだと自画自賛している。
対応してきたハイジが異常なのだ。
「説明は難しいけど、うん、まぁ訓練あるのみ、かな」
「そうなんだ……!」
あたしの適当な説明を鵜呑みにするニコ。
やっぱりちょっとおバカさんだ。
でも、ニコのそんなところがたまらなく可愛い。
「ニコって可愛いね」
「ふぇっ!?」
思ったことをそのまま口にすると、ニコはパッと離れて顔を真赤にした。
(しまった。日本にいるときの感覚で言っちゃったけど、この世界だと変なふうに聞こえるかも)
見れば、ニコは真っ赤な顔でニマニマと恥ずかしそうに笑っていた。
問題は無さそうだ。
忘れずに蜂蜜を買うと、ペトラの食堂へ戻った。
* * *
「たっだいまー!」
「ただいま戻りました」
食堂に戻ると、ペトラに「遅いっ! 一人じゃ回んないんだから急いで着替えてきな!」と叱られた。
「「はいっ!」」
あたしたちは慌てて屋根裏部屋へ走った。
階段を登りきると、懐かしの空間である。
そこには、前のまま、あたしのベッドがちゃんと用意されていた。
その上には真新しい制服。
前のお下がりではなく、ちゃんとあたしのための、ニコとおそろいの制服だ。
「……可愛い」
「ほんと! きっとリンちゃんに似合うよ!」
「ありがと」
ペトラが待っている。
あたしがさっさと服を脱いで着替え始めると、ニコは「きゃあ」と小さく叫び、慌てて衝立の裏に隠れた。
「リンちゃん! ちょっとは恥ずかしがろうよ!」
衝立から半分だけ顔を出すニコ。
顔が真っ赤だった。
「……女同士なんだし、別にいいじゃないの」
「きゃあ! 胸! 胸見えてるから!」
「……だから?」
どうでもいいじゃないの、と思ったが、この世界では女同士でも肌を見せないのが当たり前だったりするのだろうか。
ハイジとサウナに入ってるって知ったら卒倒しそうだ。
まぁ、わざわざ言うことでもない。
制服は動きやすそうなチェックのワンピースにベージュのエプロンと三角巾だ。
サイズはピッタリだった。
ベルトにはレイピアを下げる。
あたしは鏡の前でサッと身だしなみをチェックする。
うん、我ながらなかなか様になっている。
「先、行くわ」
「待ってよぅ、あたしまだ勇気が……」
どうやらあたしを真似て、隠さずに着替えようと思っているようだ。
恥ずかしいなら無理する必要はないのに。
「ペトラが待ってるから、急いで着替えてね」
「リンちゃあん!」
ひらひらと手を振って、階下へ。
後ろでバタバタと音がする。ニコが慌てて着替えているのだろう。
急ぎ足で階段を下るとガヤガヤと客たちの声が聞こえてくる。
すでに乾杯が始まっているようだ。
「ただいま戻りました! リン入ります!」
「リン! 早速だけどこれ5番に! あとこちらのお客にエール!」
「かしこまりましたー! 喜んでー!」
思いっきり笑顔を作って、お腹から声を出すと、客たちが「おっ?」「なんだ?」と注目しはじめる。
「おっ?! リンじゃねぇか、久しぶりだな!」
「はい! お久しぶりです! お元気でしたか?」
「なんだおい、えらく懐かしい顔がいるな! こっちに戻ってたのか?」
「はい! 夏の間よろしくお願いしまーす!」
「おーい!野郎ども! 看板娘のご帰還だ! 乾杯するぞ!」
「「おおー!」」
「おい、こっちにもエールくれ!エール!」
「こっちもだ!」
「オレはワインだ!」
「はぁい! 喜んでー!」
ああ懐かしいなーと思いながら、あたしは厨房を駆け回る。
流石に短縮や伸長までは使わないが、訓練も兼ねて薄ーく魔力を広げておく。
(わお……! 店内が360度わかる……!)
