週に一度は燻製作りの日である。


 狩りはまだ暗い朝のうちに済ますのが鉄則だ。

 太陽が上り切ると、魔獣はあまり姿を見せなくなるので、昼以降は非効率的だからだ。

 故に、燻製作りは昼からスタートである。


 いつものように狩りに出て、いつものように毛皮や肉を処理する。

 毛皮をなめすのは街の職人に任せているので、腐らないように防腐処理だけを施す。

 肉はばらして塩漬けにする。

 次の燻製のための仕込みだ。


 今日燻す肉は、一週間以上塩漬けしてから水にさらして塩抜きをし、数日吊るして十分に乾燥させてある。

 煉瓦を積んで、即席であたしの背丈くらいある大きな燻製器を作ると、フックを使って肉をつるす。

 薪を焚べてダメ押しの温熱乾燥処理。

 それから熾火に燻製チップとして木っ端を放り込んで、煉瓦で完全に覆い、吸気と排気をコントロールすれば、燻製の開始だ。


 ここからは温度管理だけなので、椅子を持ち出してきて釜の近くで読書である。

 あたしはお湯を沸かしに戻って、お茶の準備だ。

 普段なら丸一日訓練だが、この日ばかりは午後の訓練はお休み。

 燻製の日はいわば休日のようなものなのだ。

 午前中に汗を書いているし、どうせなら先に風呂に入りたいところだが、どうせ煙の匂いが移って、もう一度入ることになるのだから、今日くらいは我慢である。

 春が近づいているとはいえ、運動せずにじっと過ごすには厳しい気温だ。

 もこもこに燻製用の防寒着を着込んで、帽子に耳あてにマフラーと、完全防備だ。

 もこもこ星人の大きいのと小さいのが、二人で椅子の上で小さく丸まって本を読んでいる姿は、はたから見ればさぞ滑稽であろう。


 立ち上る煙が空に解けていく。

 あたしとハイジの吐く息も煙と一緒に立ち上っていく。

 寒々しい森も薄っすらと緑をまとい始めており、刺すように冷たかった空気も、厚着さえしてしまえば心地よいと思えるくらいには暖かくなった。

 小屋の周りは未だ雪に包まれているが、ところどころが解けて土や地を這う草が顔を出している。

 雪に閉ざされた、この凍えた世界も、永遠に冬のままではないのだ。


 ハイジはたまに煙に手をかざして温度を見て、煉瓦をずらしたり、薪がわりの小枝をつっこんだりして温度管理している。

 一応あたしも真似をして、どの温度なら冷やすのか、あるいは温度を上げるのかを覚えようと頑張ってはいるが、これにはまだまだ年季がいりそうである。

 ハイジは燻製の名人としてもそれなりに名が知られており、街の酒場でもハイジの燻製は人気である。

 味にうるさいペトラも仕入れていると言うので、その品質に間違いはないだろう。


(実際に美味しいしね。正直、日本に居た頃に食べていたベーコンよりも好きだ)


 燻製タイムは楽しいが、煙の香りで鼻が馬鹿になるところが難点だ。

 それでも週に一度のこの時間は貴重なのだ。

 しかも、この煙の匂いのおかげで魔獣は小屋に近づかないし、夏場も虫が寄ってこないらしい。

 何から何まで合理的なことだと思った。


(来週くらいには街の生活が始まるから、燻製は今回が最後かもね)


 森での生活が始まってからも、毛皮や燻製などを売ったり、森では入手できない食材や衣服などを買いに街へ行くことはあるが、基本的に街へは「行く」、森へは「帰る」という感覚である。

 夏の間、森へ帰ってこれないことを考えると、少し憂鬱になる。

 街にはペトラやニコ、ミッラやヘルマンニもいるし、酒場の客も下品で騒がしいだけで、基本的に皆良い人たちだ。

 だからあの街のことは大好きなのだが、夏の間の森がどんな姿を見せてくれるのか、知ることができないことが悔しい。


 肉を燻し終わると、煉瓦を動かして冷たい空気を入れる。

 出来たての燻製は脂が滴り、とても美味しそうだ。

 ついついそのままかぶりつきたくなる色艶なのだが、残念ながらそのままではタール臭くて食べられない。

 食在庫に持ち込んで吊るし、丸2日は風干しである。

 考えてみれば、一つの燻製が完成するのに、魔獣を狩って、捌いて、熟成させて、塩漬けして、塩抜きして、乾燥させて、燻して、さらに寝かせて……と、合計二十日ほどかかる計算だ。

