しばらく森の中を走り続けると、風景がパッと開けた。

 気になって、吐き気を抑えながら窓から顔を出して見てみれば、道の様子が変わっている。

 轍や足跡など、雪の隙間にところどころ石畳が顔を見せていて、道が舗装されているのがわかる。


 「こりゃ駄目じゃな」


 ソリで走り続けることが難しくなったのだろう。

 ギャレコが車輪からソリを外すために馬車を止める。

 おかげで、少しだけ休憩できる。

 もし本当に休憩なしだったら吐いていたかもしれない。


 足を履き替えた馬車がまた動き始めると、車輪のおかげか乗り心地はだいぶましになった気がする。

 乗り物酔いはまだ収まっていない。


「うぅ……」

「ほら、嬢ちゃん頑張れ。もうすぐ街じゃ」


 乗り物酔いで席に倒れているあたしに、ギャレコが心配そうに声をかけてくれる。


「この程度の揺れで酔うとは『はぐれ』は貧弱じゃなぁ……今はいいが、関所についたらシャンとしてくれ」

「……関所?」

「街に入るのに通るんじゃ」

「あっ、どうしよう、あたし身分を証明するものがないわ」

「そんなものいらんじゃろ」

「いらないの?」


 じゃあ、なんのための関所なのだろう。


「指名手配されてたりしないか、あとは外から危険なものを持ち込んでないかを調べられるだけじゃな。あとは、通行税」


 それを聞いてあたしは慌てて顔を上げる。


「お金、持ってないわ」

「大した額じゃねぇし、ハイジが払ってくれるじゃろ」


 ハイジを見ると、なんの反応もなかった。

 なんの反応もないということは「それでいい」ということなのだろう。

 多分。


 やがて、馬車の速度がゆっくりになる。

 カッポ、カッポという足音と、車輪と石畳の当たるガシャガシャした音が少しずつ遅くなる。

 見てみれば、進行方向に石積みの立派な壁。さらに関所と思われる施設と、馬車がすれ違える程度のアーチ状の門がある。

 この馬車のほかに、五台ほど別の馬車が先に並んでいて、先頭では兵士らしき男と御者が何やら話をしている。

 兵士は金属の胸当てをしていて、剣を帯びていた。


 たまに『止まれ!』とか『行ってよし!』とかいう声が聞こえる。

 その度に少しずつ馬車は進む。


「進め!」


 さほど待たされることもなく、自分たちの番が来る。

 兵士の声が近い。ちょっと緊張。


 ギャレコが馬車を進めると、兵士に「止まれ!」と止められる。


「これから積荷を調べる! そのまま動かないように!」


 そう言って、兵士がヌッと馬車を覗き込む。

 見れば、兵士は口調の割には高圧的な感じはしなかった。

 どちらかと言えばすこし人懐っこい雰囲気の青年だ。


「ハイジさん、今回毛皮の売買ですか?」

「ああ」


 兵士はハイジと顔見知りらしく、ハイジも頷いて言葉に応じる。


(へぇ)


 なんとなくハイジに知人が沢山(と言っても、ギャレコとこの兵士だけだけど)がいることが意外だった。

 

 兵士はハイジは何やらやり取りをして、それからあたしを見た。

 あたしを見た兵士は、なにやら驚いた様子だった。


「そちらのお嬢さんは……もしかして『はぐれ』ですか」

「ああ」

「それはまた……わかりました、『はぐれ』については税は免除でいいですから、どうぞ行ってください」

「助かる」


(『はぐれ』って何のことだろう?)


 そう言えばギャレコもそんなことを口にしていた。

 あたしの疑問をよそに、兵士は馬車から離れて「行ってよし! 次!」と大声を出した。



 * * *



 壁を超えて、エイヒムの街へ入った。

 初めての街である。

 深い森しかない世界なのかと、一時は絶望したものだが、こうしてみるとなかなかに感慨深い。

 あたしは乗り物酔いのことも忘れて興味津々で、流れていく街並を眺める。


 道は石畳。

 建物はどれも、木の梁に支えられた重厚な石造りだ。

 そのせいか、日本と比べると全体的に冷たい印象を受ける。

 しかし、雰囲気は明るい。


 この世界の人達の民族性なのか、道にごみが落ちているようなことはなく清潔感がある。


(そういえば、ハイジの小屋も綺麗に片付けられてたな)


 十日間を過ごした、森の小屋のことを思い出す。

 あれと比べれば、流れていく町並みは随分と近代的だ。

 はじめに見たのがあの森小屋だったせいか、この世界の文化レベルはせいぜい中世ヨーロッパくらいなのだろう思っていたのたが、こうして見れば、元の世界に照らしてせいぜい十九〜二十世紀……百年くらい前のレベルに見える。

 ごみや糞だらけの不潔な街でなくてよかったと胸をなでおろす。


 馬車が進むにつれて、人通りが増えてくる。

 露天などがちらほら現れて、走り回る子供や、重そうな荷物を運ぶたくましい男、井戸端会議をしてる女性たちが増えていく。

 どうやらあまり人口の多い街ではないらしいが、なかなか活気のある雰囲気のよい街であるようだ。


 特徴的なのは、男たちが皆、腰に剣をぶら下げていることだ。

 どの男も一様に分厚い体をしており、毛皮の衣服ごしにでも筋肉質であることがわかる。

 見る限り、背丈は普通の人間のサイズであるようだ。

 ハイジみたいな2メートルくらいもある巨体は、この世界でも珍しいらしい。


 女性については、あまり飾り気がなく、動きやすい質素な服装だ。

 若い女性はひょろっと細く、年配の女性はだいたい太っていて、髪を上げている。

 そういえば、元の世界でも北の方の国はそんな感じだったので、文化様式もそれに近いのだろう。


 馬車は進み、大広場に到着する。

 ギャレコは中央の噴水脇に馬車を止めて、トナカイを「よーしよーし」と撫でながら水を飲ませている。


「ここまでじゃな」

「ああ、世話になった」

「ギルドか?」

「ああ」

「荷物を運ぶのを手伝だおうか?」

「不要だ」


 御者はハイジといくつか言葉を交わしたあと、あたしを見て「まぁ、がんばんな」と言って笑いかけてくれた。


「『寂しの森』の駅へは、毎週3の曜日に行くことになっとる。戻りは4の曜日じゃな。何かあったら声をかけな。ギルドに依頼を出せば俺に伝わる。片道2万ハークじゃ」

「わかった、3の曜日ね。そのうちにお願いするわ」

「里帰りか?」


 里帰り、という表現がおかしくて、あたしは少し笑って答えた。


「そうね、「里帰り」かも」

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