わざわざ振り返ったりしなくても、周りの状況が真後ろまで把握できる。
なんだかあたしも人間離れしてきたなぁ。
「遅くなりましたー! ニコ入ります!」
「遅いよニコ!」
「だってー!」
「いいからとっとと働きな! ほらこれ1番と3番!」
「はいっ!」
「あっニコ、3番はあたしが。ペトラ、その串焼きも3番だよね。 一緒に行くよ」
「はいよ! 串焼き上がり! リン!」
「喜んで!」
「姉ちゃん、おかわりくれ、おかわり!」
「はーい! よろこんでー!」
「よろこんでー!」
居酒屋言語がニコに伝染した。
「こちらおまたせ! 空いた皿下げますね!」
「おっ、気が利くな!」
「気の利く看板娘に乾杯!」
「「カンパーイ!!」」
「あっ、いらっしゃいませーッ! すみません今満席なんで、ちょっと待っててもらっていいですか?」
「あれ? おめえリンじゃねぇか? 帰ってたのか」
「はい、お久しぶりです! 秋までここでやってまーす! よろしくお願いしまーす!」
と、ここで後ろの席からマグが落下。
床に落ちる前に、後ろ手でパシッと取っ手を掴んで、そのままテーブルに置き直す。
「お客さん、気をつけないとまだ中身が入ってるのにもったいないですよー!」
「お、お前さん、今、見もせずに受け取って……」
「偶然でーす! あ、いらっしゃいませーっ!」
「おーいニコ! 水くれ水」
「はーい喜んで!」
「リン! 7番!」
「はぁい!」
こうしてペトラの食堂の夏、1日目の夜は更けていった。
冬とは比較にならない忙しさだった。
* * *
「あのノリも久しぶりだね」
閉店後、ペトラがそろばんを弾きながら言う。
ニコはいつも以上に張り切ってバテたらしく、ぐんにょりしている。
脇にはペトラ特製のパンケーキ。あたしも久しぶりの甘味に舌鼓を打つ。
「すみません、なんか久しぶりで嬉しくなっちゃって」
「いや、構わないさ。最初は度肝抜かれたけどね。客たちも喜んでるんだし、悪いことはないさ」
「そうだよリンちゃん。なんかあたしも楽しくなっちゃったもん」
「ニコはいつも楽しそうじゃない」
「いつも以上にだよぅ」
そう言ってニコはヘニャッと笑う。
「喜んでー、とか言ってると、なんだか本当にお客さんのために頑張ろう、って気になるんだよ」
「ふぅん」
「あの挨拶、この店の名物になりそうだね」
ペトラは目をキランと輝かせる。
「短い夏しか稼ぎ時が無いんだ。今のうちに稼げるだけ稼ぐよ!」
「「はい!喜んで!!」」
「あたしに言ってどうすんだい!」
三人で笑い合う。
この空気が嬉しい。
「そういえば、ペトラ」
「なんだい?」
「よかったら、帳簿付けるの手伝うよ」
「おっ?!」
「ほぇっ?!」
なぜかペトラだけでなく、ニコまで素っ頓狂な声を上げた。
「リンちゃんって計算もできるの?!」
「うん、できるよ。わりと得意なんだ」
「そりゃあ助かる! あたしゃこういうのは苦手でね……ちゃんとやらないと税金でがっぽり持っていかれちまうから、やらないと仕方ないんだけどさ」
「うん、まかせて」
「やってくれるなら、ぜひ頼むよ! ……あ、でもアンタ、結局ギルドの話はどうなったんだい?」
それによっては、夜は早く寝たほうが良いんじゃないか、とペトラが言う。
「子どもたちを鍛えるように依頼を受けました」
「引き受けたのかい?」
「はい、引き受けました」
「リンちゃん凄かったんだよ! ビュって動いて、パッと消えたり! 男の子たちがいくら棒を振り回しても、全然当たらないの!」
「ふぅん?」
ペトラは面白そうにあたしを見つめる。
「なんだか秘密がありそうだね?」
「まぁ、ありますね」
(どうしよう、ペトラには話ししておいたほうがいいかな?)
ちらりと見ると、ペトラは笑って、
「まぁ、黙っとけばいいさ。……で、見込みのあるやつはいるのかい?」
「まだわかりませんけど、ヤーコブは強くなると思います」
「ヤーコブか」
トゥーリッキから聞いてるよ、とペトラ。
ヤーコブは浮浪児は卒業して、今は教会に住み込みで仕事しているらしい。
(教会があるのか)
この世界に来てもう半年以上経つのに、宗教については何も知らなかった。
新しい文化に触れるなら、宗教についての予習は必須。
これはしまった、近いうちにちゃんと調べておこうと心にメモをする。
しかし、ニコはヤーコブが苦手らしい。
「あのヤーコブって子、感じ悪かった」
「そう? 男の子なんだもの、あんなもんじゃない?」
「リンちゃんのことバカにしてさ。あたしのことも威嚇したりして!」
「子供のすることなんだから、いちいち気にしなくてもいいじゃない」
「だってぇ……」
女、女って、あたしにはニコって名前があるのに、とニコは膨れる。
「……ニコって可愛いよね」
「ふぇ!? 二回目! やめてよリンちゃん!」
ニコは顔を真赤にして、がばっと突っ伏した。
頭から湯気が出そうな勢いだ。
(あ、しまった)
「で、明日から稽古なのかい?」
「はい。早朝から少しお時間いただきます」
「それは構わないけどね。なら、早く寝るべきだ。帳簿の手伝いは正直ありがたいんだけどね……」
「いえ、それは」
森での生活と比べると、街の生活はぬるすぎる。
だから、もう少し仕事を増やすくらいでちょうどよいのだ、とペトラに説明する。
「そうかい? それならお願いするけれど……無理はするんじゃないよ? キツイと思ったらすぐに言いな。これは絶対だ」
「うん、ありがとうペトラ」
こうして街での一日目が終わる。
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