剣をもらった翌日、あたしはいつもより早く目を覚ました。

 自分の剣を手に入れたことで、一つ自分が成長したような気持ちになったのだ。

 どこか、欠けていたものがピタリと埋まったような感覚だった。

 この感覚を無駄にしたくなくて、あたしは剣を腰に下げた状態で、魔力感知の自主練を始めた。


 そっと小屋を出ると、朝独特の湿り気を帯びた空気が耳鼻を打つ。

 まだ空は暗く、いくつか星も見えている。

 森の香りは、あたしがこの世界の一部であることを認識させてくれる。

 あたしは深呼吸して、世界と一つになることをイメージしながら目を閉じた。


(わあ)


 目を閉じて、まさにその瞬間だった。

 あたしはイメージの奔流に勢いよく攫われて溺れそうになった。

 今まで認識できていなかった、この世界の外側に引きずり込まれるのがわかった。


(なんだこれ!)


 剣を帯びていることと、何か関係があるのだろうか?

 もはや瞑想どころではなかった。

 それは、まさに世界と一つになる感覚だった。

 生まれてはじめて瞼を開けたかのような、強烈な衝撃。

 ずっと眠り続けていた自分が、ようやく目を覚ましたかのようだった。


 流れ込んでくるイメージにあらがわずに、流されるままに身を任せていると、天の川に放り込まれた。

 星屑でできたドーナツ状の雲に飛び込み、翻弄され、漂いながら、あたしは世界を俯瞰する。

 体の感覚はなくなり、そのかわりに近くにいるハイジの気配をはっきりと感じることができた。


 試しに感覚を広げてみると、感覚範囲はあっという間に森にまで到達した。

 星々に飾られた広く果てしない世界に、身近な白樺やヒースの存在もはっきり感じる。

 どうやら魔獣達は近くには居ないようだ。

 頭上近くを鳥が編隊飛行しているのを感じる。

 小さな粒のような気配は、もっと小さい生き物たちだろうか。

 自分を意識してみれば、周りの星々と同じような光の粒である。

 地面に意識を向けると、全体がぼんやりと光っている。無数の光の粒が集まっているのだろう。

 もはや数が多すぎてよくわからないが、それでも一つ一つが小さな光の粒として確かにそこに存在していた。


 それはまるで大星雲。

 この世界は、命でできた銀河だったのだ!


 あまりの美しさに怖くなって、あたしはつい我慢できずに目を開けた。

 すると、そこはいつもどおりの寂しの森。

 何事もなかったように。

 こわごわと、もう一度そっと目を閉じると、同時に感覚の目が開くのがわかる。

 何度も繰り返しているうちに、意識すれば目を開けたままでも、命を感じ取れることができることがわかった。


 ––––これが、ハイジの生きている世界––––!!。


 意識をハイジに向けてみれば、どうやらとっくに起きていたらしい。

 家の中でドア越しに、じっとあたしのことを注意深く見守っていることがわかる。

 肉眼で見れば、熊だか鬼だか重火器みたいな見た目のハイジだが、その存在は力強く、とても穏やかで、なぜか少しだけ淋しげに見えた。


 この感覚を手放すのが惜しくて、あたしはそのまま意識を拡張し続ける。

 もう重力も感じない。

 天の川を夢心地で漂っていると、ハイジが立ち上がって、ドアを開けようとしたのがわかった。


「おはよう、ハイジ」


 ドアが開いたので、薄く目を開けて朝の挨拶をすると、ハイジが静かに言った。


「そのへんにしておけ。不慣れなままそんなことを続けると、動けなくなるぞ」

「え? そうなの?」

「ああ。慣れないうちは無理をするな。かわりに欠かさず毎日訓練しろ」

「……わかったわ」


 この生命に溢れた魅力的な感覚を手放すのは惜しいが、ハイジの言うことは絶対だ。

 あたしは即座に瞑想をやめて、いつもの感覚を取り戻そうとした。


「あら? あららら?」


 途端に、なんだか体が思ったように動かず、


(おっとっと……)


 あたしはふらついて、ハイジに向かって倒れ込む。

 ハイジはさっとあたしの肩を掴んで支えた。


「……魔力の枯渇だ。茶を飲んでしばらく休めば戻る」

「そうなのね」

「歩けるか」

「……なんとかね。……ねえ、ハイジ」

「なんだ」

「世界って、美しいのね」


 あたしがそう言うと、ハイジは少し驚いた表情になって、


「そのとおりだ。……知らなかったか? 」


 と言った。



 * * *


 フラフラするが、悪い気分ではなかった。

 座ってお茶を飲んでいると、すぐに落ち着いてきた。

 魔力の枯渇などというと大げさな気もするが、大したことはなさそうだ。


 なんとなく甘えたい気持ちになって、あたしはハイジに朝食当番をお願いする。

 何も言わずにキッチンに立つハイジ。

 さっき、魔力を通して見たハイジはとても優しく感じた。

 

 少年みたいにキラキラしていて––––きっと、あれがハイジの本当の姿なんだ。


 お茶を飲みながらあたしは朝食の用意をするハイジの背中を見つめる。

 こちらから家事をお願いしたのは初めてだったので、なんだか申し訳ないような、くすぐったいような気持ちになったが、「やっぱりあたしが」などと言ってもハイジはそれを喜ばないだろう。

 だから、ここは甘えておく。


 どこか暖かくて、嬉しい気持ちだった。


 いつまでも背中を眺めていても仕方がないので、あたしは先日から読み進めている本を開く。

 子供用の算数の本だ。おそらく姫様のために買ったのだろう。


(十進法でよかった……「ゼロ」の概念も発明されてたおかげで、計算で困ることは無さそうね)


 もしかしたら『はぐれ』が持ち込んだ概念かもしれない。

 街へ出たら、ペトラのために帳簿付けの手伝いをしてあげよう。

 ニコは端から「頭を使う仕事はできません」などと言っていたし、ペトラもあまり得意な方ではなさそうだ。

 忙しい夏の間、あたしが代わってあげれば、少しはペトラへの恩返しになるだろうか?


 しばらくすると、魔力が戻ってきたのか、ふらつきも無くなってきた。

 というか、いつものハーブティをのんでクラクラするのは、どうもカフェインのせいではなく、魔力が増強されているせいだったらしい。

 枯渇していた魔力が満ちていくのをはっきりと感じる。

 このお茶は、森でハイジが摘んできたものだ。街ではお茶を飲む習慣はないようなので(もっぱら酒か白湯だ)、もしかすると貴重なものなのかもしれない。


 そうこうしているうちに、目の前にスープが置かれる。

 布に包まれたパンにナイフが突き刺され、それを合図として朝食が始まる。

 ハイジは無言で、あたしは「いただきます」と手を合わせる。

 いつもどおりの朝食だったが、あたしは珍しく、食事中のハイジに話しかけた。


「ハイジ、このお茶って、街でも手に入る? あたしのお給料でも買えるかな」

「街には無いだろう。ギルドに頼めば手に入るが……欲しければいくらでも持っていけ」

「いいの?」

「構わない。だが、毎日魔力を枯渇させるような真似はやめておけ。戻れなくなるぞ」

「戻れなくなる?」

「……お前も見ただろう?」

「あの、星空みたいな世界のこと?」

「そうだ。あそこは人がずっと居座り続けていい場所ではない。そんなことをしていると––––いつか帰ってこれなくなる」

「それは……嫌ね。あたしは帰って来たいもの」


 この森へ。

 ハイジのもとへ。


 ここが、あたしの居場所だと思うから。

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