 こんな贅沢な食べ物もないだろう。


 こうして日は暮れていく。


 燻製の日には、週に一度の贅沢で、いつもより肉が多めの夕食となる。

 料理当番はハイジ。

 本当はキッチンに立たせるのは癪だが、ハイジが食べたいものを食べさせてあげたいので、この日ばかりは我慢である。

 煮込み料理の多いハイジにしては珍しく、今日はイノシシ肉のローストだ。

 クリームとマスタードの入った酸味のあるソースに、いつものジャムが添えられる。

 ハーブなんか添えてあって、これが馬鹿みたいに美味しかった。


「うわっ、美味しい!」


 感動のあまり美味い美味いと力説すると、ハイジは何を感じたのか、「あっそう」とでも言うように、眉と肩をちょっと上げて見せた。

 もしかしするとちょっと得意になっているのかもしれない。

 傍から見れば無表情なのだろうが、見慣れるとなかなか表情豊かな男である。


(ハイジってば、傭兵なんてやめてコックさんになったほうがいいんじゃないの? ……って、お客さんが怯えるからだめか)


 もしこれが毎日の食事だったら、どれだけ訓練に明け暮れてもブクブクに太ってしまいそうだ。

 肉にジャムを乗せて食べると、甘さと酸味のバランスが取れて、本当にいくらでも食べられる。


(ジャム、最初はちょっと苦手だったのに、今じゃこれ無しじゃ物足りなくなっちゃったよ……)


 普段の質素な食事に感謝しつつ、あたしはせっせと肉を口に運んだ。



 食事が終われば風呂である。

 今日は怪我もないのでサウナは無し。

 昼から運動もせずに外で座っていたので、冷えた体に熱いお湯が沁みる。

 サウナ用の防寒具で防備していたとはいえ、髪にはバッチリ燻製臭が染み付いているので、しっかり洗う。


 よく温まって、髪を拭きながら風呂から戻ると、ハイジが何やら布で巻かれた細長いものをテーブルのあたしの席に置いた。

 開けてみると、剣だった。

 柄に小さな装飾があるだけの、質実剛健なデザインのレイピアだ。

 華奢に見えるが、持ってみれば思ったよりも重たい。


「これ……あたしの?」


 聞くと、ハイジは頷き、「抜いてみろ」と顎で指し示す。

 ドキドキしながら少し力を加えると、シャラン、と音を立てて、刀身が現れる。

 照明がひとつしかない薄暗い室内で、その剣は青白く光っている。


「きれい……」


 思わず見惚れていると、ハイジに「使う時には、必ず魔力を乗せろ」と言われた。

 刺突を目的に作られるレイピアだが、業物になると獣の首を切り落とすことくらいは十分可能なのだそうだ。


「ってことは、これも『業物』ってことね」


 刀身が細いということは、厚みもないということ。

 そのまま何も考えずに使えば、対象の骨に当たればすぐに刃こぼれするし、鍔迫などしたら刃が折れてしまうだろう。

 しかし、魔力を乗せて使えば、切れ味は持続し、決して折れることもなく、刃こぼれもしないのだそうだ。

 それどころか、もし刃こぼれしても、自然と元の形に戻るらしい。

 物理法則どこ行った。


「ありがとう、ハイジ」

「礼はいらん。使いこなしてみせろ」

「わかった、この剣で、あなたの役に立ってみせる」

「俺のことはいい。だが街に出たら常に腰に下げておけ。見るものが見ればお前の力がわかるし、下手な盗賊では手出しもできないだろう」

「そう……わかった。ありがとう」


 あたしがもう一度お礼を言うと、ハイジは目をそらし、本を開く。

 そしてスッとマグカップをこちらに寄越した。


(礼はいいから、かわりにお茶でも淹れろって?)


 これはハイジにしては珍しい行動だった。

 思わずクスクス笑いながら、熱いお茶淹れてやった。

 そしてあたしも本を開く。


 穏やかで、静かで、幸せな時間だった。

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